KIAS、TIAS、広島市立大学国際学部共催国際シンポジウム
(2008年12月12日~16日 於東京大学・広島市まちづくり市民交流プラザ・京都大学)
タイトル:「ナクバから60年―パレスチナと東アジアの記憶と歴史」
日時:12月12日(金)13:00~17:00
場所:東京大学東洋文化研究所会議室
日時:12月14日(日)13:00~17:00
場所:広島市まちづくり市民交流プラザ 6階マルチメディアスタジオ
日時:12月16日(火)10:00~17:00
場所:京都大学稲盛財団記念館
詳しくはこちらのページをご覧ください。
/nakba2008/
2008/12/12
Opening : 13:00-13:30
Chair: NAGASAWA Eiji(The University of Tokyo)
Welcome Speech: SATO Tsugitaka(Waseda University, General Director of IAS)
Guest Speech: Ali QLEIBO(al-Quds University)
Session 1: 13:30-17:00
“Nakba Revisited: Memories and Histories from a Comparative Perspective”
Chair: NAGASAWA Eiji
Welcome Party: 18:00-
13:30-13:45 Opening Address: USUKI Akira(Japan Women’s University)
13:45-14:45 Keynote Lecture: Nur MASALHA(St Mary’s College, University of Surrey)
“60 Years after the Nakba: Historical Truth, Collective Memory and Ethical
Obligations”
14:45-15:15 Presentation 1: MORI Mariko (The University of Tokyo)
“Zionism and Nakba: The Mainstream Narrative, the Oppressed Narratives, and the Israeli Collective Memory”
15:15-15:45 Presentation 2: Timur DADABAEV (University of Tsukuba)
“Trauma, Public Memory and Identity in Post-Soviet Central Asia”
15:45-16:00 Coffee Break
16:00-17:00 Discussion
2008/12/14
Session 2: 13:00-17:00
“NAKBA and HIBAKU: Dialogue between Palestine and Hiroshima”
Chair: KAKIGI Nobuyuki(Hiroshima City University)
13:00-13:45 Opening Address: UNO Masaki(Hiroshima City University)
13:45-14:45
Keynote Lecture: Rosemary SAYIGH(Anthropologist and Oral Historian Living in Lebanon)
“Hiroshima, the Nakba: Markers of Rupture and New Hegemonies”
14:45-15:00 Coffee Break
15:00-15:30 Presentation 1: NAONO Akiko (Kyushu University)
“Listening to the Murmur of Voices in the Hiroshima Memoryscape”
15:30-16:00 Presentation 2: UKAI Satoshi (Hitotsubashi University)
“Pictures, Movies and Memories of the Nakba”
16:00-17:00 Discussion
2008/12/16
Session 3: 10:00-14:20
“Narrating and Listening to the Memories of Nakba in Kyoto: Dialogue between Palestine and East Asia”
Chair: SUECHIKA Kota(Ritsumeikan University)
10:00-10:30 Opening Address: OKA Mari(Kyoto University)
10:30-11:30
Keynote Lecture: Sari HANAFI(American University of Beirut)
“Spacio-cide: Israeli Politics of Land and Memory Destructions in Palestinian Territory”
11:30-12:30 Lunch
12:30-13:00 Presentation 1: MUN Gyong-su (Ritsumeikan University)
“The Origin and the Present of the Problems of Korean Residents in Japan”
13:00-13:30 Presentation 2: YAMASHITA Yeong-ae (Ritsumeikan University)
“Nationalism and Gender in the Comfort Women Issue”
13:30-14:30 Discussion
Closing Session: 15:00-18:00
Chair: KOSUGI Yasushi(Kyoto University)
Part 1: In Thinking Back to the Symposium 15:00-17:00
Part 2: Future of Palestine, Future of Palestine Studies in Japan 17:00-18:00
From Young Researchers
Attendants: NISHIKIDA Aiko(Tokyo University of Foreign Studies), SUGASE Akiko(The Graduate University for Advanced Studies), TAMURA Yukie(Tsuda College), TOBINA Hiromi(Kyoto University), TSURUMI Taro(The University of Tokyo)
Farewell Party: 19:00-
Presentation 1: TOBINA Hiromi (Kyoto University)
“Depicting the Live of Palestinians under the Israeli Occupation: The Case of East Jerusalem”
Presentation 2: TSURUMI Taro (The University of Tokyo)
“The Russian Origins of Zionism: Interaction with the Empire as the Background of the Zionist World View”
15:00-15:30 General Comment: Ali QLEIBO(al-Quds University)
15:30-16:15 General Discussion
16:15-16:45
Guest Lecture: Yakov RABKIN(University of Montreal)
“Perceptions of Nakba in Zionist and post-Zionist circles”
16:45-17:00 Break
Closing Speech: USUKI Akira(Japan Women’s University)
“Future of Palestine Studies in Japan”
Closing Remark: ITAGAKI Yuzo(Professor Emeritus of the University of Tokyo and Tokyo Keizai University)
Session 1:
2008年12月12日から16日にかけて、東京・広島・京都にて、国際シンポジウム「ナクバから60年―パレスチナと東アジアの記憶と歴史」が開催された。この国際シンポジウムには、海外からヌール・マサルハ氏、ローズマリー・サイイグ氏、サリー・ハナフィー氏、アリー・クレイボ氏、ヤコブ・ラブキン氏が参加した。本報告書では、12月12日に東京大学東洋文化研究所で行われたセッション1「ナクバ再訪―記憶と歴史の断絶を超えて」の報告を行う。
東京セッションでは、パレスチナ人研究者による新たなナクバ研究と、シオニストによるナクバの語りの対比が目指され、また地域間比較の視点から中央アジアの事例が取り上げられた。はじめに、ヌール・マサルハ氏が「ナクバから60年―歴史的事実、集団的記憶、そして倫理的責務」と題する基調講演を行った。 次に、シオニストを中心にイスラエルにおいてナクバがどのように語られてきたかについて、森まり子氏が「シオニズムとナクバ」と題する発表を行った。 次に、地域間比較の視点から、また記憶と歴史をめぐる議論に新たな角度から切り込むことを目指して、ティムール・ダダバエフ氏による「ソ連後の中央アジアにおけるトラウマ、公共的記憶、そしてアイデンティティ」と題する発表が行われた。
全体討論では、まず、アリー・クレイボ氏が、ナクバとはパレスチナ人の殺傷だけを意味するのではなく、パレスチナで営まれてきたパレスチナ人の生活が根こそぎにされたことをも意味するのであり、そのすべてが1948年に起こった暴力であると指摘した。次に、聴衆の側から、栗田貞子氏(千葉大学)が、ナクバを議論する際の枠組みについて、シオニストとパレスチナ人の間の「ナクバの語り」のダイアローグとしてではなく、ナクバの悲劇を植民地主義の問題として論じることによって、地域間比較を含めてより広範で意義深い議論につながるのではないかと問題提起を行った。これに対し、発表者は、栗田氏の意見に賛成の意を示した。また、本シンポジウムの運営委員長である板垣雄三氏からは、シンポジウムと東京セッションのタイトルに「記憶」という言葉が使われていることについて、なぜ「体験・経験(experiences)」ではなく「記憶(memories)」なのかという問題提起がなされた。この点については、シンポジウムを通して考えていく問題となった。
1948年に70万人とも言われるパレスチナ人が難民となったナクバの過程を、資料やオーラル・ヒストリーを通して明らかにする作業は、現在でも重要な課題である。また、「記憶」や「語り」といった抽象的な問題を通して、ナクバをどのように語り、歴史の中に位置づけるかを考えていくことも重要な課題である。同時に、報告者は、アリー・クレイボ氏が指摘した「ナクバとはそこに住んでいたパレスチナ人の生活を根こそぎにするものであった」という点に注目したい。それまであった人々の社会生活が奪われ、そこで営まれていた生活の有様が消え去ることも、ナクバの暴力であったと考えるからである。難民化の過程と難民としてのその後の生活だけでなく、ナクバ以前にパレスチナに存在していた人々の生活を書きとめていく作業も、今後のパレスチナ研究にとって重要な課題ではないか。
最後になったが、本シンポジウムの準備・運営を成功裏に進めてくださった運営委員・実行委員(報告者自身も実行委員会の一人であるが)の皆さまと、本シンポジウムに準備段階から参加する機会を与えてくださったイスラーム地域研究プロジェクトに、心から感謝申し上げたい。また、まだ若手の研究者である報告者に、多くの知的刺激を与えてくださったパレスチナ研究者の先達に対しても、お礼を申し上げたい。
報告者:飛奈裕美(京都大学)
Session 2:
三都をめぐるナクバ国際シンポジウムは、二番目の都市である広島に到着した。広島は世界ではじめて原爆が投下された街として、中東でも長崎と並んで知名度が非常に高い都市である。第2セッションでは、「ナクバとヒロシマ――記憶とその継承」をテーマに、ふたつの大きな悲劇がどのように次世代に語り、記憶し、継承されるのかを議論した。3セッションの中では唯一の一般公開となり、当日の会場には100名を超える参加者が集まった。
はじめに、広島セッション代表の宇野昌樹氏(広島市立大学)から本シンポジウムの趣旨説明が行われた。広島とナクバは両者が共通に抱える問題として、経験としての破壊や暴力、その記憶と継承という問題を有していると指摘された。そのため、ナクバと広島について双方向に考えることによって、両者を新たな視点で問い直す可能性が見えてくるのである。さらに、新たな記憶の出会いとなり、それらの記憶の継承の可能性となるのではないかと、問題提起がなされた。このような趣旨に位置づけ、スピーカーの3氏が紹介された。
続いて、ローズマリー・サーイグ氏(レバノン在住・人類学者)から「ヒロシマ、ナクバ――破壊と新たな覇権の標として」と題した基調講演が行われた。サーイグ氏は高校を卒業した多感な時期に、広島・長崎の原爆投下に強い衝撃を受け、その恐怖がアラブ・パレスチナ研究に向かったという。このエピソードは、トラウマと記憶が、個人と政治が、自己と他者がいかに繋がるかを説明すると指摘する。広島とナクバの記憶と語りは、前者が場所によって表象されるのに対し、後者は時間によって表象される。しかし、両者に共通する最も重要な点とは、アメリカとイスラエルによる人種差別と例外主義に基づき行われたということを厳しく指摘した。サーイグ氏はさらに近年のナクバ研究を参照しつつ、ナクバがこれまで語られてこなかった構造的問題を明らかにした。また、ナクバを取り巻く現状について、記憶と継続、待つこと、屈服しないこと、という抵抗の形態を提示し、ナクバと広島から学びとられるグローバルに展開する運動の可能性を示唆したのである。
次に、直野章子氏(九州大学)から、「被爆を語る言葉の隙間」と題し、広島における記憶の継承と語りの問題という視点から報告がなされた。日本における被爆の記憶は、原爆被害者を置き去りにしながら「反核・平和」が語られ、その物語として編成されてきたと指摘。しかし、広島は単なる平和のメモリアルだけではなく、見る角度によって戦争終結の喜びや解放などの象徴になる。時代背景とともに広島と平和に対する語りが変遷する中、被爆者の語りを集めた『原爆の子』は、語りに隠されている問題点を痛烈に批判しているという。そこには、平和の名の下に被爆者が置き去りにされた現状が訴えられているのであった。原爆被害の記憶と語りをめぐり、今もなお、語られないまま失われていくものがある。
そして、鵜飼哲氏(一橋大学)から、「ナクバの写真、映像、記憶」と題し、いくつかの映像作品の比較を通じて記憶の生成について検討がなされた。写真や映像といったイメージは、外部世界のわれわれに記憶を認識させたり、また新たな発見を示したりする。広島とナクバの経験を参照するとき、両者は加害者による責任の承認が近い将来に期待できないということに類似していると指摘した。このような状況において、長期的なイメージ・ポリティクスの戦略を練り上げる必要を訴えた。そのような試みとして、フランス映画『ヒロシマ私の恋人』をパレスチナ人映像作家であるミシェル・クレイフィが『石の讃美歌』をリメイクしたことが挙げられる。長い闘争のためにも、写真や映画は記憶と語り、問題の理解にとって依然重要な媒体である。そして、すでに出来上がっている記憶だけではなく、新しい記憶の構築の必要性を主張した。
その後、スピーカーによるディスカッションと会場からの質疑応答へと続いた。広島を語る際、日本の加害者責任は免れないものとして、どのように語っていくかは一つの焦点となる。この困難な点を乗り越え、国民国家の枠に縛られない、新しい記憶の必要性が訴えられた。また、広島はこれまでナクバや世界の不正義に耳を傾けてこなかったのではという、排外的感覚や例外主義的立場もあったという指摘に対して、サーイグ氏はそれでも平和活動や世界の抵抗の「場」としての広島の重要性はあると、未来に向けた建設的な主張がなされた。
報告者:堀拔功二(京都大学)
Session 3:
「セッション3」は岡真理氏による趣旨説明で幕を開けた。チリ出身の作家、アリエル・ドルフマンの「世界には無数の9・11」がある、との言葉を媒介に、「日本帝国主義による朝鮮植民地支配」を無数の「ナクバ」のひとつとしてとらえ、アジア大陸の両端における「ナクバ」の記憶をすりあわせることによって浮上するさまざまな問題について考えたいとの提起がなされた。
続いて、サリー・ハナフィー氏による基調講演「スパシオサイド:被占領パレスチナにおける土地と記憶の破壊をめぐるイスラエルの政策」が行われた。氏は、死傷者の人数を基準とする分類法によってアラブ・イスラエル紛争が「低強度紛争」としてみなされてきたことを指摘し、より正しい問題理解のためには、パレスチナ人の生活空間に対する徹底的な破壊――スパシオサイド――という側面への着目が必要であることを提起した。そこでは、シュミット、アガンベンの「例外状態」やフーコーの「生政治」といった概念が援用され、パレスチナ人を無力化し、「自発的移送」へと追いやろうとする様々な占領政策の背景にある構造について、現地の写真等を交えながら説明された。
文京洙氏の報告「在日朝鮮人問題の起源と現在」では、在日朝鮮人の視点から日本と朝鮮半島におけるナショナリズムのあり方に対する歴史的批判がなされた。そこでは、戦後、すでに日本社会のなかに根付いていた在日朝鮮人が一方的に「外国人」化されたことが指摘され、また同時に、朝鮮半島の側における「一民族一国家」指向によって在日朝鮮人が翻弄されてきたことも指摘された。そしてグローバル化時代におけるマイノリティのあり方として、ナショナリズムの論理による切り分けと囲い込みを拒否することの重要性が訴えられた。
山下英愛氏の報告「『慰安婦』問題にみるナショナリズムとジェンダー」では、日本軍「慰安婦」問題に関する90年代以降の運動の経緯が説明され、そのなかで、日本人「慰安婦」が不可視化されてきた事実に着目する。そしてこの不可視化の構造を乗り越えるためには、他国に対して発動するナショナリズムのみならず、自国で作動し内面化されているナショナリズムを自ら解体する必要があるとの問題提起がなされた。
討論では、東アジアのポストコロニアル状況を分析する枠組みとパレスチナ・イスラエル問題を分析する枠組みを同時に論じることの可能性と困難についての議論などが積極的になされ、今後の議論の継続の必要性が確認された。
報告者:役重善洋(京都大学)
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