国際シンポジウム/ワークショップ(ご案内)
 

記録/報告

SIAS/KIAS Joint International Workshop
(2010年2月13日 於上智大学)

タイトル:"Diversity in the Traditions and Reforms of Islam"

プログラム:
10:00-10:20 Opening

10:20-12:20 Part One: Islamic Traditions Revisited 
WAKAMATSU Hiroki (Sophia Univ.)
"A Study on Social Structure in Eastern Turkey: Through the Analysis of Ocak of Kurdish Alevi People"
ISHIDA Yuri (Kyoto Univ.)
"The Types of Lata'if in Sufi Psychology"
NOHECHI Akane (Sophi Univ.)
"Islam and Consumer Goods: Production and Use of Lucky Charms in Iran"
TOCHIBORI Yuko (Kyoto Univ.)
"al-Amir `Abd al-Qadir al-Jaza'iri's View of Religious Practice: With Special Reference to Jihad in 'Kitab al-Mawaqif'"

13:30-15:30 Part Two: Reinterpreting Islam for Modern Societies 
SHIMIZU Masako (Sophia Univ.)
"Dynamics of Palestinian Politics and Hamas's Changing Participation: Mechanisms and Processes of Concluding Cairo Declaration"
FUKUNAGA Koichi (Sophia Univ.)
"Hasan al-Banna's Historical Perspective and Its Meaning for the Revival of Islam: A Brief Examination of his Tract 'Between Yesterday and Today'"
SHIRATANI Nozomi (Sophia Univ.)
"Political System and Islam in Morocco: Coexistence and Opposition between the King and the 'Party of Justice and Development'"
FUJII Chiaki (Kyoto Univ.)
"'The Medicine of the Sunna' on the East African Coast: In the Tide of Islamic Revival"

15:45-17:15 Part Three: Islam across Borders
Adam Acmad (Sophia Univ.)
"Contemporary Muslim Filipino Historiography: Muslim Views of Mindanao History as Seen in Selected Works of Abdulmajeed Ansano"
YASUDA Shin (Kyoto Univ.)
"The Result of 'Tourization' of Religious Visit: A Case Study of Syrian Shi'ite Ziyara"
KINOSHITA Hiroko (Kyoto Univ.)
"Discovering the Diversities of Indonesian Islam in Contemporary Cairo: The Case of Indonesian al-Azharites Community"

17:20-17:50 Comment: Harun Anay (Marmara Univ.)

17:50-18:30 General Discussion

報告1:
 ワークショップの第1部においては、4名の発表者が "Islamic Traditions Revisited" というテーマに基づいて、発表を行なった。

 若松大樹氏(上智大学)の "A Study on Social Structure in Eastern Turkey: Through the Analysis of Ocak of Kurdish Alevi People" は、オジャク(ocak)の語の分析を通して西トルコのクルド人アレヴィーの社会構造を明らかにした。考察にあたり発表者は、アレヴィーが第4代カリフであるアリーに由来する語であること、トルコにおけるアレヴィーが迫害の対象になってきたこと、さらに分析のために、考察対象のクルド人アレヴィーを、クルマンジー語(Kurmanci)とザザキ語(Zazaki)を使用するアレヴィーに限定していることを論じた。そのうえで、オジャクの語が聖者ババ・マンスール(Baba Mansur)への崇敬において果たす役割が考察されることによって、クルド人アレヴィーの社会構造が示された。「家族」や「同胞の集団」などを意味しているトルコ語のオジャク概念は、クルド人アレヴィーのなかで多様な意味を有している。発表者のフィールドワークの成果に基づくならば、この語は次の二つの側面、すなわち儀礼における師と弟子の関係性と、預言者ムハンマドの親族に連なる「聖なる系譜」に属している者をもっているという。結論において、クルド人がこのオジャクのもつ二側面に基づいて聖者に対する崇敬を行ない、自らをアレヴィーとして認識していることが結論づけられた。この研究発表によって、オジャク概念の多様性と、これまで論じられてこなかったアレヴィーの聖者崇敬とオジャクの関わりが明らかにされた。討議では、フロアからクルド人アレヴィーの生業についての社会背景や、トルコ人アレヴィーとクルド人アレヴィーの関係性について質問が寄せられた。これらの質問に対し、発表者は彼らが農業や牧畜によって生計を立てていること、クルド人アレヴィーは儀礼においてクルマンジー語(Kurmanci)とザザキ語(Zazaki)ではなく、トルコ語を使用していると回答した。

 石田友梨氏(京都大学)の "The Type of Lata'if in Sufi Psychology" は、スーフィズムにおいて心理的側面や霊魂の階層を意味する語であるラターイフ(lata'if)を、これまでの研究成果に基づいて整理・類型化を試みる発表であった。アラビア語における 「ラターイフ」の語が「ラティーフ」の単数形であること、アッラーのもつ99の美名の1つであること、クルアーンに7度登場すること、さらにカラーム(神学)において「微細な物体」(jism latif)として論じられてきた背景を確認した。このことを確認したうえで、発表者は表や図を用いながら、ジャウファル・サーディク(d. 765)、ハキーム・ティルミズィー(d. 905-910)らのラターイフを考察した。サーディクはナフス(nafs)、カルブ(qalb)、スィッル(sirr)の3階層のラターイフを考えるが、ナフスとカルブのあいだを遮るものとしてアクル('aql)を置く。それに対して、ティルミズィーは頭部にルーフ、胸部にカルブ、腹部にナフスが宿ると考える。次にタリーカにおけるラターイフとして、クブラヴィー教団とナクシュバンディー教団が取り上げられた。ナジュムッディーン・クブラー(d. 1220)のラターイフは、彼を祖とするクブラヴィー教団へと継続された。彼のラターイフはクルアーンにも登場する3つのナフスとナフス、ルーフ、そしてスィッルに言及している。彼の理論を展開させたアラーウッダウラ・スィムナーニー(d. 1336)は7つのラターイフを論じ、それぞれの階層に属する人間、預言者、色を類型した。さらに、時代を経るにつれてシャーフ・ワリー・アッラー(d 1762)のように、未開社会から始まりイスラームを終局とする社会的位置づけの縮図としてのラターイフについて論じられた。結論において発表者は、「心と脳」という問題からスーフィーの修行理論に及ぶラターイフの理論が、初期の霊魂に当てはめられたラターイフから社会的位置づけに関する議論へ発展してきたこと結論付けた。討議では、フロアからラターイフの整理に対して評価のコメントがあった一方、それぞれのスーフィーが異なる意味内容で概念を使用しており、語の使用の有無という類型化が困難であることが指摘された。また、ラターイフを "sufi psychology" という研究発表のタイトルに挙げられている語や分析を行なうためのカテゴリーの妥当性などスーフィーのテクストを読み解く視点についての質問があった。

 野辺地あかね氏(上智大学)は "Islam and Consumer Goods: Production and Use of Lucky Charms in Iran" と題して、イランのテヘランやコムでのフィールド・ワークに基づいて、「イスラーム的な商品」としての護符(お守り?)の諸特徴について考察した。発表者は考察の主眼を次の2つにおく。すなわち、第一に「イスラーム的な商品」がもつ意味とは何か、第二にそれが経済的な潜在性を有しているのかである。バザールには、ガラス製の護符からクルアーンの抜粋の書かれた壁掛けに至るまで多くの商品が並んでいるが、店主たちはそれらの商品を "Va. 'enyakad" と呼んでいる。これらの商品はシーア派の聖地であるコム、マシュハド、そしてカルバラーで製造されている。また、アリーと書かれたプラスティック製のカードは他の商品と併置して並んでいるにもかかわらず、商品ではないものもある。発表者と店主の会話によれば、商品でないそのカードは彼の好機を拓き、幸運をもたらしてきたという。アリーをはじめとするイマームたちの名前のある護符には、それぞれのイマームの役割が割り当てられている。これらの特徴として、何世代に渡って伝えられ、人々を惹きつけてきたテクストが書かれていること、有名なウラマーによって発行されたものであることの2点が挙げられた。この2つの特徴は商業行為とイスラームの宗教的側面が決して矛盾するものではなく、むしろ補完しあう効果をもっている。結論において、発表者はこれまでの先行研究がイスラームにおけるこうした護符の大量生産や販売がイスラームの信仰の個人化、あるいは個人的空間のイスラーム化というコンテクストで論じられてきたことに言及した。そのうえで、利潤追求のような商業行為のもつ本来的活動を考慮に入れるとき、商業行為と護符の役割を別に扱うのではなく、宗教的現象の延長線上に、護符などの「イスラーム的な商品」にアプローチする可能性があることを指摘した。討議においては、フロアからテヘランがイマームの肖像画を製造する中心地であり、「イスラーム的な商品」が各国に輸出されていること、トルコにおいても「イスラーム的な商品」の製造、他国への輸出が行なわれているなど、フィールドに根ざした積極的な情報交換が行なわれた。

 栃堀木綿子氏(京都大学)の "al-Amir 'Abd al-Qadir al-Jaza'iri's View of Religious Practice: With Special Reference to Jihad in 'Kitab al-Mawaqif'" は、19世紀のアルジェリアにおいてフランスの植民地支配に抵抗した、アブドゥルカーディル・ジャザイリーの著したKitab al-Mawaqifのなかから彼のジハード観を考察し、実践のなかでいかに反映されているのかを明らかにする発表であった。アブドゥルカーディルは前者を武器によって不信仰者と戦うことと定義し、後者を自らの悪しき魂と戦うことと定義している。このようなジハード観は両者を断絶したものとみなすものではなく、むしろ悪と戦い、善を求めるという点で共通しており、有機的に連関している。アブドゥルカーディルはジハードが達成されるための実践として、彼は「宗教」と「ヒジュラ」をキー・ワードにした。彼にとっては、ただ「宗教」のみがフランス軍に対抗する手段であり、人々を一つにまとめるために不可欠であった。発表者によれば、アブドゥルカーディルのコンテクストにおける「ヒジュラ」とは、彼がフランス軍に対する徹底的戦闘によるジハード(小ジハード)による死を呼びかけたにもかかわらず、フランス軍を逃れてモロッコへ逃れたことに対してなされた主張であるという。すなわち、彼はフランス軍による占領による危機的状況とアブドゥルカーディルの脱出を、預言者ムハンマドのマッカからマディーナへのヒジュラに見立てる必要があったのである。彼は「ヒジュラ」の語を使用することによって、神へ達するという精神的側面を強調し、さらに預言者に倣い、ジハードを再開するという実践的側面を主張した。こうした考察から、結論ではアブドゥルカーディルが「宗教」や「ヒジュラ」などの宗教的実践の概念を使用しながらジハードを論じるなかで、彼の行動実践に反映されていることが論じられた。討議においては、アブドゥルカーディルに影響を与えた歴史的事件の有無や、アブドゥルカーディルの今日的意義などに関する質問があった。また、本文中で "religion" と翻訳された "din" の語に関して活発な議論が行なわれ、フロアからは同様の例として "tasawwuf" が現代において "mysticism" と同義で使用されていることが指摘され、アブドゥルカーディルのコンテクストと近代的枠組みによる解釈、あるいは翻訳の難しさを改めて振り返る討議となった。

報告者:(澤井真・東北大学大学院文学研究科博士後期課程)

報告2:
 ワークショップの第2部においては、4名の発表者が "Reinterpreting Islam for Modern Societies" というテーマに基づいて、発表を行なった。

 清水雅子氏(上智大学)は "Dynamics of Palestinian Politics and Hamas's Changing Participation: Mechanisms and Processes of Concluding Cairo Declaration" と題して、ハマース(イスラーム抵抗運動)のパレスチナ自治政府に対する政治参加のプロセスと指導者の政治戦略を考察した。発表者は考察の対象を、ハマースやPIJ(Palestinian Islamic Jihad)の政権参加に同意したカイロ声明(2005年)に据えた。まず、ハマースの政治的立場を理解するために、その形成の経緯としてハサン・バンナー(Hasan al-Banna)によるムスリム同胞団の成立過程が考察された。その目的は大英帝国などの外国の脅威に対抗し、さらにイスラーム復興を実現することにあり、「国内」の政治に携わることは必ずしも不可欠なものではなかった。それに対して、ハマースはに明らか「国内」の事業に携わっていることを目的としていた。その後、発表者はハマースの政変参加に関する指導者たちの発言やハマース側の思惑の違いなどの政治的背景を踏まえたうえで、2000年9月のアクサー・インティファーダを契機に進められたカイロ対話へと考察を進めた。2002年から2006年に4回にわたって行なわれた対話はカイロ声明としての成果を生んだ。この声明はパレスチナ人がイスラエルに抵抗する権利や祖国へ戻る権利や、比例制の導入やハマースやPIJを含む派閥の参加を認めるPLOの選挙法の改正など6項目から成っている。発表者の論じるところによれば、この声明の意義は「抵抗の権利」に言及したことにある。さらに、PLOの改革によってハマースやPIJがPLOの地位を容認したように、このカイロ声明はハマースとPLOの妥協の産物であった。このことに関して、PLOのアッバースは選挙法の改正を非難され、イスラエルやアメリカはその声明を快く思わなかった。このような一連の経緯を詳細に記述した後に、結論において発表者は、カイロ声明がハマース側に多くの実りをもたらし、ハマースを少数派から主流派へ引き入れたこと、さらにハマースのイスラーム組織としての活動やイスラーム主義者の登場が多くの有権者を獲得することになったことを指摘した。討議においては、ハマースとエジプトの関係性、さらにハマースとファタハ(パレスチナ解放運動)の関わりについての質疑応答があった。

 福永浩一氏(上智大学)の "Hasan al-Banna's Historical Perspective and Its Meaning for the Revival of Islam: A Brief Examination of his Tract 'Between Yesterday and Today'" では、ハサン・バンナーの著した小冊子である "Between Yesterday and Today" における彼の歴史的パースペクティヴとその意義が考察された。発表者は小冊子の全体の構成が示したのち、各章で論じられている内容を中心に、彼の歴史的パースペクティヴを説明した。冒頭において、バンナーはクルアーンを取り上げ、クルアーンが「それ以前の暗黒の過去と東洋の輝かしい未来」のあいだを決定的に分かつものであることを論じた。発表者の指摘によれば、彼はイスラーム以前には何ら関心を向けていないという。その小冊子の第4章において、バンナーは初期のイスラームを取り上げ、その成功が教義への専心と自らの宗教への理解にあることを論じている。さらに、彼は初期イスラームのムスリムたちがユダヤ教やキリスト教などの他宗教と接触していたにもかかわらず改宗せず、逆に多くの人々をイスラームへ改宗させることに成功したことに言及する。第6章では、イスラーム的状況の衰退が十字軍やモンゴル民族の侵入、そしてヨーロッパの支配によって生じていることが述べられ、ヨーロッパの戦争はムスリムに独立と統一の機会を与えるものであることが示される。発表者が指摘するように、バンナーの視点は歴史のダイナミクスを政治的な要因というよりも、人々の道徳的特徴に置かれている。したがって、イスラームの内的衰退はクルアーンのメッセージの無視や、自己に内属するさまざまな要因など、内部に起因していることがバンナーによって論じられる。バンナーはイスラーム的状況を回復するためにも外的勢力から独立し、自由になることが不可欠であると考えた。西洋文明に対するイスラーム的状況の回復のために、映画やダンスホールばかりでなく、西洋の物質主義もまたムスリムの宗教的信仰や固有性を破壊するという疑念を抱き、彼はシャリーアを固守することを強調した。結論において、発表者はバンナーの視点が歴史に関する著書としての価値はないが、イスラーム世界と西洋文明の状況に関する洞察を提示していること、さらにイスラームの歴史と西洋文明について論じている他の思想家との比較が有用であることに言及した。討議においては、バンナーの考えが次世代に受け継がれたのかどうかに関する質問や、彼の使用する "watan" の語と "umma" の語についての質問があった。それに対して、発表者より彼の考えが彼の信奉者たちに継承されたこと、バンナーの文脈においては両者がほぼ同義で使用されていることが補足された。

 白谷望氏(上智大学)の "Political System and Islam in Morocco: Coexistence and Opposition between the King and the 'Party of Justice and Development'" は、モロッコ王政の抱える政治的状況のジレンマを、最大政党のイスラーム主義政党PJD(Party of Justice and Development)が次第に影響力を強めていく過程を中心に考察するものであった。モロッコはオスマン帝国の支配下を逃れ、スルターンの統治体制を維持していたが、都市部以外は家父長制による諸部族の統治が行なわれていた。発表者は、この統治の状況は諸部族がスルターンを信仰的指導者として認めているのであり、彼らはスーフィーの指導者と結びついてスルターンから独立していたことを指摘した。フランスによる支配の際にスルターンは政治的道具となったが、王は自らを預言者ムハンマドの系譜を継承する信仰的指導者であること、モロッコにおけるイスラームの庇護者であることを主張することで、フランスからの独立のシンボルとして大衆の支持を集めた。この状況において、王政はあくまでイスラームを基盤としており、イスラーム主義グループがその状況を下支えしていた。1980年代終盤のモロッコ軍と隣国アルジェリアのイスラーム主義者たちとの軍事衝突は、モロッコ王政は2つの脅威、すなわち国内で急速に拡大していた左翼主義者と、王政を脅かすであろう自国のイスラーム主義者に対する対応に迫られていることを気づかせた出来事であった。発表者は1997年にPIJの発足と政界へ参入がこの延長線上にある出来事であることを示唆し、PIJの政治的勝利の過程へ考察を進める。PIJは1997年の発足当初は9議席であったが、2007年では46議席と議席数を急激に伸ばした。発足当初、王との会合のなかで、PIJが王の政治的権威とその政治体制に同意するという基本方針が定められた。しかしながら、その後、PIJとMUR(Movement of Unity and Reform)との政治的対立を深めるなかで起きた2003年のテロ以降、PIJの宗教問題に対する主張は変化する。結論において、発表者はPIJのイスラームに関する非言及や、政党のイメージを変えるためのイスラーム政党というアイデンティティーの放棄が、政治関係者ばかりでなく、イスラーム主義者の分裂も引き起こしていることを論じた。討議では、PIJとMURが発足するまでの経緯やそれらの主な支持層、さらにはテロ後のPIJの指導者がいかに対応したのかについての質疑や補足説明が行なわれた。

 藤井千晶氏(京都大学)の "'The Medicine of the Sunna' on the East African Coast: In the Tide of Islamic Revival" は、東アフリカ沿岸における「伝承(Sunna)の医学」の実践状況について明らかにするものであった。まず、発表者のフィールドワークの拠点であるタンザニアのザンジバルについて説明された。続いて、伝承の医学とスワヒリ語で治療を意味するウガンガ(uganga)についての比較がなされた。「ウガンガ」はズィクル、占い、さらには歌などの「預言者の医学」によって病を治療する。歌を除き、そうした治療法はイスラーム的な要素に基づいている。それに対して、伝承の医学はイスラーム的ではないものや預言者ムハンマドの時代以降に付加されたものを排除するという点でウガンガよりもイスラームに制限されている。発表者によれば、両者には多くの共通点があるものの、伝承の医学はウガンガよりもクルアーンを強調しているという。続いて、実際に治療中の動画を交えながら伝承の医学の治療が考察された。治療において、患者は足をマッカの方角へ向け、大音量のクルアーンのテープやCDをスピーカーやヘッドフォン越しに聴く。そのあいだ、患者はクルアーンの朗誦に集中するために目隠しをする。こうした治療によって、ジニ(jini:アラビア語のジン(jinn)から派生)を体内から追い出すことができると考えられている。発表者によれば、伝承の医学の治療者の多くはザンジバルで生まれ、多くはモスクやクルアーン学校の教師であるという。また、彼らはサリムという男性の診療所で学んだり、彼の著書を読んだりして伝承の医学の治療法を修得している。彼らの治療法はクルアーンやハディースに基づいており、ジニが病気の原因とみなす点や、クルアーンを朗誦し、ハーブを使用することによってジニに対処する点は共通している。次に、発表者はフィールドにおける伝承の医学とウガンガの関わりについて、"Ansar Sunna" と呼ばれる人々に焦点をあてる。サウディアラビアなどの国々から招聘された彼らは、ウガンガを改革し、それから預言者の時代以降に付加された要素を排除した。発表者はこの一連の過程から、結論において、伝承の医学とは様々な要素を含むウガンガを再形成であると述べ、ウガンガに見られるように、世界中で見られるイスラーム復興の潮流は「伝統」の再形成を含んでいることを示唆した。討議においては、伝統の医学と近代的な医療体系の関係性や、伝承の医学の治療費などに関する質問があった。それらに対して、発表者はタンザニアが社会主義国であるために病院の治療費は無料であることを述べたうえ、それが近代的医療体系とは矛盾しないこと、さらに伝承の医学の治療費は流動的であることを説明した。

報告者:(澤井真・東北大学大学院文学研究科博士後期課程)

  報告3:
 第三部「越境するイスラーム」においては、アクマド氏、安田氏、木下氏による三つの報告が持たれた。アクマド氏の報告は、Abdlemajeed Deguro Ansano(1943-2007)の事例を中心として、現代フィリピンのウラマーによるイスラーム世界の正史書に関する執筆活動を考察するものであった。氏はその考察の意義を、各ウラマーの思想、立場の違いによって生まれる、現代フィリピンにおける「イスラーム」の位置付けへの指向性の差異を確認することに見ており、上述のAnsanoと世俗主義的立場に親和的な学者との著作の比較をその主たる内容とした。中心となるAnsanoに関しては略歴が丁寧に整理されており、また著作についても分かり易くその内容が説明された。Ansanoが著作に同時代的な意義を持たせることに努めた背景をうかがうこともでき、現代あるいは東南アジアを専門としない聞き手にとっても大変興味深いものとなったのではないかと思われる。

 安田氏の報告は、現代シリアのシーア派参詣の宗教的意義を考察するものであった。氏はサイイダ・ザイナブ廟の巡礼に代表される当該のシーア派参詣を宗教行事の観光/商業化、巡礼と観光の二分法、あるいは聖俗二分法で捉えるかといった先行研究の視点を紹介することから始めた。その上で、上述のものを含む事例を現代シリア政治史におけるシーア派の位置付け、国策としての参詣事業推進、またハッジ以外の巡礼習慣を持つシーア派の伝統から、多角的に検討した。報告の内容は、シリアのシーア派参詣に関連する事情や対象を網羅的に説明するものであったため、個々の比較に踏み込むには至らなかったが、今日シリアを始めとした中東のスンナ派世界で注目を集めているシーア派の活動を垣間見せてくれる、意義深いものとなった。

 木下氏の報告は、今日のエジプトにおけるインドネシア人のアズハル大学への留学状況について考察するものであった。中東のイスラーム教育機関で学業を修めた東南アジアのムスリムが帰国後に母国で社会的影響力を持ち得ることについての先行研究を受けて、氏は留学生たちのカイロでの生活(連帯)状況、カイロ社会と留学生の互恵状況(あるいはその逆)にまで調査対象を広げた。カイロでの実地調査の結果として提示された、氏自身も「留学生」の一人として拾い集められたインドネシア学生のアズハル留学への意識やカイロ生活の印象についての声は興味深く、「非中東地域在住ムスリムの中東志向」という風にややもすると一面的になりがちなムスリム諸国の相互状況を具体的に示してくれる報告となった。

 

報告者:(高尾賢一郎・同志社大学大学院神学研究科博士後期課程)

全体報告:
 今回のワークショップは非常に活気に満ちたものであった。発表者が11名に及び、その全員が若手研究者であったことが本ワークショップに活力を齎した最たる理由であるが、発表者各々の研究テーマ、ディシプリンの多様さがその活力にさらなるダイナミズムを与えたことも確かである。

 ワークショップは三部に別れ、午前に第一部"Islamic Traditions Revisited"、昼食後に第二部"Reinterpreting Islam for Modern Societies"、最後に第三部"Islam across Borders"、総合討論の順に行われた。第一部では、若松氏、石田氏、野辺地氏、栃掘氏が、各々の研究テーマを事例にしてイスラームの伝統を振り返り、第二部では、清水氏、福永氏、白谷氏、藤井氏が個々の研究テーマに基づいて伝統的なイスラームが近代を迎えていかに再解釈されたかを検証し、最後に第三部では、Adam氏、安田氏、木下氏が各自の研究テーマを事例として取り上げ、近代以降各地で再解釈されたイスラームが境界を越えて新たな動きを示していることを明らかにした。

 若松氏("A Study of Social Structure in Eastern Turkey: An Analysis of the Ocaks of Kurdish Alevi People")は、東部トルコのクルド系アレヴィーの人々がocakという社会組織を通じて彼ら自身のアイデンティティを形成していることを論じた。石田氏("The Types of Lata'if in Sufi Psychology")は、スーフィズム古典史料を用いて初期スーフィズム(~10世紀頃)の霊魂論/心理学の類型化を試みた。野辺地氏("Islam and Consumer Goods: Production and Use of Luchy Charms in Iran")は、現在、イランのテヘランとコムで大量生産されている宗教グッズ(Lucky Charms/お守り)の生産・交換・消費の実態を自身のフィールド調査を基に明らかにした。栃掘氏("al-Amir 'Abd al-Qadir al-Jaza'iri's View of Religious Practice: With Special Reference to Jihad in "Kitab al-Mawaqif")は、アブド・アルカーディル・アルジャザーイリーのジハード概念と彼の宗教的実践の関係を論じた。

 清水氏("The Dynamics of Palestinian Politics and Hamas's Changing Participation: Mechanisms and Processes of Concluding the Cairo Declaration")は、カイロ宣言(2005年3月17日)に焦点を当て、ハマスがパレスチナの選挙に支障なく参加できた要因を分析した。福永氏("Hasan al-Banna's Historical Perspective and Call for the Revival of Islam: A Brief Examination of His Tract "Between Yesterday and Today")は、1939年にバンナーによって書かれた小冊子を用いてバンナーの歴史観・西洋観、彼のイスラーム復興に対する捉え方を考察した。白谷氏("Islam and the Political System in Morocco: Strategy of the King and Dilemma of the "Party of Justice and Development"")は、王の戦略とその戦略で揺れる公正発展党を取り上げ、モロッコにおけるイスラームと政治体制の関係を論じた。藤井氏("Practice of "the Medicine of the Sunna" on the East African Coast during the Tide of Islamic Revival")は、東アフリカ沿岸部において、伝統的な民間医療がイスラーム復興の影響を受けて変容していることを参与観察に基づいて明らかにした。

 Adam氏("Contemporary Philippine Muslim Historiography: Ulama's View of Philippine Muslim History as Seen in the Works of Abdulmajeed Ansano")は、アブドゥルマジード・アンサノという一人のフィリピン人ムスリムの著作の分析を通してウラマーによるフィリピン人ムスリムの歴史観を考察した。安田氏("The Result of the Tourization of Religious Visits: A Case Study of Syrian Sh'ite Ziyara")は、近年シリアで活発化しているシーア派による参詣の観光化の要因を分析した。木下氏("Discovering the Diversities of Indonesian Islam in Contemporary Cairo: The Case of the Indonesian al-Azharite Community")は、アズハルのインドネシア人留学生のコミュニティに焦点を当て、現代カイロにおけるインドネシア人イスラームの多様性を考察した。

 総合討論では、理論と実践の乖離及び日本人研究者がイスラーム地域研究にいかなる貢献がなしうるかが問題点として議論された。前者の問題は、本ワークショップ発表者11名の研究対象地域・ディシプリンの多様さに関わるものである。個々の発表は、若手研究者諸氏が各自の研究対象地域・研究関心領域について質の高い研究を行っていることを示すものであり、日本のイスラーム地域研究がその歴史を蓄積し、研究を深化させてきたことを証明するものと言えよう。しかしながら、本ワークショップを全体として見た場合、発表者が多く、時間も立て込んでいたために発表も質疑応答も慌ただしく、やや流れ作業のような観を呈したのは否めない。 そのために、おそらくは過去、現在、未来を見据えたはずの三部の構成には、相互の有機的な関連性が十分に考慮されていない印象を受けた。個々の研究はそれぞれに興味深いものであったが、全体的に個別研究の普遍化が不足していたように思う。後者の問題は、本ワークショップのテーマを超えており総合討論でも明確な答えは出なかったが、要するに日本人研究者がイスラームを研究する意義はどこにあるのかという問いであり、日本人研究者各自が今後も考えていく必要がある。もとより若手研究者は、当面、各自の研究テーマを掘り下げることで手一杯であろう。しかし、今後、研究の深みとともに水平的な視野の広さへの要求はますます高まっていくであろう。若手研究者諸氏の今後の研究の発展に期待するとともに本ワークショップが諸氏の活発な議論によって活況を呈したことを多としたい。

 

報告者:(茂木明石・上智大学アジア文化研究所リサーチ・アシスタント)

 





KIASユニット1-5・東京外国語大学科学研究費基盤(A)「現代アジア・アフリカ地域におけるトランスナショナルな政治社会運動の比較研究」共催国際ワークショップ
(2010年2月6日 於東京外国語大学)

タイトル:"Conflicts, State-building, and Civil Society in the Muslim societies"

Program:
The Day 1st: 6th February

10:15 - 10:30 Opening remarks
Prof. Keiko SAKAI, Prof. Yasushi KOSUGI

10:30 - 12:30 Special Lecture by Prof. Salwa ISMAIL (SOAS, University of London)
"New Trends of Islamization in the Middle East: A Political Economy View"

13:30 - 16:30 Panel 1
Speaker 1: DAI Yamao (Kyoto University)
"Why State-building Policy got confused?: Iraqi Islamists from Historical Perspective "
Speaker 2: Junichi HIRANO (Kyoto University)
"Islamic Rapprochement Movement in the Mid-20: Towards a Historical Fatwa by Mahmud Shaltut"
Speaker 3: Rateb Muzafary SAYED (TUFS)
"Presidentialism in a Divided Society/ Afghanistan 2004-2009"

16:45-18:45 Panel 2
Speaker 1: Shirine JURDI (TUFS)
"Empowerment of Women: Literature Review"
Speaker 2: Shiho SAWAI (TUFS)
"Women's Liberation or Containment? Social Organization of Indonesian Muslim Female Domestic Workers in Hong Kong"

Day 2nd: 7th February

9:30 - 12:30 Panel 3
Speajer 1: Intissar Al-FARTTOOSI (TUFS)
"Internal Forced Displacement : as a result of Political Mobilization in Iraq post 2003 "
Speaker 2: Yushi CHIBA (Kyoto University)
"Media and Society in Contemporary Egypt"
Speaker 3: Ai KAWAMURA ((Kyoto University)
" Re-Islamization of Finance and the Related Legal Issues: From a Regional Comparative Perspective "

13:30-15:30 Panel 4
Speaker 1: Emiko SUNAGA (Kyoto University)
"Islamic Revival in South Asia: A Case of Pakistan"
Speaker 2: Hasibullah MOWAHED (TUFS)
"The Emergence of Maktab-e-Tauhid (Monotheism School) in Afghanistan: A New Trend in the Sufism Thought"

15:45-18:45 Panel 5
Speaker 1: Hiroshi YOSHIKAWA (Kyoto University)
"Yemen's Foreign Policy and Strategy as an Aid Recipient"
Speaker 2: Shizuka IMAI (Kyoto University)
"Breakdown of the Middle East Peace Process and Redefinition of Jordan"
Speaker 3: Mohamed Omer ABDIN (TUFS)
"Sudan"

18:45-19:00 Closing remarks

 本ワークショップでは中東政治の専門家であるロンドン大学のサルワ・イスマイル教授を迎え、ムスリム社会、国家、紛争に関連した事例を採り上げ、比較検討することを目的とした。2日間で5つのセッションが組まれた。まず、イスマイル教授によるキーノート・スピーチでは、シリアやエジプトの事例をもとに中東におけるイスラーム化の新たな潮流が紹介された。また、ジェンダーの観点からも中東の政治経済についても触れられ、参加者からの質疑応答により議論が深められた。

 第1セッションではイラク・イラン・アフガニスタンなどを事例に中東政治に関する報告がなされた。イラクに関する報告は、戦後の連立政権の中核を占めるダアワ党とSCIRIのあいだに国家建設をめぐる根本的な対立が生じた理由を、反体制活動期の性格の分岐にさかのぼって明らかにしようとした。また、報告中、イラク人としてのアイデンティティについても言及された。これについてイラク性の定義を明確にすべきである、またダアワ党が重要であることにもさらなる説明が必要であるとのコメントが附された。続く発表は、マフムード・シャルトゥートのファトワーに着目して、諸法学派が近接する歴史的推移が論じられた。特に、シャルトゥートのファトワーが国際政治、とりわけイラクやイランの政治変動との関連で議論され、その枠内でファトワーがどれだけ効力を持ったのかが詳細に述べられた。次の報告では、2004年から2009年までのアフガニスタン大統領制をアメリカの大統領制と比較して論じつつ、アメリカの影響下でアフガニスタンの大統領制が安定している背景には、カルザイ大統領の指導力があることが示された。この報告に関しては大統領制が安定しているメカニズムを、たんにアメリカの大統領制との比較だけで説明するのは不適切ではないかというコメントが出された。

 第2セッションでは、レバノンと香港を事例にジェンダーに関する報告がなされた。まず、レバノンにおける女性の政治参加について、法律などの公的側面と女性の社会的立場に焦点を当てた私的側面の二つの側面からアプローチした報告がなされた。本報告は、女性のエンパワーメントの効果を説明するにあたって、上述の公私二つの側面を考慮に入れた場合、ジェンダー関係はゼロサムゲームではなく、むしろ非ゼロサムゲームであると主張した。これに対し、ジェンダー関係はやはりゼロサムゲームなのではないかという議論が展開され、どのレベルでゼロサムか非ゼロサムかを決定するのかという点に課題が残った。続いて、インドネシアから出稼ぎや移民で香港に渡航したムスリム女性たちの自由や彼女たちが抱える異性問題に関する発表がなされた。この報告に対しては、フィールドワークで得た情報が特殊な事例なのか一般的事例なのかを明確にする必要があるとのコメントがなされた。

 2日目に、残る3つのセッションが行われた。第3セッションはイラク・エジプト・湾岸諸国の政治経済がテーマである。まず、2003年以降のイラク国内避難民に関する報告がなされた。本報告では、キリスト教徒、イスラームのシーア派・スンナ派に対するインタビューをもとに、非正規軍が人々の日常生活を脅かす存在となっていることを論じた。この発表に対し、イラクの政治構造が明確に提示されているものの、個人ではなく、各コミュニティが非正規軍をどのように見ているのかという面に関して情報が不足しているとのコメントが附された。続く報告では19世紀から20世紀にかけてのエジプトにおけるメディアの変容が題材となった。メディアの発展と国家のメディアコントロールの相互作用を考慮に入れながら、テレビ、新聞やラジオなどのメディア媒体を中心にエジプト近代メディアの歴史的発展が概観された。報告者のエジプトメディアのデータ分析から報告者の問題意識がかなり明確にうかがえるが、問題の絞り込みが必要ではないかとのコメントがあった。第三の報告は、イスラーム金融に関するものである。イスラーム法と西欧法をモデルとした法が並存した場合、金融関係で問題が起こったときの民事解決において弊害が生じるといった事例が中東諸国やマレーシアで見られることが報告され、イスラーム金融の将来的発展のためにはこうした問題にどのように対処するかが課題であるとの見解が示された。エジプトの事例でとりあげた貯蓄銀行の設立背景や当事者の状況、そしてそうした事例がイスラーム金融の理論的発展に寄与する点があるのではないかなどの諸点が報告後に議論された。

 第4セッションは、パキスタンやアフガニスタンの思想潮流を主題とした。パキスタンのイスラーム復興を論じた第一の報告は、パキスタンの失われた時代といわれる1960年代に着眼し、1970年代にイスラーム復興が生じるまでの伏在的なイスラームの潮流を探索した。具体的にその作業は1960年代のイスラーム学者の出版物から、パキスタンにおけるイスラーム復興の動向を解読し、彼らの影響力を考察することで行われた。次に、アフガニスタンでのファイザーニーのスーフィズム思想に関して報告がなされた。ファイザーニーの生い立ち、著作が概観され、彼の思想の真髄が書かれていると目される『クルアーンからみた世界』と『ズィクルを行う者どもの証』の内容が紹介され、人間として正しい行為が何かをファイザーニーがどのように説いたのかをわかりやすく図式化され説明が加えられた。本報告について、ファイザーニー、ひいてはこの時代の思想家をスーフィーか否かを判定する基準に関して突っ込んだ議論がなされた。

 第5セッションは、イエメン・ヨルダン・スーダンの外交政策について報告された。被援助国であるイエメン外交の戦略について報告では、イエメン政府は、国際社会からの支援を獲得するために、民主化の優等生としてのパフォーマンス、テロとの戦いへの協力姿勢などを効果的に利用しているさまが紹介された。続いての報告では、パレスチナ人ヨルダン居住者の直面する国民性やアイデンティティ問題にアプローチした。彼らは、新たな国ヨルダンで新たな国民性を形成する一方で、パレスチナ人としての意識を持ち続けており、どちらを選択するか現状が浮き彫りとなった。本報告に対して、ヨルダン人としての国民性やアイデンティティとは一体何を指すのか、それははっきりと規定できるものなのかコメントがなされ、アイデンティティが形成される際の要素は何かなどについて議論がなされた。続いて、スーダンの国民選挙について報告がなされた。本報告ではスーダン政府が包括的平和協定(CPA)締結後、初めての国民選挙が2010年4月に実施されることを受け、国民選挙の結果、民主化と国家統一が同時に実現するか否かの予測が行われた。選挙に出馬する政党の利益関心やCPAの枠組みでは民主化と国家統一が同時に実現する可能性が低いが、可能性がゼロではないことが示された。本報告に対して、スーダンの民主主義の定義や民主主義と国家統一の原理が、同時に実現不可能である根拠について議論が展開された。

 多様なテーマや地域に触れ、異なるディシプリンを持つ報告者が中東経済史研究の最先端で活躍するイスマイル教授をはじめとする研究者からコメントを受けることができ、非常に有意義なワークショップとなった。

報告者:川村 藍(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)






カイロ国際会議
(2009年12月13日 於Marriott Hotel, Cairo)

タイトル:"Parallel Session 3A: Islamic Economics in the Age of Globalization"

Convenor and Chairperson: KOSUGI Yasushi (Kyoto University, Japan)

Speakers:
1.Abdel-Rahman Yousri (Alexandria University, Egypt)
"Methodology and Philosophy of Islamic Economics"
2. NAGAOKA Shinsuke (Kyoto University, Japan)
"Conflict and Coordination between Economic Feasibility and Sharia Legitimacy in Islamic Finance"
3.Mehmet Asutay (Durham University, UK)
"Endogenising Ethico-Moral Dynamics in Corporate Governance for Islamic Finance Institutions: Maslahah-Based Approach in Stakeholder Management"

Discussant:
Shehab Marzban (Durham University, UK)

 当パネルは、グローバル化のなかで活発に活動し、世界的にも注目度の高いイスラーム経済をテーマとした。まずチェアマンの小杉泰氏が、イスラーム経済の発展を見ることによって、現代のグローバル化時代における近代資本主義とは違った経済・金融システムの実態を明らかにすることに当パネルの目的および意義があると述べた。

 第1スピーカーのアブドゥル・ラフマン・ユスリー・アフマド(Abdel-Rahman Yousri Ahmed)氏は、イスラーム経済の歴史的発展を概観しながら、現代におけるイスラーム経済の意義および課題を論じた。発表者はイスラーム経済の特性として、人間の欲望を前提とする近代資本主義とは大きく違い、正義と道徳を重視する持続的な経済体系である点を挙げ、イスラーム経済の特性を、クルアーンやハディース、中世の著作から明らかにした。そのような歴史的背景を踏まえたうえで、現代におけるイスラーム経済の発展を、1976年のマッカ会議とその後のイスラーム金融の動きを中心に論じた。そして、現代におけるイスラーム経済の発展のなかから、正義と道徳を重視していることは価値あることだが、それとともに、現実に適用させるために、現実を踏まえた標準化された経済理論の確立がイスラーム経済の課題であると締めくくった。

 続いて第2スピーカーの長岡慎介氏は、中東と東南アジアのイスラーム経済の事例を検証することによってイスラーム経済の多様な実態を明らかにした。この発表の要点は、現代イスラーム経済が、シャリーア重視派(Sharia Legitimacy Condition)と利潤重視派(Economic Feasibility Condition)の相克によって発展してきたことの指摘にある。発表者は、シャリーア重視で実践されていると思われがちなイスラーム経済は、実は利潤重視派が存在したからこそ現在のような活況にあることを強く主張した。それは現実的な経済的活況だけではなく、イスラーム経済の理論的発展にも寄与している。特に、1980年代から現在に至る東南アジアを中心に展開した利潤重視派の活動は、シャリーア重視派との軋轢を生みながらも、活発な議論を生み出し、経済的発展だけでなくイスラーム経済の理論発展に寄与してきたことは特筆すべきである。

 第3スピーカーのメフメト・アスタイ(Mehmet Asutay)氏は、イスラーム経済における利害関係者管理(stakeholder management)のための新たな方法論として、マスラハ(公共利益・社会福祉)概念の有効性を論じた。近年の世界金融危機は、金融における利害関係者管理に問題があったことに一因があると発表者は考える。さらに、その背景には、従来のアングロ・サクソン的経済学理論が持っている理論的欠陥があることを指摘し、利害関係者管理に関する新たな方法論を提示する必要があると主張する。そこで発表者は、公共利益・社会福祉をベースとした利害関係者管理に関する経済理論を構築することが有効であるとし、イスラーム経済においてもマスラハをベースとした経済理論の構築を急ぐべきであると述べた。だが、この新たな経済理論を構築し浸透させるためには、まだまだ障害が多く、解決しなければならない課題も多いので、今後の研究の蓄積が待たれると締めくくられた。

 その後コメンテーターのシェハーブ・マルズバン(Shehab Marzban)氏が、それぞれの発表者の議論をまとめたうえでコメントしていった。発表者たちがあまり触れなかったグローバル世界のなかにおけるイスラーム経済の位置づけや、ワクフの問題についても有益な問題提起がなされた。

 最後に、報告者の当セッションの印象について付記する。本セッションはイスラーム経済という特定の現象について様々な角度から盛んな議論が交わされたが、発表者の間には共通する問題意識があるように感じた。それは、弊害が指摘されながらも、まだ乗り越えられていない近代資本主義をどのように克服すべきか、そして近代資本主義に変わる経済システムをいかに構築するべきか、という点である。イスラーム経済という事例を取り上げながらも、その背後には近代資本主義を越えた先に経済面でどのような世界を構築するのか、という切迫した問題意識である。その点で、本パネルは今後のイスラーム経済研究、さらには現代の経済学と経済システムそのものの問い直し、修正に繋がる重要な議論であったのではないか、と考える。今後のイスラーム経済研究の発展に期待したい。

報告者:安田 慎(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)






SIASグループ1・SIASグループ3・KIASユニット4共催国際ワークショップ
(2009年11月28日 於上智大学)

タイトル:"Sufism in Kashmir"

発表1 清水学(帝京大学)
"Introduction to Kashmir"

発表2 Maqsooda Shiotani(カシミール大学)
"Tradition of Sufism in Kashmir with special reference to Shaikh Yaqub Sarfi from Kubravi order"

Commentator:
私市正年(上智大学)
Zubaidullo Ubaidulloev(ズバイドゥッロ・ウバイドゥロエフ)(筑波大学大学院)

 カシミールのスーフィー伝統と題された報告会にあたって、まずは清水氏から、カシミール地方の概要についての簡単な紹介が行なわれた。カシミール地方はインド、パキスタン、チベットに及ぶ広大な山岳地帯を指し、複数の国に領土として属する。今日ではいわゆる「カシミール問題」について言及されることによって、同地方はインドとパキスタン、また中国の外交についての考察にとっての一大注目地となった。そしてインドからのパキスタンの分離・独立を経た後、カシミールは宗教的な意味でのアイデンティティ選択を政治的な意味でも個々人の実存的な意味でも迫られることになり、今日その情勢は依然として複雑さを孕んでいる。

 そうした複雑なカシミール地方の宗教状況についての説明を受けて、マクスーダ氏の報告は近現代カシミールにおけるスーフィー教団、聖者信仰の状況を述べるものであった。カシミール地方におけるスーフィー教団は、地域社会の人々の間の同胞愛や同族意識を育む役割を果たすものであり、そこに携わる人々は聖者と呼ばれ続けてきた。同地方のスーフィー教団の伝統は、13世紀に中央アジアからスフラワルディーが到着したことが時代考証によって明らかにされており、それを指導するシャイフは、時の権力者が仏教から改宗するほどの影響力を当該社会において持ち得ていた。また14世紀にはクブラヴィーが到着し、当時のシャイフであったミール・サイイド・アリー・ハマダーニーは、カシミールにおけるイスラーム伝統形成の立役者として、同地にイスラーム教育を提供する私塾を設けることに努めた。そうしてついに、リシ(Rishi)と呼ばれる現地の人々による、生粋のカシミールにおけるスーフィー教団が誕生するのである。ムスリムとヒンドゥー教徒が居住していたカシミール地方だが、リシの地では双方ともに同じリシ教団の聖者を崇敬しており、教団の聖者は、詩歌によってそのメッセージを人々に伝え、それらはイスラームに言及しつつも異なる宗教の人々を横断するものとして発せられた。また影響力を持った地元の聖者の存在により、カシミールでは聖者廟参詣の習慣が自然と定着した。またそれと並行して、地域の人々が参加する祭りが廟を中心で行なわれるようになった。

 報告会の目的の一つは、カシミール地方の事例を元に、同地のスーフィー伝統を他のスンナ派世界の地域と比較することであったが、それを念頭においた参加者は近現代のスーフィズム・聖者信仰についての情勢の変容をカシミール地方がほとんど経験しなかったことに驚かされた。スーフィズム・聖者信仰に限らず、近現代(の地域社会)を専門とする研究者であれば、「近代」を宗教情勢にとっての一つのパラダイム転換、あるいは否応無くその変容を迫られた時代と見て、「近代」の前と後との差異に着目するのが通常であろう。しかしながら、カシミール地方についてのマクスーダ氏の報告はそうした関心の網の目を抜けながら、連綿と続くものとしての「伝統」の在り方を示してくれるものであった。

報告者:高尾賢一郎(同志社大学大学院神学研究科博士後期課程)






KIASユニット5「イスラーム経済」国際ワークショップ
(2009年11月26日 於京都大学)

タイトル:"Islamic Economics Workshop on Regional and Historical Diversities of Islamic Finance"

Program:
14:00-14:10 Opening Remarks

14:10-15:40 Main Session
Convener: Prof. Yasushi Kosugi (ASAFAS, Kyoto University)
Speech 1: Dr. Noor Inayah Yaakub (UKM-Graduate School of Business, Universiti Kebangsaan Malaysia, Malaysia)
"Islamic Banking Law in Malaysia"
Speech 2: Dr. Shinsuke Nagaoka (JSPS at CSEAS, Kyoto University)
"Re-Evaluating Malaysian Islamic Finance Practice: From the Multiple Diversity Perspective"
Speech 3: Dr. Wan Kamal Mujani (Faculty of Islamic Studies, Universiti Kebangsaan Malaysia, Malaysia)
"The Economic Decline during the Medieval Ages: A Focus on theMamuluk Period in Egypt (1468-1517)"

16:00-16:50 General Discussion
16:50-17:00 Closing Remarks



 本ワークショップ(Islamic Economics Workshop on Regional and Historical Diversities of Islamic Finance)は、マレーシア国民大学(UKM)ビジネス・スクールに所属するNoor Inayah Yaakob氏と同大学(UKM)イスラーム学部に所属するWan Kamal Mujani氏を招いて開催された。また、ゲストコメンテーターとして、サウディアラビアのキング・アブドゥルアズィーズ大学イスラーム経済研究センター(King Abdulaziz Univesity Islamic Economics Research Centre)でセンター長を務めているAbdullah Turkistani氏が出席した。

 本ワークショップでは3つの報告が行われた。Inayah氏による"Islamic Banking Law in Malaysia"ではマレーシアで制定されたイスラーム金融関連法と既存の金融関連法の関係を採り上げ、イスラーム法の原則が既存の金融関連法の根拠となっている英国法と整合的でない部分が多いことから、同国のイスラーム金融取引で発生した紛争を英国法にもとづいて解決することは、イスラームの観点から困難が伴うことが明らかにされた。この点について、Shamil Bank of Bahrain v Beximco Pharmaceuticals Ltd and others(2004)が事例として採り上げられ、分析が行われた。また、同氏の報告では、今後、イスラーム金融発展にはイスラーム金融に特化した立法が必要であることが示唆され、イスラーム法の専門家育成の必要性にも触れられた。

 長岡慎介氏による"Re-Evaluating Malaysian Islamic Finance Practice: From the Multiple Diversities Perspective"では、従来の研究において通説となっているイスラーム法のレジティマシーを重視する中東湾岸地域と経済的合理性を重視する マレーシアという地域的二項対立にもとづく議論をRegional Diversity Proposition(RDP)として定義し、そのような捉え方は必ずしもイスラーム金融の多様性の本質を捉えていないことが明らかにされ、地域的多様性にとらわれない分析フレームワークとしてMultiple Diversities Framework (MDF)が提起された。

 Wan Kamal氏による"The Economic Decline during the Medieval Ages: A Focus on the Mamluk Period in Egypt (1468-1517)"は、マムルーク朝が没落した原因を、当時の財政システムや経済動向の視点から考察した。マムルーク朝後期にあたる1468 年~1517年には、従来からの租税収入リソースが活用できなくなってきたことにより、より重い課税システムが導入され、それ以前には成り立っていた市場経済システムそのものが崩壊し、そのことがマムルーク朝の経済的没落を招いたことが明らかにされた。

 総合討論においては、Turkistani氏によって多彩なコメントがなされ、例えば、Inayah氏に対しては、イスラーム法、英国法、フランス法(大陸法)の違いについての問いが提起された。これに対し、氏は口頭契約を基にこれらの法に顕著な違いが出るとされ、今後のイスラーム金融の法的なあり方が検討された。また、長岡氏のイスラーム金融の多様性の議論については、その将来的な収束可能性について言及がなされた。そのほかにも、ワークショップ参加者から多くの質問やコメントが出され、イスラーム金融を主対象としたイスラーム経済の地域的・歴史的多様性についての熱の入った議論が行われた。



報告者:川村 藍(京都大学)






KIASユニット4・SIASグループ3共催国際ワークショップ
(2009年9月26日 於京都大学)

タイトル:「エジプトのスーフィズム」

Speaker 1: Michael Winter (Professor Emeritus, Tel Aviv University, Israel)
"Sufism in Ottoman Egypt: Religious and Social Aspects"
Speaker 2: Valerie J. Hoffman (Associate Professor, University of Illinois, USA)
"What Role Can Sufism Play in Contemporary Egypt?"

報告1:
Michael Winter, "Sufism in Ottoman Egypt: Religious and Social Aspects"
 ウィンター氏はまず議論の前提として、オスマン朝期エジプトにおいてスーフィズムは決して異端的な思想や実践とみなされていたわけではなく、むしろイスラームの正統的信仰(orthodoxy)として認知されていた事実を確認した。ただし、このことはスーフィズムがオスマン朝期を通じて不変であったということを意味するものではなく、むしろそれは絶えず変化しながら展開していた点にも注意を促した。そして、氏の発表は、その変化の様相を数多くの事例を提示しながら詳細に明らかにするものであった。

 まず、16世紀のスーフィズムの特徴として氏が取り上げたのが、オスマン朝期エジプトを代表するスーフィーの一人であるシャアラーニーであった。シャアラーニーの著作は当時のエジプトにおけるスーフィズムの多様な側面を反映した内容となっており、彼は基本的には正統的な立場にあったが、他方で民衆的スーフィズムにも密接に関わっていたことが知られている。また、多くの「正統的」ウラマーが異端として攻撃したイブン・アラビーの思想についても、シャアラーニーはこれをシャリーアに沿った正統的な思想として擁護していたことも特徴的である。なおイブン・アラビーに関するこうした評価はシャアラーニーに限らず多くの「正統的」スーフィーたちにも共有されており、また後にオスマン政権はイブン・アラビーの思想をその「公式見解」に採用した。

 17世紀に入るとスーフィズムは支配者との強い結びつきのもと、エリート社会の中に確立することになる。これを象徴するのがバクリー家であり、この一族は高い社会的地位と経済力を享受し、その後20世紀半ばまでエジプト社会において強い宗教的影響力を及ぼすようになった。

 18世紀以降スーフィズムはアズハルのウラマーたちの間に根付き、正統的信仰としての地位を揺るぎないものとした。これを象徴するのがハルワティーヤであり、このタリーカには当時の著名なウラマーの多くが入信していたことが知られている。一方でリファーイーヤやイーサウィーヤといった民衆的タリーカも活発な活動を行っていたが、ウィンター氏は、こうしたタリーカはあくまでも土着の農村的信仰の担い手であって、例えばカランダリーやベクタシーのような反シャリーア・反正統的信仰といった対抗的な特徴を見出すことはできないとした。

 質疑応答では事実関係に関する質問のほか、イブン・アラビーの思想がどのように評価されてきたのかという問題について議論がなされた。一般に彼の思想は異端として正統派ムスリムから攻撃されることが多いが、ウィンター氏によれば、オスマン朝期においてはイブン・アラビーはむしろシャリーア遵守のスーフィーとして評価されており、異端とされる思想については後世に付け加えられたものと考えられていた事実を指摘した。

報告者:高橋 圭(京都大学)

報告2:
Valerie Hoffman, "What Role Can Sufism Play in Contemporary Egypt?"

 マイケル・ウィンター氏に続いて、現代エジプトのスーフィズム研究の大家である、ヴァレリー・ホフマン(Valerie J. Hoffman)氏が発表を行った。発表者は特に現代エジプト社会におけるスーフィズムの意義・役割に焦点を当てて発表を行った。

 発表者ははじめに、現代エジプト社会の中でスーフィズムがどうして成功を収めているのかについて、先行研究がどのように描き出してきたのかを概観していった。従来の研究ではこの点について、人間の現世利益や来世への希求という側面や、集団による宗教実践としての側面、娯楽的側面、社会クラブとしての側面、エジプト人の心性といった観点から議論が展開されてきた。その上で、発表者は本発表の目的を、現代エジプトにおいてスーフィズムの持つ社会的意義・役割はどこにあるのか、という点に定めた。

 発表者はまず、現代エジプト社会の置かれている状況を、政治・経済・社会の文脈から明らかにしていった。現代エジプトでは、経済的停滞と格差の拡大が進行し、社会的にも価値観の違いや国民の分断が進み、政治的にも政府が宗教統制を強めていく中で、エジプト社会の希求とのズレが生じてきている点を明らかにしていった。

 そうした状況下で、エジプト国内のタリーカが様々な方法でエジプト社会の中に浸透している様を、ブルハーニーヤ教団やシャーズィリー教団、ドゥスーキー教団の事例を用いて説明していった。彼らの活動は実に多様であるが、共通する点として発表者は大きく2つの点を指摘した。ひとつはシャリーア順守という外面的側面だけでなく、内面の純化とそれに基づく善行をスーフィズムが強調している点と、もうひとつはその為に行う宗教実践に、難解な知識と特殊な技能を必要としない点をあげた。このような深遠さと間口の広さこそが、エジプト社会の広範な階層の人々を惹き付けて参加する事を可能とし、スーフィズムの隆盛につながっている点を指摘した。

 さらに現代エジプトにおけるスーフィズムは、人権や女性の権利といった西洋的価値観との接合、シャリーアやその他のイスラーム的価値観とスーフィズムの矛盾なき接合、他宗教との対話促進といった現代的課題にも積極的に取り組んでいる点を紹介していった。

 こうした点から現代エジプトにおけるスーフィズムは、エジプト社会と大衆の環境や心性に沿う形で常に自己変革に挑戦し続けている点を明らかにした。それが現代エジプト社会におけるスーフィズムの成功であり、意義・役割であると結論づけた。

 発表者による長年の緻密なフィールドワークによるミクロな視点と、エジプト社会を俯瞰するマクロな視点の両面から、エジプト社会におけるスーフィズムの持つ意義・役割を論じていった本発表は、スーフィズムの今後の無限大の可能性を大いに感じさせる発表であった。


報告者:安田 慎(京都大学)






東洋文化研究所、IAS早稲田大学拠点、上智大学拠点、京都大学拠点ユニット4共催International Conference
(2009年9月22-23日 於東京大学東洋文化研究所)

タイトル:"The Role and Position of Sayyid/Sharifs in Muslim Societies"

Program:
SEPTEMBER 22
WELCOME ADDRESSES 10:20-10:30: HANEDA Masashi (Director, Institute of Oriental Culture, University of Tokyo; YUKAWA Takeshi (NIHU Program IAS Center General Office at Waseda University).
KEYNOTE ADDRESS 10:30-11:00: MORIMOTO Kazuo (University of Tokyo; Japan).

PANEL 1: DISCOURCES AND INSTITUTIONS 11:00-12:00, 12:15-13:15
Chair: TONAGA Yasushi (Kyoto University; Japan).
MORIMOTO Kazuo (University of Tokyo; Japan), Edifying Anecdotes in Sunni Fada'il Literature on the Kinsfolk of the Prophet: Contours and Messages of a Lasting Tradition.
YAMAGUCHI Motoki (Keio University; Japan), Umma-wide Debate on Status of Sayyid/Sharif in the Modern Era: Conflict among Arabs in Southeast Asia and Reconciliatory Attempts.
Roy P. MOTTAHEDEH (Harvard University; USA), Sahm al-Sadah in Shi'i Jurisprudence.
Arthur F. BUEHLER (Victoria University; New Zealand), Trends of Ashrafization in India.

PANEL 2: EMERGENCE AND EARLY SPREAD 14:30-15:30
Chair: SATO Kentaro (Waseda University; Japan).
Biancamaria SCARCIA AMORETTI (University of Rome; Italy), Historical and Geographical Mapping of Alids Diaspora: The Project and Sample Data from the Sources.
Teresa BERNHEIMER (University of Oxford/Institute of Ismaili Studies; UK), Genealogy, Money, and the Drawing of Boundaries among the Alids (9th-11th Centuries).

PANEL 3: ROLES AND POSITIONS IN VARYING CONTEXTS I 16:00-17:30
Chair: HAMADA Masami (Kyoto University; Japan).
Mercedes GARCIA-ARENAL (Institute of Philology, CSIC; Spain), Shurafa during the Last Times of al-Andalus and in Morisco Times.
Ruya KILIC (Hacettepe University; Turkey), The Reflection of Islamic Tradition on Ottoman Social Structure: Sayyids and Sharifs.
Devin DEWEESE (Indiana University; USA), Sacred Descent and Sufi Legitimation in Genealogical Texts from 18th-Century Central Asia: The Sharaf Ata'i Tradition in Khwarazm.

  SEPTEMBER 23
PANEL 4: ROLES AND POSITIONS IN VARYING CONTEXTS II 10:30-12:00
Chair: KISAICHI Masatoshi (Sophia University; Japan).
Michael WINTER (Tel Aviv University; Israel), The Ashr?f and their Naq?b in Ottoman Egypt and Syria: A Comparative Analysis.
Valerie J. HOFFMAN (University of Illinois at Urbana-Champaign; USA), The Role of Ashr?f in Nineteenth- and Twentieth-Century Swahili Society.
Jillali EL ADNANI (Mohammed V University; Morocco), "Natives" and "Infidels" of a Different Race: Al-Shourafa and al-Awliya in the Era of French Colonialism.

PANEL 5: SAILING THROUGH THE CONTEMPORARY WORLD 13:30-15:00
Chair: AKAHORI Masayuki (Sophia University; Japan).
KOMAKI Sachiyo (Takasaki City University of Economics; Japan), The Name of the Gift: Sacred Exchange, Social Practice and Sayyad Category in North India.
Ashirbek MUMINOV (R. B. Suleimenov Institute of Oriental Studies; Kazakhstan), "Historical" and "Symbolical" in the Culture of Central Asia: Comparative Study of the Khwajas' Modern Genealogies and Medieval Written Sources.
ARAI Kazuhiro (Keio University; Japan), Positioning the S?da in a "Proper" Historical Context: An Islamic Periodical Alkisah in Indonesia.

CONCLUDING PANEL 15:30-16:45
Chair: MORIMOTO Kazuo (University of Tokyo; Japan).
General Responce: A. SEBTI (Mohammed V University; Morocco).
General discussion.
Concluding address: MORIMOTO K.


概要:
PANEL 1: DISCOURCES AND INSTITUTIONS

 このパネルは会議全体の基調を成すことを目的としており、サイイド/シャリーフの定義や特権についての理論・議論に関する、幅広い時代地域の事例が扱われた。最初の発表は、サイイド/シャリーフの美点を称揚するファダーイル作品に見られる逸話から、モチーフとしての夢の重要性、サイイド/シャリーフ崇敬の動機付けとして来世での救済が挙げられること、崇敬の具体的な形は金品の贈与であったことなどが指摘され、その後、逸話の引用関係や作者の経歴を基に、ファダーイル文学の伝統が、13世紀以来、スンナ派、シーア派に共通して存在していたことが明らかにされた。質疑応答では、法学派の別の重要性、また、スンナ派?シーア派の区別に替わるものとして提唱された一神教的?多神教的という対立軸について、用語の検討の必要性が指摘された。続く発表の題材は、20世紀初頭に東南アジアで起こったサイイド/シャリーフを巡る議論と、それに対する調停の内容である。東南アジアに居住する、ハドラマウト出身のアラブ系サイイド/シャリーフの血統と、彼らの手への接吻といった慣習の正統性という論点を巡って、東南アジア内部のサイイド/シャリーフ支持派と反対派に加え、調停に乗り出したラシード・リダーやシャキーブ・アルスラーン等の見解が、それぞれの思想的・社会的立場にも言及しながら整理された。質疑応答においては、ムスリム社会の地域差を明確にする必要性が強調された。第三発表では、ガニーマ(戦利品)の分配について述べたクルアーン8章41節に関する、スンナ派やシーア派の法学者による解釈が扱われた。この唱句はサイイド/シャリーフの経済的特権を裏付けるとされるが、「預言者の子孫」の範囲やガニーマの定義を巡って、それぞれの解釈には多様性が見られる。質疑応答においては、理論が適用される際の実態についての質問が寄せられた。最後の発表では、インドのムスリム社会に見られるアシュラーフ?アジュラーフという社会層区分がサイイド/シャリーフを特化するイスラーム側の理論に起因する可能性が指摘され、その後、近代以降に見られる「アシュラーフ化」という現象が紹介された。しかし、アシュラーフに含まれるのはサイイド/シャリーフのみではなく、ムガルやパタンといった集団の地位の高さはインドの社会歴史的文脈を鑑みて初めて説明できるものである。質疑応答で挙げられた、アシュラーフとサイイド/シャリーフの区別が曖昧であるという問題点は的確なものだと言えよう。

報告者:(二宮文子・京都大学文学部研究科附属ユーラシア文化研究センター)


PANEL 2: EMERGENCE AND EARLY SPREAD

 最初の発表では、GIS(Geographical Information System)と、その一機能であるDBMS(Data Base Management System)という地図製作技術を用いて、アリー家の歴史的な拡散を分析する試みが紹介された。まずは技術的な説明が行われ、次に、20世紀に著されたシーア派系譜文献や歴史書から抽出されたデータに基づいて作成された10枚余りの地図を基に、ハサン家やイスマーイール家の人々の、アラビア半島からイスラーム圏各地への拡散、イランを中心とした地域における都市間移動の特徴などが分析された。質疑応答においては、異なる史料から抽出されたデータを地図上に統合する際の処理について質問がなされた。次の発表は、アリー家の人々の拡散に伴って、9-11世紀にかけて広い地域に見られるようになった、アリー家の系譜上の範囲を巡る議論、彼らに経済的援助を行うための法理論や諸制度を追う。結論においては、これらの理論や制度の定着の結果、アリー家の出身を主張することによって特権を得ようとする人々が増加したこと、これらの特権を管理するナキーブの重要性が指摘された。質疑応答においては、個別具体の地域においての理論の適用や、預言者の子孫の範囲の拡大についての情報が寄せられた。

報告者:(二宮文子・京都大学文学部研究科附属ユーラシア文化研究センター)


PANEL 3: ROLES AND POSITIONS IN VARYING CONTEXTS I

 第3パネル最初のMercedes GARC?A-ARENAL氏による報告では、ナスル朝期からモリスコ期イベリア半島のムスリム社会におけるシャリーフ(Shurafa)崇敬やマウリド、スーフィズム、聖者崇敬との関係といった、これまであまり検討されてこなかった問題が、同時代の北アフリカ、特にモロッコの状況と比較しながら論じられた。そしてモリスコによってaljamia(アラビア文字で書かれたスペイン語)で書かれた、預言者とその子孫を称える文献の紹介や、その「シーア派的」傾向に関する指摘がなされた。

 次いでR?ya KILI?氏の報告では、オスマン朝期のイスラーム社会におけるサイイド・シャリーフのアイデンティティについて、彼らを統制するナキーブの台帳やシャリーア法廷文書をもとに、その統制の制度化の過程、サイイドとシャリーフという呼称の区別、彼らの享受した物質的、精神的特権など、様々な面から検討がなされた。彼らはオスマン朝支配体制においても、イスラーム的伝統である「御家の人々」という概念に基づいた権威ある地位を保持し、社会、経済的特権を認められていたが、その地位を国政に利用することは認められていなかった。そして彼らは社会の様々な職業集団に属していたため、彼らを一つの社会階層とみなすことはできないが、その特権の享受に関してはしばしば他の社会集団と対立することもあった。

 最後にDevin DEWEESE氏は、18世紀中央アジアで成立した5点の系譜文献を紹介し、特にシャラフ・アタと呼ばれる聖者の子孫とされる、ホラズム地方の名家の系譜をたどった文献の分析をおこなった。そして宗教、社会、政治、経済的な権威の行使を正当化する根拠として、聖なる家系への帰属に関する伝承が広く流通していたこと、この系譜的なカリスマの源は多様であり、4人の正統カリフやヤサヴィー教団のスーフィー、高名な法学者との系譜上の結びつきは、預言者に対するそれと同様の重要性を持っていたことが示された。

報告者:(篠田知暁・京都大学大学院文学研究科博士後期課程)

PANEL 4: ROLES AND POSITIONS IN VARYING CONTEXTS II

 翌日第4パネルでは、まずMichael WINTER氏から、オスマン朝期の特にエジプトとシリアにおけるシャリーフ(a?r?f)の状況が報告された。これらの地域では、マムルーク朝期と比較して彼らの社会的地位の上昇が見られ、彼らは統治者の暴政やイェニチェリの暴力に対して抵抗するという役割を持っていた。そしてKILI?報告と同様、シャリーフたちは様々な階層の人々によって構成されていたが、その一方で彼らのナキーブは都市反乱の主導者になることもあり、またエジプトではこの役職が現地の有力なスーフィー・シャイフ家系によって担われるようになる一方、シリアでこの変化は見られないなど、地域ごとの多様性も示された。

 次いでValerie J. HOFFMAN氏は、プロジェクターを利用して多数の写真や図を提示しながら、東アフリカ沿岸スワヒリ地方におけるmasharifu(スワヒリ語で預言者の子孫のこと)の社会的地位の変遷を論じた。19世紀以前この地方ではハドラマウト系のアラブ人が大多数のウラマーを輩出し、特にmasharifuには特権的な地位が認められてきたが、この世紀の末から20世紀半ばイスラーム覚醒運動によって、更に60年代以降はアフリカ民族主義によって攻撃を受け、その支配的地位を喪失していった。当報告ではこの過程が具体的に示され、またイラン革命以降のシーア派イスラームの影響増大という近年の動向も紹介された。

 最後にJilali EL ADNANI氏の報告では、20世紀初頭、フランスによるモロッコ植民地に抵抗してモロッコ南部のスース地方でジハード運動を指導したマー・アルアイナイン、アフマド・ヒバと、その支持基盤だったイリーグのダルカーウィーヤ教団の関係を中心に、聖性と預言者の家系の連携が論じられ、聖者の宗教的権威は、部族的な組織であれ植民地当局であれ、それを庇護する何らかの政治権力を必要としていたと主張された。そしてこの結果生まれた聖者と植民地権力の連携が聖者の宗教的権威を喪失させ、アラウィー朝スルターン=シャリーフ=聖者による政治的権威と宗教的権威の両面での優越性確保をもたらしたとの議論がなされた。

報告者:(篠田知暁・京都大学大学院文学研究科博士後期課程)

PANEL 5: SAILING THROUGH THE CONTEMPORARY WORLD

 小牧幸代氏の発表では、北インドのムスリム社会におけるサイヤド(サイイド)の地位と役割が、サイヤド・非サイヤド間の贈与慣行の分析を通じて考察された。氏は、当該地のサイヤドが、預言者の血統を通じてバラカを継承するその特権性ゆえに、非サイヤドに対して一方的に与える存在であるとのセルフイメージを持っていること、一方、非サイヤドからサイヤドへの「贈与」は、サイヤドから非サイヤドへの贈与とは異なる名前で呼ばれ、サイヤドへの贈与・返礼ではなく、普段こうむっている神のバラカへの感謝としての善行、と観念されていること、さらにこうしたことから、サイヤドと非サイヤドの間に、預言者由来のバラカの有無、ひいては預言者との「近さ」、に基づくヒエラルキーの存在が認められること、を指摘した。そして、北インドのムスリム社会のヒエラルキーの頂点にサイヤドが位置する理由も、彼らの預言者との「近さ」に求められるのであり、北インドのムスリム社会におけるサイイドへの敬慕は、そのような社会的ヒエラルキーにおいて具体的表現を得ていたと言える、と結論づけた。

 Muminov Ashirbek氏の発表では、中央アジアの聖なる家系に関して、碑文や系譜史料から得られた近年の知見が披露された。モンゴル期以前には、サーマーン朝やカラハン朝のイラン的伝統による王権の正統化と平行するように、ウラマーたちも社会的地位の上昇を企図して、古の地方貴族の出を示すdihqan号を強調していたこと、一方、モンゴル期以降、それ以前には一般のムスリムでしかなかった家系が、新たに聖なる家系として認識されるようになっていく(ムハンマド・パールサーの子孫やジュイバルのシャイフたち)中で、とりわけ中央アジア北東部に、ヤサウィーヤのクサム・アタなど、ムハンマド・ハナフィーヤの末裔を称する者が現れるようになることが紹介された。

 新井和広氏の発表では、インドネシア語の週刊誌Alkisahを通して見える、インドネシアのサイイドの現況が論じられた。氏によれば、Alkisahは、その第19号を境に、読者市場の反響に応じて、純営利的な動機から、サイイドに関する記事や写真を主な内容とするようになったが、以来そうした内容がとりわけ若年層の支持を集め、結果としてインドネシアにおけるサイイドの人気の上昇をもたらしているという。また、サイイドの一部には、Alkisahにおけるサイイドのプロモーションの仕方に批判的な者もいるが、彼らとて、Alkisah自体は、サイイドの思想の普及にとって有益であることを認めているという。氏は、インドネシアにおいて成長しつつある「イスラームの商品化」の潮流に、サイイドたちも棹差しており、インドネシアの「イスラーム商品の市場」には、サイイドのための隙間市場が存在している、と結論づけた。

報告者:(中西竜也・日本学術振興会特別研究員/京都大学)






KIAS、京都大学G-COE「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」イニシアティブ1、東京外国語大学科学研究費基盤(A)共催国際ワークショップ
(2009年7月30-31日 於京都大学)

タイトル:"Globalization and Socio-political Transformation: Asian and the Middle Eastern Dimension"

Program:
DAY 1 (30 July, 2009)

Opening Remark:
10:00-10:15 Prof. Yasushi KOSUGI

Panel 1: Media and Memory (10:30-12:30)
・Yushi CHIBA: Political Power, Islamic Legitimacy and Mass Media in Modern Egypt
・Maja VODOPIVEC: Without Right to Remember or How did the Bruce Lee Stayed Without his First World`s Monument

Lunch: (12:30-13:30)

Panel 2: History and Islamization (13:30-15:30)
・Ali GOLMOHAMMADI: Modernization and the Response of Political Elites (A Comparative Study of Qajar Iran and Tokugawa Japan)
・Emiko SUNAGA: Historical Discourses in Pakistan: A Case Study of School Textbooks

Panel 3: The Gulf (15:45-18:45)
・Koji HORINUKI: Administrative Reform and Globalization Strategy in Dubai: Its Characteristics, Achievements and Impacts for Economic Development
・Jun HAGIHARA: Scoio-Economic Transformation of Saudi Arabia after King Faysal
・Aiko HIRAMATSU: The Changing Nature of the Parliamentary System in Kuwait: the National Elections in the Recent Decades

Reception


DAY 2 (31 July, 2009)

Keynote-speech
10:00-11:30 Christopher DAVIDSON: Abu Dhabi and Dubai: A Tale of Two Emirates

Lunch (12:00-13:00)

Panel 4: The Middle East Politics (13:00-15:00)
・Housam DARWISHEH: Parliamentary Elections and Electoral Systems under the Mubarak Rule in Egypt: Determinative Factores in the Process of Electoral Participation
・Yusuke KAWAMURA: Political Liberalization in 1970s' Egypt

Panel 5: Conflict (15:30-17:30)
・Intisar al-FARTTOOSI: Forced Displacement in Iraq Triggered by conflict post-2003
・Shizuka IMAI: The Elastic Nature of Jordanian Nationality: Fluctuating Relations of Nationality and Passport between the Two Banks of the Jordan River

 本ワークショップは、2日間にわたり、5つのセッションで実施された。以下、セッションごとの報告を行い、その概要と議論を振り返る。 第1セッションでは、メディアと政治社会の関係や、集合的記憶に関する研究が発表された。1つ目の発表は、エジプトのマスメディアの変容と政治社会の関係とその変容に関する研究であった。この発表ではまず、ナポレオンのエジプト侵攻を契機に始まった近代化以降のエジプトにおけるメディアの歴史的変遷が説明された。次に、政府によるメディアの利用が、国民開発からイスラームへと変容していった過程が説明された。二つ目の発表では、内戦後の、ユーゴスラヴィアへの郷愁感情をブルース・リー像の建設と関連づけた研究が発表された。この発表では、まず"nostalgia"(郷愁)という感情についての社会学的議論が行われた。次に、ブルース・リーの像の建設は、現在の国家の枠組みに関わらず全員がそれに対し愛着を持つことができるとして、旧ユーゴスラヴィアへの郷愁の感情を増幅しているのではないかという議論がなされた。ユーゴスラヴィアとブルース・リーの関連性が薄いのではないかというコメントが出された。

 第2セッションでは、歴史とイスラーム化というテーマで二つの発表が行われた。1つ目の発表は、日本の江戸時代とカージャール朝イランを比較し、近代化 とその際の政治を担うエリートの役割が考察された。政治形態、社会形態、国際的地位、宗教、教育の点で比較がなされ、共通点と相違点が出された。しかし、それぞれの近代化は、目標とした到達点も異なれば、近代化の結果自体も全く異なるので比較できるのかという指摘がなされた。2つめの発表では、パキスタンの学校教科書から、パキスタン国民の国民意識ないし歴史認識を考察する研究が発表された。歴史教科書において強調されていたのは、ムスリムとしての自覚を持つこと、ムガール帝国の栄光、19世紀のイスラーム運動であり、これらの歴史修正によるイスラーム性の協調を基軸として国民意識が形成されていると結論づけた。州ごとに教科書が独自していることが、国民意識の形成にどのように関わっているのかといったコメントが出された。

 第3セッションでは、湾岸地域における事例に関する発表が3つ行われた。1つ目の発表では、ドバイで行政改革がなぜ始まったのか、その行政改革の特徴と結果はいかなるものかという問題が取り扱われた。そして、行政改革は、ドバイのグローバル化戦略と密接に関連していることが明らかにされた。カタルとの戦略モデルの違いはどこにあるのかといった疑問が出された。二つ目の発表では、サウジアラビアのファイサル国王以降における社会経済的変容が発表された。三つ目の発表では、クウェートの議会構造と、近年の国政選挙についての発表が行われた。ここでは、政権による議会への統制力が、選挙区の改変によって脆弱化 しているとの報告がなされた。また近年の選挙では、無所属候補が有利であるとの報告もあった。政権にとっては、リベラル派とイスラーム派ではどちらが都合 よいのかという質問が出された。

 本ワークショップ二日目は、デイヴィッドソン先生のキーノート・スピーチで始まった。ここでは、ドバイとアブダビの発展の経緯が比較されつつ詳細に説明された。ここでは、①ドバイとアブダビの起源、②経済発展の歴史、③首長の政治社会安定化のための戦略が議論された。特に③政治安定化のための戦略では、 国民との富の配分を中心としたバーゲニングが成功したとの議論が展開された。また、GCCにおいてアラビズム、イスラミズムの勢力がほとんど存在しないのはなぜかという質問が出された。クウェート、バハレーンに比べ歴史的積み重ねが少なく、文化的に若いためという回答があった。

 第4セッションでは、中東政治に関する発表が2つあった。1つ目の発表では、エジプトにおけるムバーラク政権での議会選挙システムの変遷について発表が行われた。ここでは、現行選挙システムにおいて、選挙者登録リスト、労働者や農民、司法の監視、政府の干渉、賄賂、暴力や脅しが問題になっているとの指摘がなされた。また、比例代表制から選挙区制に移行することで、ムスリム同胞団系も含む無所属候補が強くなったことも指摘された。2つ目の発表では、エジプトにおけるサダトの自由化政策をシリアと比較検証する発表が行われた。ここでは、軍の専門化と脱政治化が進行したエジプトでは、大統領が政治の自由化を行う インセンティヴを持ち、反対に軍の専門化と脱政治化が進まなかったシリアでは、政治的自由化が開始されなかったとの仮説が証明された。サダトの親ソから親米への転換政策の一方で、シリアが親ソを継続していたという国際政治的環境も比較するべきというコメントが出された。

 第5セッションでは、中東諸国における社会的諸問題に関する発表が2つ行われた。1つ目の発表では、イラク戦争後のイラクにおける避難民問題に関する発表があった。政治家、軍部、宗教勢力の対立が避難民の増加の原因となっていると結論づけた。急進派の動きばかり注目せずに、政権の変容にもより注目を寄せていくべきとのコメントが出された。また、避難民を、増加させるアクターを考える際には、そのアクターの現実と公式見解の違いに着目すべきであるとのコメントも出された。2つ目の発表は、ヨルダンにおける国籍とパスポート取得者に関する問題であった。ここでは、ヨルダン国籍を与えられる人、パスポートを取得できる人それぞれの歴史的変遷を追っていった。国籍を持たないパレスチナ人のパスポート保持者は現実にどのような問題が発生するのかという質問が出された。外国での労働等、パレスチナ人の国外における活動において不利益が生じるのではないかという議論がなされた。

 様々な地域における事例の発表が参加者にとって有益だっただけでなく、湾岸地域研究の最先端で活躍する研究者に発表者の地域と比較する観点を与えるようなコメントをいただくことで、非常に今後の研究活動において有意義なワークショップであったといえる。



報告者:井上貴智(京都大学)






KIASユニット2・上智拠点共同利用・共同研究拠点公募研究「イスラーム社会の世俗化と世俗主義」合同ワークショップ
(2009年7月25日 於京都大学)

タイトル:「「世俗化/世俗主義」と「イスラーム中道派」――イスラーム社会に対する二つのアプローチの可能性――」

【プログラム】
趣旨説明(10:00-10:30) 
粕谷元(日本大学、「イスラーム社会の世俗化と世俗主義」代表者)
山根聡(大阪大学、ユニット2「中道派」代表者)

セッション1(10:30-13:00) 
・発表:伊藤寛了(東京外国語大学)
「トルコにおける世俗派とイスラーム(中道)派の射程――イノニュの時代(1938-1950)のトルコにおける「世俗主義」を巡る議論を中心に――」
・コメント1佐々木拓雄(久留米大学)
・コメント2澤江史子(東北大学)
・コメント3横田貴之(国際問題研究所)

セッション2(14:00-16:30) 
・発表:多和田裕司(大阪市立大学)
「マレーシアにおける「イスラーム」と「世俗」――「イスラーム国家/世俗国家」論争を中心に――」
・コメント1粕谷元
・コメント2山根聡
・コメン3③小林寧子(南山大学)

総合討論(16:30-17:30)


 当ワークショップは中道派と世俗化/世俗主義というある意味で曖昧な概念を扱うため、ワークショップの通例に反するが、できるだけ発表者の数を減らし、その代わり、各発表に多くのコメンテータを配する布陣で行われた。上記、二つの概念に関してできるだけ多くの問題点を抽出するための方策として適当であると判断したためである。

 趣旨説明では「イスラーム社会の世俗化と世俗主義」研究代表者の粕谷元氏と「京都大学イスラーム地域研究センター・ユニット2」研究責任者の山根聡氏が、本共催研究会の目的と意義を述べた。粕谷氏は、日本のイスラーム地域研究においてイスラーム運動・イスラーム主義の研究は中心論題のひとつだが、世俗化/世俗主義との緊張関係もしくはイスラーム主義の背景としての世俗化など、両者の連動性を扱う研究が少ないと指摘し、両者を関連させた研究を行う必要があると訴えた。また宗教社会学における世俗化論とイスラーム社会研究との学問的交流が少ないことから、イスラーム社会の歴史的経験を考慮した議論をすることで宗教学への貢献も期待されると言い添えた。この際、現象としての「世俗化」と、政治・法・制度の論理としての「世俗主義」とを峻別し、そのうえで「世俗化」「世俗主義」の根本にある 「世俗」とは何かを問う必要があるとした。

 山根氏はイスラーム中道派の要素として、①本源性と現代性の統合(イスラーム本来の教えを守るとともに、それを現代世界に適用する)、②不変要素と可変要素の均衡、③硬直性や外部追従などからの解放、④包括的なイスラーム理解、という4つをあげ、このうち特に②の均衡、もしくはバランスという要素を強調し、「主体的、積極的にイスラーム化と関わるが、バランスを重視して現代世界に合わせる」という暫定的な中道派モデルの外縁を示した。また併せて、政党や運動などが自称として「中道派」を掲げて急進派と立場を画す一方で、外部からは世俗派もしくは急進派と評価されることもあり、「中道派」を分析概念として設定する際、自称・他称という視点の採り方に左右されるという問題があることを指摘した。セッション1の報告者、伊藤氏は、イノニュの時代を、トルコにおける本格的な「イスラーム派の台頭」の夜明け前の状況と定義し、世俗主義体制下におけるイスラーム派の言論活動を整理した。トルコにおいて「世俗化/世俗主義」もしくは「イスラーム中道派」を考えていくにあたり考慮すべきことは、トルコが世俗主義を国是としている点である。そのため、いずれの政党も合法政党であるためには「世俗主義」の枠組みにおいて政治活動を行わなければならない。またトルコにおける「世俗主義」は 単なる政教分離にとどまらず「宗教管理」や「脱/非宗教」という側面を有しているため、国会、官公庁、大学等の公的な場での宗教的なシンボルの使用が禁じられている。このような「世俗国家」トルコにおける世俗派とイスラーム派は次のように定義される。世俗派とは「イスラームが政治のみならず、教育や一般生活等においても影響力を持たないようにすべきであると主張する人々」であり、イスラーム派とは「イスラーム的な理念・価値に重要性を与え、その社会での適用を求める人々」であるが、ただしシャリーアに基づく国家建設を唱えることはせず、世俗国家枠組みを否定しない。そして報告者は、他地域のイスラーム派との比較においては多分に「世俗的」とも捉えられるトルコのイスラーム派を「イスラーム中道派」と認定する。

 アタテュルクの時代における世俗化政策はイスラームを時代の要請に合わせるという「イスラーム改革」の方向性を有し、政治・法律・教育といった公的領域からイスラームを排し、かつイスラームに対する政府管理を強化するものだった。しかし第2次世界大戦後、複数政党制へ移行し、言論の自由が確保されるようになるとともにイスラームを称揚する言論活動が行われるようになった。ここで報告者は、世俗派とイスラーム派のマッピングを試みるが、世俗派として「国家エスタブリッシュメントが大勢をしめる」として共和人民党や国軍、官僚、そしてマイノリティ勢力が挙げられる一方で、イスラーム派もしくはイスラーム中道派の分類に困難を見出す。ここには、世俗主義の枠組み内で活動するトルコのイスラーム派を、イスラーム派と中道派に峻別することが困難であることが示されている。 報告はこのような状況に鑑みて、地域的な文脈における「世俗主義の内実」や「イスラーム派/イスラーム中道派概念」のミクロな分析の必要性を指摘して議論をしめくくった。

 報告に対するコメントでは、澤江氏が世俗化政策を経験した地域/国家がイスラーム化をどう迎えるのかという問題としてイスラーム中道派理解の論点を示し、国会議員やイスラーム知識人による国家と宗教についての議論、国民のメンバーシップについての議論など、中道の基軸となっている国家を軸に考察することを提案した。また中道派定義にかかわる問題提起として、中道派の民衆に対する影響力という視点を挙げた。「多数支持=保守・穏健」という図式に中道派を当てはめると、中道派=穏健と理解できるが、はたしてこれが妥当であるか。あるいは、中道を「~とは違う」という反照軸をもって定義するのか、など、後の議論の材料を提示した。また予定にはなかったが、急遽、トルコの世俗主義に関してコメントを行うことになった粕谷氏は、伊藤氏が対象とした時代の前段階すなわちトルコの世俗主義誕生の背景を解説し、世俗主義(ラーイクリキlaiklik)を裏打ちする精神には、反宗教・無神論が含まれていると指摘した。また、アタテュルク期の政教分離思想にも、政治と宗教を分離し、宗教を私事化=解放することによる「純化」 を目指す側面と、科学や文明の下位に宗教を定置する側面との二面性が見られることを指摘した。

 佐々木氏は、インドネシアにおける世俗概念がどのように位置づけられてきたかを紹介し、トルコの議論と比較考察を行った。まず世俗主義を「宗教が政治や国家、公共の制度に組み入れられるべきではないとする考え方や信条」と定義し、宗教に対する態度によってさらに世俗主義をAとBの二つに分類した。世俗主義A(宗教重視)はスカルノらの思想として、世俗主義B(宗教軽視、科学優位)は共産主義者の「宗教をもたない自由」の訴えとして現れたが、インドネシアにおいて世俗主義Aも世俗主義Bも根づかず周辺化されたという。スカルノはケマル主義に熱烈な共感を寄せたが、インドネシア建国に際してはイスラーム勢力に妥協し、パンチャシラには「唯一の神への信仰」が明記され、これが国内すべての勢力の約束事とされた。また共産党勢力は一時期伸長したが、無神論や不信仰の自由は支持を得られず歴史的な虐殺によって勢力を失った。佐々木氏はインドネシアの民衆社会には世俗主義が基盤をもてないと指摘し、スハルトの開発政策以降、識字・教育の普及によってイスラーム中道派の主流化が進んでいると述べた。

 横田氏は、エジプトのムスリム同胞団思想を取り上げ、同胞団にとっての「中道」と「世俗化/世俗主義」についてトルコとの比較考察をおこなった。20世紀前半のムスリム同胞団は一貫して「中道」を標榜し、理論・行動において大衆に向けた「ダアワ(呼びかけ)」を重視した。同胞団の創設者・最高指導者であるバンナーはサラフィー思想の影響をうけイスラーム改革の必要を訴える立場から伝統墨守派を批判したが、他方で欧化主義者(イスラームに基づかない世俗的ナショナリズム)も認めず、両極の間にみずからの基本理念を設定したという。20世紀後半に同胞団は復活するが、1970年代からのイスラーム復興の高揚という時代状況の中で、急進的イスラーム復興運動とイスラームを排除する世俗主義との間で改革を志向する「中道」とみずからを位置づけるようになった。結論として横田氏は、同胞団にとっての中道派としての位置どりは組織目標であるシャリーア施行、イスラーム国家樹立にむけて社会状況の中で柔軟に変化するものであり、そこには大衆を基盤とする同運動の、大衆の意思や要望をくみ上げる必要が反映されていると考察を示した。また近年の民主主義の担い手としての自己呈示を含めて、「中道」というタームが80年代以降の流行に合わせたものであり、ここからも同胞団の大衆社会志向を指摘した。最後にエジプトにおいてイスラーム派が分節化される状況のなかでそのうちのひとつとして「中道派」を設定できるのに対し、トルコでは国是のもとで世俗主義が頑強であり、漠然と「真ん中」とするだけでは「中道派」を理解しがたいと議論を提起した。

 山根氏は、南アジア研究の視点から、インドとトルコが国家体制において政教分離を掲げ、その枠組みを守り続けるのに対して、パキスタンはイスラーム的体制と世俗的体制の間で揺れがあると整理した。また中道派は反照するものが変化するので振れ幅が大きいが、世俗主義は政治と宗教の関係という枠組みの中で限定的に議論されるので振れ幅が小さいのではないかと指摘した。

 セッション2での多和田氏の報告において前提となった問いは以下の三点である。①「世俗的」ムスリム、「世俗的」イスラームはあり得るのか?②「世俗」概念をイスラーム(ムスリム)社会研究に組み込むことは可能か?③UMNOの「イスラーム国家」とPASの「イスラーム国家」はどこが違うのか?まず大前提として、マレーシアにおいてムスリムが「世俗」と自己規定することはほぼあり得ないことが強調された。「リベラル・イスラーム」と称される知識人は、自由・人権・女性の権利などを唱道するが、数としては少数で、また彼ら自身「世俗」と自己規定はしない。マレーシアで「世俗」が用いられるのは、往々にして他者への非難の文脈である。報告はマレーシア国家の成り立ちの特殊性をふまえたうえで、「イスラーム」と「世俗」がどのように配置されているかを二つの政党の「イスラーム国家」論から抽出した。

 マレーシアは、マレー系ムスリムが人口の半数を占める多民族・多宗教社会で、それぞれの民族が宗教とのゆるやかな結びつきをもつが、マレー系に関してはほぼ100%がムスリムである。マレーシアの憲法(至高法規)は、イスラームを連邦の宗教とし、他方で宗教の自由も保障している(ただし、ムスリムに対する他宗教の布教は制限されている)。立法・行政・司法においては、一般的な体系とは別にムスリムのみを対象とする分野があり、憲法に矛盾しない限りにおいて施行が認められる。憲法はマレー系定義の要件としてイスラーム信仰を挙げているが、このようなマレー系とイスラームとの結びつきは、植民地経済期以降、他民族よりも経済的な劣位におかれたマレー系に対する優遇策を行うという歴史的経緯のもとで規定されてきた。

 マレーシアにおける「イスラーム化」は1980年代以降多領域にわたって見られるが、マレーシア的要因として注意すべき点はマレー系ムスリムの都市化・中間層化によってマレー系内部の権益が衝突し、このなかでイスラームが自己正当化のよりどころとなっていった点である。すなわち、イスラームの競り上がりと呼ばれる状況が生じたのであり、この具体的な事例のひとつが報告で取り上げられた与党UMNOとイスラーム野党PASの「イスラーム国家」論争である。

 「イスラーム国家」論争は、2001年のマハティール首相(当時)の「マレーシアはイスラーム国家である」との発言に端を発し、これに対抗してPASがイスラーム国家のモデル枠組みを表明した。また時をおいた2005年、2007年にも政府要人の「イスラーム国家」発言が見られた。政府は、「現行の体制(シャリーアとは断絶した憲法を最上位に置くことを含めて)のなかで、イスラーム的である国家」を、これに対してPASは「クルアーン、シャリーアを至高とする体制を有する国家」をそれぞれ「イスラーム国家」とし、政府の定義によるとマレーシアはすでに「イスラーム国家」である。報告者は、マレーシアにおける「イスラーム国家」論争は宗教vs世俗という単純な二分法では理解できないとし、イスラーム性と非イスラーム性、一元論と多元論という交差する二つの軸とその補助線としての「世俗化」の斜め軸を提示した。一元論ではイスラームがすべてを規定し、イスラームにすべて(非ムスリム、民主主義、男女平等、人権などの問題も含めて)が内包されている。これに対して多元論とは宗教的価値(イスラーム)と非宗教的価値(非イスラーム)の併存という発想であり、報告者はこれを、イスラーム教議論ではありえないかもしれないがマレーシアでは実際に主張・実践されている立場であるとくくった。

 報告に対するコメントでは、まず小林氏がインドネシアを事例に比較考察を行った。マレーシアでは政策としてイスラーム化を推進しているのに対し、インドネシアにおいて「政治」と「宗教」は前者が後者を統制する関係にあった。ヌルホリス・マジドやアブドゥルラフマン・ワヒドは、サブスタンシャル・イスラーム、文化的イスラームを唱道した。これは、イスラーム法を聖化せず現代に適用するためのイジュティハードを行うこと、それによりイスラーム法が倫理として根付く社会を目指すものだった。政治に関しては、既存の制度には従いながらも宗教の政治シンボル化/フォーマル化に反対した。マレーシアとインドネシアは、イギリスとオランダの植民地政策の違いにより、伝統的なイスラーム指導者の公的な位置づけが大きく異なることとなった。マレーシアではスルタンの公的権限が制度的に保障されたのに対し、インドネシアではスルタンは形骸化され、宗教官吏は民衆の指導者ではなく補佐役人となった。そのなかでウラマーやキヤイは政府の外、社会の側にあって住民の精神的指導者となり、宗教社会団体として勢力をもつようになった。このことから、国策としてイスラーム化を進めるマレーシアに対し、インドネシアでは多様性を維持するイスラーム勢力がイスラーム化を穏やかに進める力となっていると言える。小林氏はこのようなインドネシアのイスラーム勢力の機能を、「中道派」と呼べると示唆した。

 粕谷氏は、「世俗主義/世俗化」がマレーシアやインドネシアにおいてネガティブな概念であるのに対し、「中道」概念には言及しやすいことを指摘した。またイスラーム復興の概念図のなかで「中道派」を幅のある概念と捉えうることを示した。

 多和田氏は、コメントに対してマレーシアにおける中道を、一元論と極端な多元論の両極の中間的な多元論であるとした。他方でマレーシアにおいても独立以来、イスラームをめぐる政党の位置取りが変化していることも強調した。すなわち非マレー系すなわち非ムスリムにとっては独立時の約束事がマレーシアを「世俗国家」と主張する拠所となるが、近年、与党政治家からもマレーシアが独立以来イスラーム国家であるという発言が目立ち始めているという。

 フロアからは、宗教学における世俗化論がヨーロッパの宗教改革と複数教会化という特殊な歴史的文脈から発生した問題意識であることから、世俗化論や聖/俗概念の一般性に疑問を投げかけるコメントがあった。またイスラーム研究に限定せず日本やヨーロッパをふくむ世俗化研究との連携を有意義と見なすコメントがあった。

 総合討論では、まず「中道派」概念について、「中道派」と自認する勢力がいない場合、研究者が外からそれを名づけることは妥当なのか、また「中道派」と名付ける基準は何かということが問題となった。また、 地域ごとの事例から、各地域で「中道派」の振れ幅が大きく異なることが明らかになっており、「中道派」を設定して現代イスラーム社会をとらえる意味が何であるか、という問題も提起された。

 概念定義の問題に対しては、「中道」を設定するにあたりあらかじめ主題となる軸を限定しなければならないこと、また「中道」をとらえる際にそうした軸上での「バランス」がキーワードになるのではないかと提案がなされた。さらに、「中道」の同定に多数派の支持や影響力だけを基準とする必要はないとの意見もでた。総じて、バランス、弾力性、親・多元性、イスラーム・モデラト(穏健なイスラーム)やリベラル・イスラームなどが、「中道派」との親和性をもつ語彙として挙げられた。

 次に、「世俗化/世俗主義」概念については、トルコやインドなど公的な定義が設定されている地域を除いては「世俗」概念を用いた論考がきわめて少ないことが指摘された。これに対して、インドネシアのファトワーの事例をめぐる以下のような議論がなされた。インドネシアのファトワーを概観すると、神学的な問題は少なく、ほとんどは財産の処遇などに関する細かな俗人事項で、イスラーム法学は「現世」の問題を対症療法的に扱い発展してきた。このようなファトワーで導かれる結論は近代法学とあまり変わらないものであることも多いが、ファトワーを出す側も受ける側もそれをイスラーム的に意味づけている点が重要である。つまりイスラームにおいては、「来世」(Akhira)と「現世」(Duniawi)との区別を設けることよりも、此岸が彼岸を担っているという思想が重要なのであり、その点では一元論に回収されざるをえない。言い換えれば、「世俗」とは、イスラーム思想の中で位置づけを得られない、「イスラームでないもの」としか定義できないものとなるのである。

 当ワークショップでは、「イスラーム中道派」と「イスラーム社会における世俗化/世俗主義」というイスラーム社会分析のための新しい概念を、相互に比較の俎上におき、外から定義づけることが試みられた。この結果、「中道派」に関しては、その具体的内容の振れ幅を包摂し得るような「志向」 もしくは「方法」として「中道派」モデルを設定する展望が開かれたように感じられた。対して「世俗化/世俗主義」に関しては、西洋の宗教社会学的関心から発生した概念をイスラーム研究に組み込むための概念操作と問題設定に、より多くの作業が必要であるとの印象をもった。例えば「世俗主義」概念は近代国家=世俗国家という前提に対するイスラーム政党・イスラーム組織の態度や取り組みを分析する際の背景として有効であると考えられる。今後、「世俗主義」と「世俗化」という二つの概念それぞれの分析の射程についてさらに詳細に議論をする必要があろう。


報告者:光成 歩(東京大学大学院総合文化研究科)






KIAS、京都大学G-COE 「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」、英国・ダラム大学イスラーム金融プログラム共催国際ワークショップ
(2009年7月23-24日 於京都大学)

タイトル:"Evaluating the Current Practice of Islamic Finance and New Horizon in Islamic Economic Studies"

Program:
DAY 1 (23 July, 2009)
13:00-13:10 Opening Remarks by Prof. Yasushi Kosugi (Kyoto University)
13:10-13:25 Members Introduction
13:25-14:10 Workshop Speech 1
Speaker: Dr. Mehmet Asutay (Durham University)"Locating Islamic Finance in Multiple Modernities: Searching for a Place in Secular Public Sphere through Banking and Finance"
14:30-17:45 Session 1: “Risk” in Islamic Finance
Speaker 1: Dr. Zurina Shafii (Universiti Sains Islam Malaysia)"Risk Management in Islamic Finance: A Review of Risk Transfer Practices"
Speaker 2: Dr. Shahida Shahimi (Universiti Kebangsaan Malaysia)"Corporate Governance and Risk Management in Islamic Banks"
Speaker 3: Hylmun Izhar (Durham University)"Identifying Operational Risk Exposures in Islamic Banking"
Speaker 4: Rifki Ismal (Durham University)"How Do Islamic Banks Manage Liquidity Risk?"
Speaker 5: Ros Aniza Mohd.Shariff (Durham University)"The Global Banking Crisis: Is There a Total Immunity for Islamic Banking and Finance?"

DAY 2 (24 July, 2009)
9:00-9:45 Workshop Speech 2
Speaker: Prof. Abdul Ghafar Ismail (Universiti Kebangsaan Malaysia)"Epistemology and Curriculum Reform in Islamic Economics: Special Reference to the Quran and Sunnah Studies"
10:05-11:50 Session 2: Theoretical Foundation of Islamic Economics
Speaker 6: Nazim Zaman (Durham University)"Building Human Capital in an Islamic Development Paradigm: Trust and Faith in the Makkan Model"
Speaker 7: Dr. Shinsuke Nagaoka (JSPS, Kyoto University)"Conflict and Coordination between Economic Feasibility and Sharia Legitimacy in Islamic Finance"
Speaker 8: Dr. Mehboob ul-Hassan (JSPS, Kyoto University)"Khurshid Ahmad’s Contribution in Islamic Economics"
14:00-15:10 Session 3: Islamic Finance in Practice and Country Difference
Speaker 9: Zulkifli Hasan (Durham University)"Regulatory Framework of Shari’ah Governance System in Malaysia, GCC Countries and the UK"
Speaker 10: Mohd Rahimie Abd Karim (Durham University)"Islamic Investment Vs Unrestrcited Investment: An Unlevel Playing Field?"
15:30-17:50 Session 4: New Horizon in Islamic Economic Studies
Speaker 11: Nobutada Takaiwa (Hitotsubashi University)"Waqf and Trust: A Consideration of Property Arrangements in Islam and the West"
Speaker 12: Shamsiah Bte Abdul Karim (Durham University)"Contemporary Shari’ah Compliant Structuring for the Management and Development of Waqf Assets"
Speaker 13: Suhaili Almaamun (Durham University)"Islamic Estate Planning: Malaysian Experience"
Speaker 14: Muhammad Hakimi (Kyoto University)"Theory of Sharecropping from Islamic Economics Perspectives"
17:50-18:00 Closing Remarks by Dr. Mehmet Asutay (Durham University)


 京都大学とダラム大学との共催となった本ワークショップは、英国からイスラーム経済を専攻する研究者9名に加えて、アジア地域における研究拠点であるマレーシアからも3名の次世代研究者が参加し、国内からの報告者4名を加えて、総勢16名による報告が行われ、日本国内で開催されたイスラーム経済研究ワークショップとしては史上最大の規模となった。

 ワークショップは、ダラム大学のイスラーム金融プログラム(Durham Islamic Finance Programme, DIFP)の研究リーダーでもあるMehmet Asutay氏と、マレーシア国民大学でイスラーム経済研究グループ(Islamic Economics and Finance Research Group, EKONIS)を指揮するAbdul Ghafar Ismail氏による2つのワークショップ・スピーチに加えて、4つの報告セッションが設けられた。Mehmet Asutay氏によるスピーチ"Locating Islamic Finance in Multiple Modernities: Searching for a Place in Secular Public Sphere through Banking and Finance"では、西欧近代を相対化するなかで現代世界におけるイスラーム金融の位置づけとその可能性について議論がなされた。一方、Abdul Ghafar Ismail氏によるスピーチ"Islamic Banking Integration into the International Financial System"では、2000年代以降進んでいるイスラーム金融の内部(中東と東南アジア)・外部(国際金融システム)の両レベルにおける標準化作業の現況が紹介され、その意義が考察された。報告セッションはテーマ別に、第1セッション"Risk" in Islamic Finance、第2セッションTheoretical Foundation of Islamic Economics、第3セッションIslamic Finance in Practice and Country Difference、第4セッションNew Horizon in Islamic Economic Studiesと分けられた。いずれのセッションにも通底した問題関心は、昨今の金融危機を前にイスラーム経済はいかにあるべきなのかという点であったように思える。それは、単に、金融危機に対する処方箋をイスラーム経済の視点から提供するといった時流に乗ったものではなく、資本主義経済を構成する基本的な機能の捉え返しやイスラーム経済の特長の批判的な分析といった根本的なレベルにおける問題関心を含んでいた。そのような関心の下で、イスラーム金融の現状に対するクリティカルな評価が下され、金融以外の領域をも含んだイスラーム経済システムの可能性が検討された本ワークショップは、研究の国際的な潮流の中においてもきわめて貴重な試みであったように思われる。


報告者:長岡慎介(京都大学)






KIASユニット1-5・SIASグループ3共催国際ワークショップSIAS3/KIAS Joint International Workshop
(2009年7月12日 於京都大学)

タイトル:"Depth and Width of Islamic Culture and Society"

Chairs:
Akahori Masayuki (SIAS), Tonaga Yasushi (KIAS), Takahashi Kei (SIAS) and Nigo Toshiharu (KIAS)
Commentators:
Nevad Kahteran (Associate Professor, Sarajevo Univ., Bosnia and Herzegovina) and Alexandre Papas (SeniorResearcher, CNRS, France)

Program:
Part One: Width of Islamic Culture (10:40-12:20)
Speaker 1: Nakanishi Tatsuya (Kyoto Univ.)
"Sources of Islamic Ideas in Chinese Qadiris: Preliminary Research of Sufism and Taoism in Northwestern China during the 18th and 19th century."
Speaker 2: Ria Fitoria (Sophia Univ.)
"Paguyuban Adat Cara Kahurun Urang (PACKU): A Study of Religious Movement in Cigugur, West Java, Indonesia."
Speaker 3: Komura Akiko (Sophia Univ.)
"A New Look at Islam in Japan through the Magazine 'Assalam'."
Speaker 4: Fujii Chiaki (Kyoto Univ.), "The View of Illness Based on Islam: The Case of East African Coast."

Part Two: Depth of Islamic Thought (13:30-14:45)
Speaker 5: Tochibori Yuko (Kyoto Univ.)
"The Works and Thought of Amir 'Abd al-Qadir."
Speaker 6: Wakakuwa Ryo (Sophia Univ.)
"Against Secularism: Views of the Ulama on the Eve of Tunisian Independence."
Speaker 7: Sononaka Yoko (Kyoto Univ.)
"The Sama' of Sufi Literature: Minhacu'l-Fukara of Ismail Ankaravi, the 7th Sheikh of the Mevlevihane in Galata."

Part Three: Variety of Islamic Society (15:00-16:15)
Speaker 8: Yasuda Shin (Kyoto Univ.)
"The Concept of al-Siyaha al-Diniya: Focus on Syria and Egypt."
Speaker 9: Tobinai Yuko (Sophia Univ.)
"The Present-day Situation of the Life of Internally Displaced People in Khartoum: Through Fieldwork on the Kuku Language Used in the Activity of the Episcopal Church."
Speaker 10: Aleksandra Majstorac Kobiljski (Doshisha Univ.)
"Rethinking Butros al-Bustani's National Academy."

Comments from Commentators (16:30-17:10)

General Discussion (17:10-18:00)


報告
 研究会の第一部では、"Width of Islamic Culture"という主題のもとに4つの研究発表がなされた。まず、中西竜也氏(京都大学)による"Sources of Islamic Ideas Chinese Qadiris: Preliminary Research on Sufism and Taoism in Northwestern China during the Eighteenth and Nineteenth Centuries"は、中国におけるイスラームは非ムスリムの中国人による迫害、あるいは中国の伝統的思想によって中国化されているのか、という問いを検証することを目的としたものだった。その際、中国のカーディヤーン派スーフィーである馬吉安によって書かれた文献を調査し、馬吉安は彼が居住していた内陸部外からイスラームに関する知識を得ていることを明らかにした。参加者からは、中国におけるイスラームの変容は果たして中国化なのか、またはイスラームに関する知識の伝達の際に起きた単なる混乱なのか、という質問などが出された。

 次の、リア・フィトラ氏(上智大学)による"Paguyuban Adat Cara Kahurun Urang (PACKU): A Study of Religious Movement in Cigugur, West Java, Indonesia"では、西ジャワ州においてインドネシア人アイデンティティー、イスラーム、キリスト教信仰の融合を説く、PACKUという宗教組織の検証がなされた。インドネシアでは、5つの宗教のみが政府によって認可されており、その他の宗教は非公認なものとして身分証明書の宗教の欄には記載できない。この政策は政府による宗教的マイノリティーの統制に使われている。PACKUも非公認組織であるため、インドネシア政府からの弾圧を逃れるため、カトリック、プロテスタント、イスラームに庇護を求め、宗教に関する会員資格を変えてきたが、その間にも信仰の融合という信条を貫いていることが判明した。質疑応答では、どのような人がPACKUに入っているのかなどの質問がなされた。

 小村明子氏(上智大学)の"A New Look at Islam in Japan through the Magazine Assalam"の発表では、日本におけるイスラームを検証する際の、雑誌『アッサラーム誌』の重要性が明らかになった。これは、日本人ムスリムがどのように外国人ムスリムと接触し、イスラームを容認していったかを知るための、日本人ムスリムの変容の過程を検証することにつながるものである。『アッサラーム誌』は1975年から2003年まで発行され、イスラームの文化、政治、経済など幅広い分野を扱った雑誌であり、日本のイスラームの歴史を反映するものであると発表された。発表の終わりには、参加者から『アッサラーム誌』の発行部数や、スポンサー、義務ではないにも関わらず、なぜ日本人女性はムスリム男性と結婚する際改宗していることが多いのかなどの質問がなされた。

 最後には、藤井千晶氏(京都大学)による"The Practice of Prophetic Medicine in the Tide of Islamic Revival on the East African Coast"の報告がなされた。この研究の目的は、預言者の医療の実践を紹介し、なぜそれが現在東アフリカ沿岸部において実践されているのかを解明することにある。預言者の医療とは預言者の時代に行われていた医療実践と、コーランとハディースの記述に基づいた治療であり、シリアのダマスクスで9世紀に始まり、13世紀から14世紀の間に広く普及した。また、同時に預言者の医療が近年実践されている背景には、イスラーム復興の影響があることも明らかになった。イスラーム復興が盛んな今、「良いムスリム」になるため、人々は預言者の医療を選択するようになっているという。参加者からは、預言者医療へ通う住民の比率や、医療の効果、医者は治療費を請求するのかなどの質問がされた。


報告者:(堀内彩・上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科博士前期課程)


報告
 安田氏の発表は、伝統的なイスラームの巡礼や参詣とは異なり、1970年代以降あらわれてきたal-Siyaha al-Diniya(宗教観光)という現象に定義と解釈を与えるものであった。まず「同現象の歴史・背景」、「概念」、「同現象の出現は特殊性」に関して問題提起を行ない、これらに回答を与えるかたちで発表がなされた。

 安田氏はal-Siyaha al-Diniyaの出現の背景を①中東・アフリカ地域における観光産業の発展、②グローバリゼーション、③9.11以降のイスラームのイメージ悪化に求めた。そのうえで、経済・文化の二つの側面からal-Siyaha al-Diniyaの概念を説明した。経済的にみると同現象はイスラーム諸国において観光事業を推進するものだという。また文化現象としてみればムスリムがアイデンティティを再確認すると同時に、ムスリムではない人々がイスラームについて理解する機会を提供する。以上をふまえ安田氏はal-Siyaha al-Diniyaが現在決して特別なものではなく、拡大しつつある現象であることを説明し、今後の研究の重要性を述べた。

 飛内氏は、内戦を避けてスーダン南部から首都ハルツームへ避難して生活するククの人々(バリ語という言葉をもつエスニック・グループ)の言語状況に着目して発表を行なった。これは同氏がハルツームで行なったフィールドワークに基づくものである。

 ククの人々が公共空間ではアラビア語ハルツーム方言を話す一方、親密空間ではバリ語やアラビア語南部方言を用いるといったように場に応じて用いる言語を転換させていることを明らかにした。またこの状況には、同じエスニック・グループ内であるにも拘わらず年代間で相違がみられる。

 飛内氏の視点の独自性は、上記の言語使用を教会での活動と結び付けて論じたところにある。ククの人々はキリスト教聖公会を宗教として持つ。ハルツームにある同教会での活動が主にバリ語で行なわれていること、活動おいて彼らが自己アイデンティティを「クク」もしくは「東アフリカ」ととらえていることを指摘し、教会活動とアイデンティティ形成の関係について論じた。

 アレクサンドラ氏は、19世紀アラブ文芸復興運動の思想家ブトルス・ブスターニー(1819-83)の活動において教育活動が看過されてきたことを批判したうえで、彼の著作の整理、学校の様子、ベイルート・アメリカン大学の設立前史について発表した。そのなかで、ブスターニーが単に辞書編纂者や翻訳者、ジャーナリストとして生きたわけでなく第一には教育者であったということが主張された。

 後の20世紀、アラブ知識人を輩出する場となったナショナル・アカデミーに対するブスターニーの構想が論じられた。彼によって米国宣教師団が教育の場に導入されていったことで、近代アラブの知識人層が形成されただけでなくリベラル・アーツ教育が行なわれる布石となったことが説明された。


報告者:(野辺地あかね・上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科博士前期課程)


  全体報告
 本ワークショップは、"Depth and Width of Islamic Culture and Society."と題され、英語で全ての報告、コメント、ディスカッションが行われた。コメンテーターには、サラエボ大学のNevad Kahteran氏とフランス国立科学研究センター(CNRS)のAlexandre Papas氏の両名が招聘された。会合は、全部で3部に分けられ、それぞれの部のテーマに沿った報告が行われた。

 第1部の"Width of Islamic Culture"では、イスラームの地域的な広がりがテーマとされ、4つの報告が行われた。具体的には、中西達也氏による18~19世紀の中国北西部におけるスーフィズムと道教思想の融合に関する報告、リア・フィトリア氏によるインドネシア西ジャワ州の宗教組織PACKUの実践に関する報告、小村明子氏による『アッサラーム誌』を通した日本人ムスリムに関する報告、藤井千晶氏による東アフリカ・ザンジバルにおける預言者の医療の儀礼と実践に関する報告などである。アラビア半島で生まれたイスラームが中東以外の地域に拡大し、土着の要素を含んでいくことで多様性を獲得していったことが改めて確認された。

 第2部では、"Depth of Islamic Thought"と題され、イスラームの思想や思想家に関する2つの報告がなされた。栃掘木綿子氏は、アルジェリア建国の父とされているアブドゥル・カーディルの著作と思想に関する詳細な報告を行った。また、若桑遼氏は、チュニジアの伝統的なイスラームの学術機関であるザイトゥーナモスクから発行された『ザイトゥーナ誌』の分析を通して、チュニジアの独立闘争におけるその役割が過小評価されがちであったザイトゥーナのウラマーの思想に関する報告を行った。両報告は、植民地期に西洋の思想が流入し、アルジェリアやチュニジアがこれから国家を建設していく際に、伝統的なイスラームの思想家や思想界がどのような行動を起こしたのかに関する事例を提示するものであった。

 第3部では、"Variety of Islamic Society"と題され、3つの報告が行われた。安田慎氏は、al-Siyaha al-Diniya(宗教観光)の概念に注目し、その一例としてロンドンで発行されたIslamic Tourism誌を取り上げ、同誌の理念と同誌が発行された背景や理由などに関する報告を行い、またal-Siyaha al-Diniya(宗教観光)が9.11以降中東・イスラーム地域内で拡大しつつある現象だということを主張した。また、飛内悠子氏は、内戦を理由にスーダン南部から首都ハルツームへ避難して生活するククの人々(バリ語という言葉を話すエスニック・グループ)の言語状況と教会活動に関する報告を行った。飛内氏の報告は、イスラーム世界の中で(エスニック、宗教)マイノリティがいかに暮らし、自己認識を行っているかに関する事例を提示するものであった。最後に、Aleksandra Majstorac Kobiljski氏からは、19世紀アラブ文芸復興運動の思想家ブトルス・ブスターニー(1819-83)の活動とその業績に関する報告が行われた。それぞれの報告は、イスラーム社会内部で実際に起こっている動きを提示するものであった。

 ディスカッションでは、イスラーム世界の持つ多様さと幅広さが改めて確認されただけでなく、イスラームの「芯」というものがあるとすれば、それは一体何なのかということに関して議論が行われた。本ワークショップは、若手研究者に報告の場を与えるだけでなく、滅多に行うことのない英語での発表の機会を与えてくれたという点で非常に意義のあるものであった。今後もこのようなワークショップの開催が増えることは、研究者の育成に大いに寄与することであろう。


 

報告者:(秋山文香・上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科博士前期課程)

 





KIAS、京都大学G-COE「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」、立命館アジア太平洋大学共催国際ワークショップ
(2009年2月18日 於京都大学)

タイトル:Islamic Economic System and Divergent Paths of Economic Development(イスラーム経済システムと経済発展経路の多様性)

Program:
13:00-13:10 Opening Remarks
Session 1: Islamic Economic System and Economic Development (13:10-14:30)
13:10-13:40
Speaker: Dr. Muhammad Umer Chapra (Islamic Research and Training Institute, Islamic Development Bank), "The Concept of Economic Development in Islamic Economics"
13:40-14:30 Discussion
Comment 1: Prof. Kaoru Sugihara (Kyoto University), from the framework of sustainable humanosphere
Comment 2: Prof. Nabil Maghrebi (Wakayama University) from economics or development economics
Workshop Speech (14:45-16:00)
14:45-15:15
Speaker: Dr. Muhammad Umer Chapra, "The Prevailed Financial Crisis and Islamic Finance"
15:15-16:00 Round Table: On the Current Financial Crisis
Discussant 1: Prof. Yasushi Kosugi (Kyoto University)
Discussant 2: Mr. Etsuaki Yoshida (Japan Bank for International Cooperation)
Session 2: Entanglement of Islamic Economic System and Modern Capitalism (16:15-18:00)
16:15-16:45
Speaker 1: Mr. So Saito (Attorney-at-Law, Nishimura & Aashi), "Islamic Finance and Japanese Legal System"
16:45-17:15
Speaker 2: Mr. Shinsuke Nagaoka (Kyoto University), "Toward an Analytical Framework of Entanglement of Islamic Economic System and Modern Capitalism"
17:15-18:00 Discussion
Comment 1: Prof. Koji Muto (Ritsumeikan Asia Pacific University), from the experience of UK
Comment 2: Prof. Takio Mizushima (Tokushima University), from comparative economic thought
18:00-18:10, Closing Remarks


 本ワークショップは、イスラーム経済学およびイスラーム金融研究の分野で世界的に著名なムハンマド・ウマル・チャプラ博士(サウジアラビアのイスラーム開発銀行傘下の研究機関であるイスラーム研究教育機関Islamic Research and Training Institute, IRTIの理事)の来日に合わせて開催されたアカデミック・ワークショップである。ワークショップ・タイトルにもあるとおり、本ワークショップの主要な検討課題は、近代資本主義とは異なる経済発展経路として、イスラームの理念が掲げる経済システムのあり方からどのような示唆が可能であるかを考えた上で、現代のイスラーム金融の実践をそのような異なる経済システムが邂逅する場と捉え、そのような異なる経済システムの邂逅をどのように捉えるかを検討することであった。
 第1セッションでは、イスラーム経済独自の経済発展経路についての議論が行われた。ウマル・チャプラ氏による報告では、イスラームの理念における発展の概念についての一般的な紹介がなされた後で、前近代のイスラーム世界を代表する学者であるイブン・ハルドゥーンの立論に即したイスラームにおける独自の経済発展経路の可能性についての検討が行われた。ディスカッションでは、東アジアの経済発展のあり方とイスラーム経済が示唆する経済発展のあり方の共通性についての議論が行われたほか、チャプラ氏が行ったイブン・ハルドゥーンに対する分析とは異なる角度からの検討がなされた。
 続くワークショップ・セッションでは、昨今の金融危機に対してイスラーム金融がどのような示唆を与えることができるかについての報告がウマル・チャプラ氏から行われた。すでに2日前の東京での一般向けの講演会において同様の主題についての報告が行われたが、本ワークショップでの報告ではよりアカデミックに突っ込んだ報告が行われた。この報告に対しては、金融論の観点から、報告では触れられなかったデリバティブのような証券化商品と並んで近年イノベーションが著しい金融商品をイスラーム金融の枠組みで捉えるべきかについてのコメントが提示された。また、イスラーム研究の観点から、金融危機に至るまでの近代における国際金融システムの歴史をどう捉えるべきかについての重要な問いが提起された。
 最後の第2セッションでは、近代資本主義とイスラーム経済システムが邂逅する場としてのイスラーム金融の実践をどのように捉えるかについての議論が行われた。斎藤創氏の報告では、イスラーム金融業務を日本法制下において取り扱う場合の法制度的問題点が最新の状況とともに取り上げられるとともに、マレーシアにおいてイスラーム金融業務を検討している現地法人が直面している問題点が紹介された。ディスカッションでは、関連法令を先進的に整備してきたイギリスの事例が紹介され、それとの対比で議論が展開された。続く筆者(長岡慎介)の報告では、イスラーム金融の実践が依拠する理論におけるイスラーム経済の独自性と近代資本主義との共通性についての議論が行われ、人類学におけるentanglementの概念による分析枠組みの提示が行われた。ディスカッションでは、分析概念の妥当性やイスラーム金融理論の頑健性についての議論が交わされた。
 本ワークショップには、アカデミアに属する研究者だけでなく、イスラーム金融業務に関わりのある多くの実務家も参加したことで、普段のアカデミアにおける研究会では見られない多様な論点が俎上にのぼった。イスラーム金融に関する国際会議やワークショップは近年、世界各地でさかんに開催されているが、アカデミアの世界と実務の現場が学的な交流を行う機会はまだまだ少ないと思われる。そのような意味においても、本ワークショップにおいて超・学際的な議論の場を設けたことは、きわめて貴重な試みであったと言うことができよう。

報告者:長岡慎介(京都大学)






KIAS、京都大学G-COE「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」、立命館アジア太平洋大学、(財)国際貿易投資研究所共催講演会
(2009年2月16日 於東京ステーションコンファレンス会議室)

タイトル:「世界金融危機とイスラーム金融」

プログラム:
13:30-13:35 開会挨拶(立命館アジア太平洋大学学長、モンテ・カセム)
13:35-13:40 来賓祝辞(駐日サウジアラビア王国特命全権大使、ファイサル・ハサン・トラッド閣下)
13:40-14:10 基調講演1
「顧客はイスラーム銀行をどうみているか―アンケート調査の結果から」武藤幸治(立命館アジア太平洋大学)
14:10-14:40 基調講演2
「世界金融危機とイスラーム金融」ムハンマド・ウマル・チャプラ(イスラーム開発銀行・イスラーム研究教育機関)
14:50-15:00 質疑応答

 本講演会は、イスラーム経済学およびイスラーム金融研究の分野で世界的に著名なムハンマド・ウマル・チャプラ博士(サウジアラビアのイスラーム開発銀行傘下の研究機関であるイスラーム研究教育機関Islamic Research and Training Institute, IRTIの理事)の来日に合わせて開催された。チャプラ博士は、アメリカの大学で博士号を取得の後、長年にわたってサウジアラビアの中央銀行に相当するサウジアラビア通貨庁(Saudi Arabian Monetary Agency, SAMA)で経済顧問を担当した経験もあることから、イスラーム経済・イスラーム金融の理論・実務の両方に長けており、「世界金融危機とイスラーム金融」という本講演会における講演もそのような長年にわたる理論面における研究と実務での経験を反映した重厚なものとなった。
 講演では、まず、在来型金融システムの脆弱性と不安定性の根本的要因を、昨今の金融危機の発信源の1つであるサブプライムローンの特徴とその悪弊を考えることによって明らかにした。そこでは、サブプライムローンに代表される在来型金融において開発されてきた金融商品の多くにおいて、リスクを当事者間でシェアするしくみが欠如していたり、過剰な貸出に陥りかねないスキームとなっていたりしたことで、高いレバレッジや投機的行動、資産価格の高騰を誘発しかねないような構造となっていることが指摘された。その後、イスラーム金融システムの特徴が紹介され、リスクのシェアと実際の財の売買にもとづく信用の供与を大原則とするイスラーム金融システムが、在来型金融システムの立て直しに様々な示唆を与えてくれることが指摘された。
 講演会にはイスラーム金融に関心を持つバンカーや法律家の多くが参加し、講演の後で行われた質疑応答の場面では核心を突くような議論が交わされた。このことは、日本においてもイスラームの理念にもとづく金融システムが在来型金融システムに対してどのような寄与ができるかについて大きな関心が払われていることを示しているものといえよう。
 チャプラ博士の講演の前には、立命館アジア太平洋大学の武藤幸治教授による「顧客はイスラーム銀行をどうみているか―アンケート調査の結果から」と題した基調講演も行われ、イスラーム金融を利用する顧客の視点に立脚した貴重な実証研究の成果が報告された。

報告者:長岡慎介(京都大学)






KIAS、京都大学G-COE「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」イニシアティブ1、東京外国語大学科学研究費基盤(A)「現代アジア・アフリカ地域におけるトランスナショナルな政治社会運動の比較研究」共催国際ワークショップ
(2009年2月7日~8日 於東京外国語大学)

タイトル:"Middle East & Asia Studies Workshop New Approaches in Central-South Asia and Middle Eastern Scholarship"

日時:2月7日(土)9:50-18:45、8日(日)10:00-19:00
場所:東京外国語大学府中キャンパス研究講義棟4階401-3

Program:

(Saturday) February 7 (9:50-18:45)
9:50-10:00 Welcome and Introduction: Keiko SAKAI (Tokyo University of Foreign Studies)
10:00-12:00 Keynote Speech: Prof. Kamil MAHDI (University of Exeter UK)
"The US Occupation of Iraq in Perspective"
12:10-14:00 Session 1
Speaker 1: Dai YAMAO (Kyoto University)
"The Hidden Surge of the Shi'ite Religious Establishment in 1990s: A Social Movement of the Second al-Sadr in Iraq"
Speaker 2: Intissar AL-FARTTOOSI (Tokyo University of Foreign Studies)
"Why the number of IDP did increase after 2006 in comparison with post-2003?"
14:00-14:30 Lunch break
14:30-16:30 Session 2
Speaker 1: Mohamed Omer ABDIN (Tokyo University of Foreign Studies)
"Peacemaking as a tool for survival: why did authoritarian regimes manage to reach a negotiated settlement in Sudan?"
Speaker 2: Aiko HIRAMATSU: (Kyoto University)
"Democracy and Islam in Kuwait"
16:30-16:45 Coffee Break
16:45-18:45 Session 3
Speaker 1: Emiko SUNAGA (Kyoto University)
"Creation of Pakistan as a "Muslim Nation-State""
Speaker 2: Sayed MUZAFARY (Tokyo University of Foreign Studies)
"Ethnicity, Lack of national integration and Prospect for Further Democratization in Afghanistan"

(Sunday) February 8 (10:00-19:00)
10:00-11:20 Keynote Speech: Prof. Yasushi Kosugi (Kyoto University)
"Islamic Revival Revisited: the State of the Study and our Prospective Tasks in Japan"
11:30-13:30 Session 1
Speaker 1: Yuko TOCHIBORI (Kyoto University)
"Al-Amir `Abd al-Qadir al-Jaza'iri: What shaped his Figure"
Speaker 2: Shin YASUDA (Kyoto University)
"Formation of Religious Tourism in Contemporary Syria: Transformation of Ziyara in Shi'ite Islam"
13:30-14:30 Coffee break
14:30-16:30 Session 2
Speaker 1: Maja VODOPIVEC (Tokyo University of Foreign Studies)
"Film Narratives after Breakup of Former Yugoslavia and How They Supplement with the Historical Reality"
Speaker 2: Reiko IIDA (Kyoto University)
"Transformation of Tamasha in State of Maharashtra, India: From Folk Arts to Public Culture"
16:30-16:45 Lunch break
16:45-18:45 Session 3
Speaker 1: Esen URMANOV (Tokyo University of Foreign Studies)
"Transformation of Clan Politics into Party Politics in Kyrgyzstan (2005-2008)"
Speaker 2: Hiroko KINOSHITA (Kyoto University)
"Islamic Higher Education in Contemporary Indonesia: Through the Islamic Intellectuals of al-Azharite Alumni"
18:45-19:00 Closing

 本ワークショップは、2日間にわたり、6つのセッションで実施された。以下、セッションごとの報告の概要と議論を簡単に振り返りたい。
 第1セッションは、イラクにかんする報告が2本で構成されていた。第1の報告では、1990年代イラクのバアス党権威主義体制下で発生した社会運動が取り上げられ、権威主義体制下で厳格に管理・抑制されていたはずのイラクで、なぜイスラーム主義を掲げた社会運動が大きな動員力を持つにいたったか、という問題が分析された。そこでは、バアス党政権の政策とイスラーム主義社会運動の戦略の奇妙な一致があったと指摘されたが、より緻密な政治経済構造との関係を明示するべきとのコメントが挙げられた。第2の報告では、2003年の米軍によるイラク侵攻ののちに、2006年以降に国内避難民が急増したのはなぜか、という問題が論じられた。そこでは、2006年に発生したシーア派聖地への爆破事件が宗派対立を醸成する大きな契機となったことが結論されたが、実際は宗派主義ではないとの議論も展開され、どちらがテーマなのかを明らかにするべしとのコメントが挙げられた。
 第2セッションは、キルギスタンとインドネシアの事例が報告された。第1のキルギスタンの報告では、議会政治の性格が、氏族を中心とするものから、政党政治へと変化したことが、議員のプロフィールや計量分析などを巧みに用いて証明された。論旨は極めて明確で、主張もクリアだったが、議員のプロフィール分析に用いたデータの提示がなかったために、分類の妥当性に対する疑問が提示された。第2のインドネシアの事例では、カイロのアズハル大学に留学したインドネシア人留学生が、帰国後にインドネシアのイスラーム高等教育にどのような影響を与えているかを分析したものであった。若手の留学生を中心に、祖国から遠く離れたカイロで、インドネシアのイスラーム実践の多様性に触れたのち、祖国でその多様性を架橋する形でインドネシア的なイスラーム教育を再構成していく姿が描かれた。
 第3セッションは、パキスタンの国家形成についての報告がなされた。そこでは、パキスタンの独立は、ムスリムを国民として規定する力学が働いたことを受けて、パキスタンをムスリム国民国家とする分析視覚が提示された。これに基づいて、パキスタン建国史を丹念にまとめた報告となった。それに対して、パキスタンの現代史を、端的に言えば、ムスリム国民国家として分析する妥当性に対する慎重な姿勢を促すコメントが挙がった。
 第4セッションでは、ボスニアとインドの事例が報告された。ボスニアの報告では、内戦の歴史が、映画制作を通じて国民の共通した歴史認識を再構築していった、という趣旨で行われた。ただし、映画制作とその説明からは、具体的にどのようにナショナル・ヒストリーが再構築されていった、言い換えると、個人の記憶をナショナルなものに再構築したのか、ということが実証的に示せていないとのコメントが挙がった。インドの事例では、かつて農村部の卑猥な芸能であったものが、都市化にともなって都市の上品な芸能へと変容したと結論された。その背景には、1990年ころからの新・新中間層の台頭と、彼らの都市への移動があったという。
 第5セッションでは、アルジェリアとシリアの事例が報告された。アルジェリアの報告では、反仏植民地主義闘争の指導者の思想が取り上げられ、彼の反植民地闘争が後の哲学者としての思想にいかなる影響を与えたかについて、歴史資料を用いた報告が行われた。しかし、その活動と思想を再構築する際のオリジナリティーをどのように出していくかについて、活発な質疑が行われた。シリアの報告では、1980年代にシリア国内のシーア派の聖地への巡礼者が増加した原因を、観光産業の強化という政策に求める議論が展開された。これに対して、具体的な統計データの提示が必要であり、必ずしも観光産業の強化が主たる原因との実証が明示的ではないとのコメントが挙げられた。
 第6セッションでは、スーダンとクウェイトの事例が報告された。スーダンの報告では、平和構築のプログラムがなぜ権威主義体制下でのみ受け入れられたのか、そしてそのプログラムがけに主義体制にどのような影響与えたのか、という問題が分析された。そこで明らかにされたのは、平和構築のプログラムが政党制の付与などの点において体制にプラスの影響に働き、その結果、逆に権威主義体制を強化する作用をもたらしたことが明らかにされた。クウェイトの事例では、イスラームは民主主義を阻害するか、という問題を一旦棚上げにし、イスラーム主義組織がどのように政治参加を行っているかという実態を分析することに主眼が置かれた。その手段として、女性組織の政治参加が取り挙げられたが、イスラーム主義を掲げる女性組織の政治参加だけで、ひろくイスラームと民主主義の関係に議論を発展させていけるのか、などのコメントが寄せられた。
 最後に、カーミル・マフディー教授によるキーノート・スピーチでは、イラク政治の現在と占領政策にかんする詳細なデータが提示された。イラク政治に限らず、外国軍の占領と紛争、紛争後の平和構築に興味を持つ出席者にとって、イラクの事例は極めて有益な情報となった。
 多様なテーマに触れる機会としての有効性に加え、異なるディシプリンを持つ報告者が中東経済史研究の最先端で活躍する研究者からの示唆に富むコメントを受けることができ、非常に有意義なワークショップとなった。

報告者:山尾 大(京都大学)


KIAS、TIAS、広島市立大学国際学部共催国際シンポジウム
(2008年12月12日~16日 於東京大学・広島市まちづくり市民交流プラザ・京都大学)

タイトル:「ナクバから60年―パレスチナと東アジアの記憶と歴史」

日時:12月12日(金)13:00~17:00
場所:東京大学東洋文化研究所会議室
日時:12月14日(日)13:00~17:00
場所:広島市まちづくり市民交流プラザ
    6階マルチメディアスタジオ
日時:12月16日(火)10:00~17:00
場所:京都大学稲盛財団記念館

詳しくはこちらのページをご覧ください。
/nakba2008/

2008/12/12
Opening : 13:00-13:30
Chair: NAGASAWA Eiji(The University of Tokyo)
Welcome Speech: SATO Tsugitaka(Waseda University, General Director of IAS)
Guest Speech: Ali QLEIBO(al-Quds University)
Session 1: 13:30-17:00
“Nakba Revisited: Memories and Histories from a Comparative Perspective”
Chair: NAGASAWA Eiji
Welcome Party: 18:00-
13:30-13:45 Opening Address: USUKI Akira(Japan Women’s University)
13:45-14:45 Keynote Lecture: Nur MASALHA(St Mary’s College, University of Surrey)
“60 Years after the Nakba: Historical Truth, Collective Memory and Ethical
Obligations”
14:45-15:15 Presentation 1: MORI Mariko (The University of Tokyo)
“Zionism and Nakba: The Mainstream Narrative, the Oppressed Narratives, and the Israeli Collective Memory”
15:15-15:45 Presentation 2: Timur DADABAEV (University of Tsukuba)
“Trauma, Public Memory and Identity in Post-Soviet Central Asia”
15:45-16:00 Coffee Break
16:00-17:00 Discussion

2008/12/14
Session 2: 13:00-17:00
“NAKBA and HIBAKU: Dialogue between Palestine and Hiroshima”
Chair: KAKIGI Nobuyuki(Hiroshima City University)
13:00-13:45 Opening Address: UNO Masaki(Hiroshima City University)
13:45-14:45
Keynote Lecture: Rosemary SAYIGH(Anthropologist and Oral Historian Living in Lebanon)
“Hiroshima, the Nakba: Markers of Rupture and New Hegemonies”
14:45-15:00 Coffee Break
15:00-15:30 Presentation 1: NAONO Akiko (Kyushu University)
“Listening to the Murmur of Voices in the Hiroshima Memoryscape”
15:30-16:00 Presentation 2: UKAI Satoshi (Hitotsubashi University)
“Pictures, Movies and Memories of the Nakba”
16:00-17:00 Discussion

2008/12/16
Session 3: 10:00-14:20
“Narrating and Listening to the Memories of Nakba in Kyoto: Dialogue between Palestine and East Asia”
Chair: SUECHIKA Kota(Ritsumeikan University)
10:00-10:30 Opening Address: OKA Mari(Kyoto University)
10:30-11:30
Keynote Lecture: Sari HANAFI(American University of Beirut)
“Spacio-cide: Israeli Politics of Land and Memory Destructions in Palestinian Territory”
11:30-12:30 Lunch
12:30-13:00 Presentation 1: MUN Gyong-su (Ritsumeikan University)
“The Origin and the Present of the Problems of Korean Residents in Japan”
13:00-13:30 Presentation 2: YAMASHITA Yeong-ae (Ritsumeikan University)
“Nationalism and Gender in the Comfort Women Issue”
13:30-14:30 Discussion
Closing Session: 15:00-18:00
Chair: KOSUGI Yasushi(Kyoto University)
Part 1: In Thinking Back to the Symposium 15:00-17:00
Part 2: Future of Palestine, Future of Palestine Studies in Japan 17:00-18:00
From Young Researchers
Attendants: NISHIKIDA Aiko(Tokyo University of Foreign Studies), SUGASE Akiko(The Graduate University for Advanced Studies), TAMURA Yukie(Tsuda College), TOBINA Hiromi(Kyoto University), TSURUMI Taro(The University of Tokyo)
Farewell Party: 19:00-
Presentation 1: TOBINA Hiromi (Kyoto University)
“Depicting the Live of Palestinians under the Israeli Occupation: The Case of East Jerusalem”
Presentation 2: TSURUMI Taro (The University of Tokyo)
“The Russian Origins of Zionism: Interaction with the Empire as the Background of the Zionist World View”
15:00-15:30 General Comment: Ali QLEIBO(al-Quds University)
15:30-16:15 General Discussion
16:15-16:45
Guest Lecture: Yakov RABKIN(University of Montreal)
“Perceptions of Nakba in Zionist and post-Zionist circles”
16:45-17:00 Break
Closing Speech: USUKI Akira(Japan Women’s University)
“Future of Palestine Studies in Japan”
Closing Remark: ITAGAKI Yuzo(Professor Emeritus of the University of Tokyo and Tokyo Keizai University)

Session 1:

 2008年12月12日から16日にかけて、東京・広島・京都にて、国際シンポジウム「ナクバから60年―パレスチナと東アジアの記憶と歴史」が開催された。この国際シンポジウムには、海外からヌール・マサルハ氏、ローズマリー・サイイグ氏、サリー・ハナフィー氏、アリー・クレイボ氏、ヤコブ・ラブキン氏が参加した。本報告書では、12月12日に東京大学東洋文化研究所で行われたセッション1「ナクバ再訪―記憶と歴史の断絶を超えて」の報告を行う。
 東京セッションでは、パレスチナ人研究者による新たなナクバ研究と、シオニストによるナクバの語りの対比が目指され、また地域間比較の視点から中央アジアの事例が取り上げられた。はじめに、ヌール・マサルハ氏が「ナクバから60年―歴史的事実、集団的記憶、そして倫理的責務」と題する基調講演を行った。 次に、シオニストを中心にイスラエルにおいてナクバがどのように語られてきたかについて、森まり子氏が「シオニズムとナクバ」と題する発表を行った。 次に、地域間比較の視点から、また記憶と歴史をめぐる議論に新たな角度から切り込むことを目指して、ティムール・ダダバエフ氏による「ソ連後の中央アジアにおけるトラウマ、公共的記憶、そしてアイデンティティ」と題する発表が行われた。
 全体討論では、まず、アリー・クレイボ氏が、ナクバとはパレスチナ人の殺傷だけを意味するのではなく、パレスチナで営まれてきたパレスチナ人の生活が根こそぎにされたことをも意味するのであり、そのすべてが1948年に起こった暴力であると指摘した。次に、聴衆の側から、栗田貞子氏(千葉大学)が、ナクバを議論する際の枠組みについて、シオニストとパレスチナ人の間の「ナクバの語り」のダイアローグとしてではなく、ナクバの悲劇を植民地主義の問題として論じることによって、地域間比較を含めてより広範で意義深い議論につながるのではないかと問題提起を行った。これに対し、発表者は、栗田氏の意見に賛成の意を示した。また、本シンポジウムの運営委員長である板垣雄三氏からは、シンポジウムと東京セッションのタイトルに「記憶」という言葉が使われていることについて、なぜ「体験・経験(experiences)」ではなく「記憶(memories)」なのかという問題提起がなされた。この点については、シンポジウムを通して考えていく問題となった。
 1948年に70万人とも言われるパレスチナ人が難民となったナクバの過程を、資料やオーラル・ヒストリーを通して明らかにする作業は、現在でも重要な課題である。また、「記憶」や「語り」といった抽象的な問題を通して、ナクバをどのように語り、歴史の中に位置づけるかを考えていくことも重要な課題である。同時に、報告者は、アリー・クレイボ氏が指摘した「ナクバとはそこに住んでいたパレスチナ人の生活を根こそぎにするものであった」という点に注目したい。それまであった人々の社会生活が奪われ、そこで営まれていた生活の有様が消え去ることも、ナクバの暴力であったと考えるからである。難民化の過程と難民としてのその後の生活だけでなく、ナクバ以前にパレスチナに存在していた人々の生活を書きとめていく作業も、今後のパレスチナ研究にとって重要な課題ではないか。
 最後になったが、本シンポジウムの準備・運営を成功裏に進めてくださった運営委員・実行委員(報告者自身も実行委員会の一人であるが)の皆さまと、本シンポジウムに準備段階から参加する機会を与えてくださったイスラーム地域研究プロジェクトに、心から感謝申し上げたい。また、まだ若手の研究者である報告者に、多くの知的刺激を与えてくださったパレスチナ研究者の先達に対しても、お礼を申し上げたい。

報告者:飛奈裕美(京都大学)


Session 2:

 三都をめぐるナクバ国際シンポジウムは、二番目の都市である広島に到着した。広島は世界ではじめて原爆が投下された街として、中東でも長崎と並んで知名度が非常に高い都市である。第2セッションでは、「ナクバとヒロシマ――記憶とその継承」をテーマに、ふたつの大きな悲劇がどのように次世代に語り、記憶し、継承されるのかを議論した。3セッションの中では唯一の一般公開となり、当日の会場には100名を超える参加者が集まった。
 はじめに、広島セッション代表の宇野昌樹氏(広島市立大学)から本シンポジウムの趣旨説明が行われた。広島とナクバは両者が共通に抱える問題として、経験としての破壊や暴力、その記憶と継承という問題を有していると指摘された。そのため、ナクバと広島について双方向に考えることによって、両者を新たな視点で問い直す可能性が見えてくるのである。さらに、新たな記憶の出会いとなり、それらの記憶の継承の可能性となるのではないかと、問題提起がなされた。このような趣旨に位置づけ、スピーカーの3氏が紹介された。
 続いて、ローズマリー・サーイグ氏(レバノン在住・人類学者)から「ヒロシマ、ナクバ――破壊と新たな覇権の標として」と題した基調講演が行われた。サーイグ氏は高校を卒業した多感な時期に、広島・長崎の原爆投下に強い衝撃を受け、その恐怖がアラブ・パレスチナ研究に向かったという。このエピソードは、トラウマと記憶が、個人と政治が、自己と他者がいかに繋がるかを説明すると指摘する。広島とナクバの記憶と語りは、前者が場所によって表象されるのに対し、後者は時間によって表象される。しかし、両者に共通する最も重要な点とは、アメリカとイスラエルによる人種差別と例外主義に基づき行われたということを厳しく指摘した。サーイグ氏はさらに近年のナクバ研究を参照しつつ、ナクバがこれまで語られてこなかった構造的問題を明らかにした。また、ナクバを取り巻く現状について、記憶と継続、待つこと、屈服しないこと、という抵抗の形態を提示し、ナクバと広島から学びとられるグローバルに展開する運動の可能性を示唆したのである。
 次に、直野章子氏(九州大学)から、「被爆を語る言葉の隙間」と題し、広島における記憶の継承と語りの問題という視点から報告がなされた。日本における被爆の記憶は、原爆被害者を置き去りにしながら「反核・平和」が語られ、その物語として編成されてきたと指摘。しかし、広島は単なる平和のメモリアルだけではなく、見る角度によって戦争終結の喜びや解放などの象徴になる。時代背景とともに広島と平和に対する語りが変遷する中、被爆者の語りを集めた『原爆の子』は、語りに隠されている問題点を痛烈に批判しているという。そこには、平和の名の下に被爆者が置き去りにされた現状が訴えられているのであった。原爆被害の記憶と語りをめぐり、今もなお、語られないまま失われていくものがある。
 そして、鵜飼哲氏(一橋大学)から、「ナクバの写真、映像、記憶」と題し、いくつかの映像作品の比較を通じて記憶の生成について検討がなされた。写真や映像といったイメージは、外部世界のわれわれに記憶を認識させたり、また新たな発見を示したりする。広島とナクバの経験を参照するとき、両者は加害者による責任の承認が近い将来に期待できないということに類似していると指摘した。このような状況において、長期的なイメージ・ポリティクスの戦略を練り上げる必要を訴えた。そのような試みとして、フランス映画『ヒロシマ私の恋人』をパレスチナ人映像作家であるミシェル・クレイフィが『石の讃美歌』をリメイクしたことが挙げられる。長い闘争のためにも、写真や映画は記憶と語り、問題の理解にとって依然重要な媒体である。そして、すでに出来上がっている記憶だけではなく、新しい記憶の構築の必要性を主張した。
 その後、スピーカーによるディスカッションと会場からの質疑応答へと続いた。広島を語る際、日本の加害者責任は免れないものとして、どのように語っていくかは一つの焦点となる。この困難な点を乗り越え、国民国家の枠に縛られない、新しい記憶の必要性が訴えられた。また、広島はこれまでナクバや世界の不正義に耳を傾けてこなかったのではという、排外的感覚や例外主義的立場もあったという指摘に対して、サーイグ氏はそれでも平和活動や世界の抵抗の「場」としての広島の重要性はあると、未来に向けた建設的な主張がなされた。

報告者:堀拔功二(京都大学)


Session 3:

 「セッション3」は岡真理氏による趣旨説明で幕を開けた。チリ出身の作家、アリエル・ドルフマンの「世界には無数の9・11」がある、との言葉を媒介に、「日本帝国主義による朝鮮植民地支配」を無数の「ナクバ」のひとつとしてとらえ、アジア大陸の両端における「ナクバ」の記憶をすりあわせることによって浮上するさまざまな問題について考えたいとの提起がなされた。
 続いて、サリー・ハナフィー氏による基調講演「スパシオサイド:被占領パレスチナにおける土地と記憶の破壊をめぐるイスラエルの政策」が行われた。氏は、死傷者の人数を基準とする分類法によってアラブ・イスラエル紛争が「低強度紛争」としてみなされてきたことを指摘し、より正しい問題理解のためには、パレスチナ人の生活空間に対する徹底的な破壊――スパシオサイド――という側面への着目が必要であることを提起した。そこでは、シュミット、アガンベンの「例外状態」やフーコーの「生政治」といった概念が援用され、パレスチナ人を無力化し、「自発的移送」へと追いやろうとする様々な占領政策の背景にある構造について、現地の写真等を交えながら説明された。
 文京洙氏の報告「在日朝鮮人問題の起源と現在」では、在日朝鮮人の視点から日本と朝鮮半島におけるナショナリズムのあり方に対する歴史的批判がなされた。そこでは、戦後、すでに日本社会のなかに根付いていた在日朝鮮人が一方的に「外国人」化されたことが指摘され、また同時に、朝鮮半島の側における「一民族一国家」指向によって在日朝鮮人が翻弄されてきたことも指摘された。そしてグローバル化時代におけるマイノリティのあり方として、ナショナリズムの論理による切り分けと囲い込みを拒否することの重要性が訴えられた。
 山下英愛氏の報告「『慰安婦』問題にみるナショナリズムとジェンダー」では、日本軍「慰安婦」問題に関する90年代以降の運動の経緯が説明され、そのなかで、日本人「慰安婦」が不可視化されてきた事実に着目する。そしてこの不可視化の構造を乗り越えるためには、他国に対して発動するナショナリズムのみならず、自国で作動し内面化されているナショナリズムを自ら解体する必要があるとの問題提起がなされた。
 討論では、東アジアのポストコロニアル状況を分析する枠組みとパレスチナ・イスラエル問題を分析する枠組みを同時に論じることの可能性と困難についての議論などが積極的になされ、今後の議論の継続の必要性が確認された。

報告者:役重善洋(京都大学)




KIAS、京都大学G-COE「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」イニシアティブ1/4共催ワークショップ
(2008年12月3日 於京都大学)

タイトル:「地域研究と大学院教育の未来」

 12月3日、来年の4月にASAFAS(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)に新設される、「グローバル地域研究専攻」で教鞭をとることになっている4名を招いて、京都大学でワークショップ「地域研究と大学院教育の未来」が開催された。本ワークショップは、これまで10年間ASAFASで行ってきた大学院教育を振り返るとともに、来年度から新設されるグローバル地域研究専攻を核とした新たな大学院教育の形を議論していくものであった。
 はじめに、来年度から新設される「持続型生存基盤論講座」を代表し、杉原薫氏が「持続型生存基盤パラダイムの創成 -環境・政治・経済を総合する新しいアジア研究-」というタイトルで発表した。発表者はまず、グローバル化の進展やアジア・アフリカ地域の発展が進んでいる今日、もはや温帯を中心とした従来のパラダイムでは世界を捉え切れない点を指摘した。その上で、パラダイムの基盤を従来の温帯中心から熱帯中心へ、そして土地所有や国境に見られる「地表」から人間生活に影響を及ぼす空間全体を研究対象にする「生存圏」へとシフトしていくことが求められると述べた。
 次に「イスラーム世界論講座」を代表し、小杉泰氏が「発展するイスラーム地域研究の地平:ネットワーク型研究拠点形成と大学院教育」というタイトルで発表を行った。発表者はこれまで10年間行ってきたASAFASでの大学院教育を振り返り、現代における地域の特性や独自性を論じる「地域研究」という学問領域が徐々に浸透している点を紹介した。さらに近年のASAFASやKIAS(京都大学イスラーム地域研究センター)の活動を紹介し、世界を主導する研究の推進や若手研究者の研究を推進する基盤が徐々に整備されてきた点を指摘した。来年度からの「グローバル地域研究専攻」は、地域研究の発展にさらに寄与するものであると発表者は締めくくった。
 次に「南アジア・インド洋世界論講座」を代表し、田辺明生氏が「躍動するインドの新しい姿と南アジア研究の今後」というタイトルで発表した。発表者はまず、現代の南アジアが置かれた状況を、インドを中心に政治・経済・社会に関するさまざまな統計データを用いて紹介した。そこから、南アジアが今日、政治・経済・社会・思想が密接に関わり合う形で躍動し、今後の世界のなかで極めて重要な役割をはたすようになると述べた。その上で、研究の分野でも世界全体に寄与するさまざまな有益な研究を南アジアは提供してくれる点を指摘し、今後の南アジア研究の可能性を発表者は具体的な事例を示しながら紹介して締めくくった。
 最後の発表は、文献研究の立場を代表し、東長靖氏が「スーフィズム/タリーカ研究における文献研究とフィールドワークの技法」というタイトルで発表を行った。本発表は思想研究を専門とする発表者が、これまで10年間行ってきた大学院での指導を振り返り、地域研究における文献研究とフィールド研究の架橋の可能性について述べた。そこでは、将来の地域研究者はフィールドワークに特化するだけでは不十分であり、逆に文献に特化するだけでも不十分である。両者を「またぐ」ことが最も求められる地域研究者の姿であるという点を、具体的な逸話や資料を紹介しながら述べていった。
 本ワークショップは分野も地域も違う4名の発表者によるものであったが、ASAFASにおける地域研究のこれまでの歩みと、これからの可能性を示す大変有意義なものであった。来年度以降の大学院教育のさらなる進展に期待したい。

報告者:安田慎(京都大学)






KIAS・マラヤ大学アジア-ヨーロッパ研究所(AEI)共催国際会議
(2008年11月22日~24日 於ホテル日航クアラルンプル(マレーシア))

タイトル:"New Horizons in Islamic Area Studies:Islamic Scholarship across Cultures and Continents"

Plenary Session
1.The State of Islamic Studies Across Cultures and Continents(convener:Omar Farouk)
2.Madrasa in Contemporary Asia(convener:Sakurai Keiko)
3.Islam and Development(convener:Hamidin Abd. Hamid)

Parallel Session
1.Islamic Arts and Calligraphy(convener:Abdul Latiff Mirasa)
2.Approaching the Religious Space: The Mosque and Local Society
3."Jawi" and Ideas of Community: Dynamics among Muslim Networks and Nation-States in 20th Century Southeast Asia(convener:Kawashima Midori)
4.The Diffusion of the Salafi Thought and the Birth of "Islamic World"(convener:Kisaichi Masatoshi)
5.Re-thinking Islamic Unity and Solidarity in the Global Age(convener:Kosugi Yasushi)
6.Islam, Peace and Security(convener:Hamidin Abd. Hamid)

Plenary Session:

2.Madrasa in Contemporary Asia
(convener:Sakurai Keiko)

Part 1
Speaker1: Humayun Kabir
Title: Contesting Notions of Being "Muslim": Madrasa, Ulamas and Olurality of Islamic Knowledge in Bangradesh
Speaker 2: MATSUMOTO Masumi
Title: Some Aspects of the Development of China's Female Madrasa (nuxue): Gender in Contemporary Islam in China
Speaker 3: Fariba Adelkhah
Title: The Madrasas in Kabul: How to Asses the Religious Beyond Stereotypes?

Part 2
Speaker 1: SAKURAI Keiko
Title: Empowerment within an Islamic Paradigm: The Rise of the Female Islamic Seminary in Iran and Pakistan
Speaker 2: Ahmad Hidayat Buang, Mohd Roslan Mohd Nur, Luqman Abdullah
Title: The Madrasa System in Malaysia: Its Contribution to the Nation and Challenges
Commentator: Dale F. Eickelman


 二部構成で行われた本セッションは、5名のプレゼンターがイスラーム世界各地に展開するマドラサの現状について議論を提示した。
 前半部は、現代バングラディッシュにおけるマドラサの展開(フマイユーン・カビール)、現代中国における女子マドラサの展開(松本ますみ)、アフガニスタンのマドラサの展開(ファリバ・アーデルハーフ)についての発表であった。第一の発表者フマイユーン氏は、フィールド調査によって政府管轄のマドラサだけではなく、政府管轄外のマドラサまでを把握するとともに、国家によって政府管轄のマドラサが組織化されていく一方で、政府管轄外のマドラサが地域社会との相互作用の中で展開しているという特色が指摘された。第二の発表者松本女史は、現代中国における女子のマドラサの展開について、ジェンダー的視点を踏まえて、マドラサへの参加が女性の社会的地位の獲得と非常に密接に関係しているという特色を提示した。最後の発表者アーデルハーフ女史は、現代アフガニスタンにおけるマドラサの展開に関し、特にカーブルのマドラサを中心にしながら、その展開についてトランス―ナショナルな視点を踏まえ、その展開にイランが非常に重要な役割を果たしているという特色を示した。
 後半部は、現代イランと現代パキスタンの女子マドラサの展開(桜井啓子)、現代マレーシアにおけるマドラサの展開(アフマド・ヒダーヤト・バング、モフド・マスラン・モフド・ヌール、ルクマン・アブドゥッラー)についての発表であった。桜井女史は、現代イランの女子マドラサが、イラン革命以降に飛躍的に活動を活発化させたことと、パキスタンにおける女子マドラサの展開を比較するとともに、前者が社会的な権利拡大と結びつく一方で、後者が女性の根本的な生き方と結びついているという特色を示した。最後の発表は、マレーシアにおけるマドラサの展開を通時的に把握するとともに、現代東南アジアにおけるイスラーム教育の重要な拠点であることを示した。
 これら5つの発表に対し、人類学者アイケルマンがそれぞれの発表に対し、コメントを行った。特に地域社会との相互作用中で展開し、国家による教育との対比が浮き彫りとなったバングラディッシュの事例、ジェンダー的視点から議論を展開した中国の事例についてのコメントがよせられた。またイランとパキスタンの比較研究に対しては、特にイランの問題について国家とのかかわりについての質問がコメンテーターからよせられた。その後、フロアーを含めた総合討議が展開し、活発な議論が展開した。

報告者:黒田賢治(京都大学)


Parallel Session:

1.Islamic Arts and Calligraphy
(convener:Abdul Latiff Mirasa)

 2日目の午後から開催されたB1のセッション"Islamic Arts and Calligraphy"では、Uthman Muhammady氏(ISTAC)による司会で、4人のスピーカーが発表をおこなった。  Dato' Abdul Latiff Mirasa氏(Restu財団)は、"Restu Art: Malaysian Manifestation of Islamic Art"と題して発表した。氏の所属するRestu財団は、1987年に設立された非営利組織である。当初は小さな組織であったようだが、1997年、マレーシア特有の美術のデザインを用いたり、マレーシアの文化遺産を反映するようなクルアーンをつくることを目的とした大きなプロジェクトが始まった。その作業は9つの行程(研究、構想、モチーフの開発、構成の開発、コンピュータで生成した画像の作成、配色、金箔貼り、カリグラフィー、認証)を通して行われる。実際に、今回の会議ではRestu財団によって作成されたグッズやクルアーンが販売・展示されたり、書家によるカリグラフィーの実演販売などもおこなわれており、その質の高さがうかがわれた。  Annabel Teh Gallop氏(大英博物館)の発表"The Art of the Quran in Southeast Asia: Some Minor Regional Styles"は、大英博物館に所蔵されている東南アジアのクルアーンの写本コレクションを中心に、地域によって異なる装飾の施された写本が紹介された。この点については、筆者自身も個人的に訪ねたマレーシア・イスラーム美術館(Islamic Art Museum Malaysia)に展示されている200点以上にのぼる世界のクルアーンの写本コレクションを見てもその多様性が明らかであった。  本田孝一氏(大東文化大学)は"Aesthetic of Philosophical Meanings of the Lines of Arabic Calligraphy"の発表の中で、まず1つ1つのアラビア文字や単語,文章は自然の中にも見つけることができる、と述べた。例えば、右から少し下がり気味に、細い線、太い線を織り交ぜながら描かれるペルシャ書体は、沙漠にできる波のような模様に似ている。また、氏は見つけたときには非常に驚いたという、パブロ・ピカソの言葉"When wanting to reach a final end in drawing, I realized that the art of Islamic Calligraphy had started it before"を引用し、カリグラフィーの奥深さについて言及した。自らが書家である氏によって語られるアラビア書道の発表は、熱のこもった非常に説得力のあるものであった。  Solehah Ishak氏(マラヤ大学)の発表"Aesthetics of 'Islamic Theatre'? Secularizing the Sacred"は、特にイスラームのテーマを描く脚本家に焦点を当てた、マレーシアのイスラームと演劇に関する発表であった。マレーシアにも様々な伝統的な演劇があり、中には治療を目的とした演劇も存在するが、特に70年代後半以降のイスラーム復興の流れの中で、イスラームをテーマとした演劇が興隆する一方で治療をおこなうような演劇は衰退傾向にあるということであった。  本セッションは全体として、これまで東南アジアに残されてきたクルアーンやアラビア文字の装飾、構成などを今後も取り入れていきながら、より美しいものに発展させていこうとする意気込みを強く受ける内容であった。

報告者:藤井千晶(京都大学)

4.The Diffusion of the Salafi Thought and the Birth of "Islamic World"
(convener:Kisaichi Masatoshi)

Speaker 1: YOKOTA Takayuki
Title: Salafism and Islamic Movements in Contemporary Egypt: A Study on the Muslim Brotherhood
Speaker 2: MIICHI Ken
Title: Salafism Traits among Militant Islamists in Indonesia
Speaker 3: Zoubir Arous
Title: Reformist Salafism in Algeria in the Thirties: Reason and the Problematic of Renessance Model
Speaker 4: Iik Arifin Mansurnoor
Title: Living Islamically in Non-Salafi Style But with Salafi Spirit: Islam in Brunei

 本セッションは、近・現代イスラーム世界において多地域にまたがって重要な役割を果たしたサラーフィズムについて、異なる地域の論者によってその実践と展開について報告が行われた。  第一の報告者、横田孝之氏は、現代エジプトにおいて広範な草の根のイスラーム運動を展開するムスリム同胞団の主導者ハサン・バンナーによる、サラーフィズムの革新的展開について報告を行った。1928年に結成されたムスリム同胞団は、瞬く間に支持を拡大し、1940年代後半には、同胞団員は当時のエジプト人口の4分の1に当たる約50万人に達した。同組織の中心人物であるハサン・バンナーは、ラシード・リダーのサラーフィー主義を継承するだけでなく、同胞団を通じ、それを広範に実践させた。横田氏は、バンナーの論考を分析し、サラーフィズムが彼の思想の根幹の一つであることを指摘するとともに、それが大衆を動員するうえで重要な役割を果たしていることを指摘した。
 第二の報告者、見市健氏は、現代インドネシアにおけるサラーフィストを自認するイスラーム運動組織とジハード論に焦点について報告を行った。見市氏は国家に対する姿勢としてグローバルとドメスティックの軸に分けるとともに、政治的姿勢としてミリタントとモデレートを軸にわけ、インドネシアのイスラーム組織をマトリクス化させた。それはインドネシアにおけるイスラーム組織の姿勢を把握するとともに、サラーフィズムの多元的側面を把握するうえで非常にラディカルな方法であった。
 第三の報告者、ズービル・アルーシュ氏は、マグリブ、特にアルジェリアにおけるサラーフィストを対象とした報告が行われた。アルジェリアにおけるサラーフィズムの特色には、アルジェリア「自身」の文化と植民地政府によってもたらされた共和国の「正」の側面を結び付けようとする側面がある。報告者は同側面について、相対的に史的展開を分析した。
 第四の報告者、リク・アリフィン・マンスールヌールは、ブルネイにおけるイスラーム運動の継続性に焦点を当て報告を行った。広範に展開する東南アジアのイスラーム復興からみれば、特殊なブルネイ型のイスラーム復興の展開を、報告者はブルネイの史的展開を軸に、多角的なフィールドから分析を行った。その後、質疑応答においては、フロアーからミリタントなイスラーム運動についての問題が寄せられ、各報告者による多角的な回答が寄せられた。

報告者:黒田賢治(京都大学)


5.Re-thinking Islamic Unity and Solidarity in the Global Age
(convener:Kosugi Yasushi)

「グローバル時代におけるイスラームの統一と連帯を再考する」Re-thinking Islamic Unity and Solidarity in the Global Age
 イスラームをめぐる思想と運動は、とりわけ中東アラブ諸国において、19世紀以降の西洋近代との邂逅を経て変容・復興し、その後ナショナリズムの時代を経てさらなる復興を遂げた。その中で、いったんは分裂したイスラームの統一と連帯を取り戻す試みが、繰り返しなされてきた。
 本セッションは、このようなイスラーム思想とそれに基づく活動を、グローバリゼーションが進行する現代において、再考することを目指したものであった。言い換えるなら、イスラームの統一の試みが、グローバル化の進行の中で、イスラーム諸国の分断をどのように克服できるのか、あるいは克服しようとしているのか、という問題を議論する試みに他ならない。
 3人の報告者はそれぞれ、以上で述べた問題関心に基づいて、ウンマを統合のシンボルとして具体的なイスラームの統一に向けた制度化が進行していくことを指摘した議論、イスラームの統合と連帯が叫ばれるようになった起源を掘り起こして再評価する議論、そして、このような思想的現実的なイスラームの統一に対して、「周辺」からの声をどのように位置づけることができるかという問題を扱った分析、を行った。
 具体的に見ると、一人目の報告者の小杉泰は、The Islamic Umma and Umma-based Institutions between the International Society and Global Worldというタイトルで、ウンマというイスラーム統一のシンボルのもとで、それを実現するための試みがどのように繰り返されてきたかを説明する。この試みが実際に結実したのが、イスラーム諸国会議機構(OIC)であるという。また、グローバリゼーションが進行した現在においては、イスラームの規範がメディアを通じてウンマの紐帯を促進する方向に向かっているとの興味深い指摘もなされた。
 二人目の報告者の平野淳一は、Modern Islamic Reformists and Pan-Islamism: Alliance within Umma and Transcendence on Religious Sectionalismというタイトルで、イスラーム統一の議論の原点を探る。そもそもパン・イスラーム主義という概念は、脅威のパーセプションによって西洋で形成された概念で、それをイスラーム世界が受容する中でポジティヴなコノテーションに転換させていったことが明らかにされた。パン・イスラーム主義は、反植民地主義とイスラームの統一という二つの側面を持っているが、同氏は、この報告ではイスラームの統一という側面に着目し、アフガーニーとカワーキビーの思想から、政治面におけるカリフのシンボル化による統一と、宗派・学派の近接という二つの核となる議論を析出した。
 三人目の報告者のHamidin Abd Hamidは、マラヤ大学のアフリカ政治研究者で、思想というよりは実態に近い分析を行った。同氏は、The Voice of Periphery: Islam, Ummah and Unity in East Africaというタイトルで、ムスリムが少数派の東アフリカにおいて、第一義的なアイデンティティが国民国家ではなくウンマにあることを指摘し、そこに住むムスリムがいかにして政治参加とウンマの紐帯への呼びかけを行っているかを明らかにした。実態を分析すれば、東アフリカなどの「周辺」に位置する人々は、OICなどのイスラームの統一を呼びかける機構に対して不満を持っていることが明らかになるのである。
 現代イスラーム思想と活動の核をなすイスラーム統一の動きを問い直すことは、グローバリゼーションが進行する現在、すぐれて重要な課題である。この点において、本パネルは意義深いものであった。

報告者:山尾大(京都大学)

6.Islam, Peace and Security
(convener:Hamidin Abd. Hamid)

 本セッションでは、はじめに司会者であるTan Sri Datuk M. Khatib Abdul Hamid氏(Pantai Holdings Berhad, Malaysia)がセッションの趣旨の説明を行った。200年の9.11以降、特に西洋のメディアでは、イスラームを暴力と結びつけ、「過激派」「テロリスト」といったネガティブな言葉で表現することが主流となっている。しかし、本来、イスラームは、そのような暴力を否定し、平和を希求する宗教である。本セッションでは、東南アジアの事例を用いながら、国際関係や紛争解決においてイスラームが果たすであろう、あるいは果たすべき役割を探ることが目指された。  次に、Carmen A. Abubakar教授(フィリピン大学)が「Peace and Security: Ending IDPs in the Philippines」と題する発表を行った。フィリピンに10万人(2006年の推計)もいると言われるIDP (Internally Diplaced Persons)に関し、IDPが発生した理由、IDPの経済的・心理的状況を含めた生活状況の説明が行われた。IDPの多くはムスリムである。Abubakar教授は、フィリピンにおける紛争、特にIDP問題の解決は、武力紛争を行っている当事者間の最終的な和平合意の締結およびその合意の修正によってはとうてい成しえない、と主張した。そして、その多くがムスリムであるIDPの問題を解決するためには、帰還・定住といった物理的な側面だけでなく、心理的・社会的トラウマを緩和していくようなイスラーム的なアプローチがなされるべきだという意見が提示された。しかしながら、時間の制約があったとはいえ、そのようなイスラーム的なアプローチとは一体何なのか、具体的な方法が示されなかったのが残念であった。  次に、Chaiwat Satha-Anand博士(Thammasat大学)が「Islamic Inspiration and Reconciliation Experiments: the Case of National Reconciliation Commission and Southern Thailand」と題する発表を行った。タイ南部には、ムスリムがマイノリティとして存在している。仏教国タイにおいては、多数派仏教徒によって少数派ムスリムに対する抑圧が行われてきた。抑圧は、社会的レベルにとどまらず、政治的・法的レベルでも行われてきた。しかし、2006年、憲法改正が行われて、仏教以外の宗教の下の自由も保障され、タイ首相によって、タイ南部の少数派ムスリムに対する歴史的な謝罪が行われた。この謝罪に対して、少数派ムスリムがどのように対応したか、あるいは今後も対応していくべきかについて、イスラームの「赦し」の概念にしたがったイスラーム的な和解の方向性を、Satha-Anand博士は提示した。  次に、Dato' Mohamad Abu Bakar教授(マラヤ大学)が「Islam, Universal Peace, and Global Security」と題する発表を行った。Abu Bakar教授は、発表全体を通して、9.11以後、西洋メディアで暴力やテロリズムと結びつけて表象されるイスラーム像は、イスラームという宗教およびムスリムの実像とかけ離れたものであり、イスラームは本来、平和を目指す宗教であり、寛容な宗教である、ということを強調した。  もう一人の発表予定者であったKhadija Elmadmad教授(Universit? Hassan Ⅱ、在モロッコ)は、残念ながら、諸事情のためシンポジウムに参加することができなかった。  日頃、中東(特にパレスチナ)の研究を行っている報告者にとって、東南アジアの紛争の事例を聞くことは大変勉強になった。同時に、東南アジアの紛争解決におけるイスラームの役割として提示された点は、中東の紛争解決を考えるうえでどのように役立てられるかを考えていくことも課題であると感じた。  最後になったが、今回の国際シンポジウムに参加する機会を与えてくださったNIHUプログラム・イスラーム地域研究プロジェクトに感謝の意を表したい。また、本シンポジウムをIASと共催し、多くの国からの研究者を迎えてくださったAEI、マラヤ大学の皆さまと、本シンポジウムに参加し知的刺激を与えてくださった各国の研究者の皆さまに、この場でお礼を申し上げたい。

報告者:飛奈裕美(京都大学)

Poster Session:

 以下では、会議最終日の午後に催されたポスターセッションについて報告を行う。
 ポスターセッションの主旨は、日本とマレーシア両国の若手研究者に日頃の研究成果を発信する場を提供し、今後の若手研究者の育成を目指すというものである。各々の発表者が作成したポスターの内容をプレゼンし、閲覧者の質疑に答えるという形式をとるポスターセッションは、元来理系の分野で先行して実践されてきた。しかし、このたび学際的な研究を目指す地域研究の新たな新展開の企画として開催される運びとなり、日本側からは15人、マレーシア側からは10人が参加、それぞれの研究テーマを持ち合わせて研究成果を公表することとなった。発表された研究テーマは、アラブ首長国連邦の政治・経済動向と人口バランスの変容を分析するものやイランの法学者権威と社会変容を解明するもの、現代イラクの反体制運動とイスラームの関係を問うものやパレスティナ問題の帰趨を占うものなど多岐にわたり、閲覧者との間で議論の盛り上がりを見せていた。
 全体として盛況であったポスターセッションであったが、しかし課題も残った。ひとつは、当初予定されていたポスター発表者による3分間の全体プレゼンテーションが中止されたことで、ポスターセッションで見に回ってくる閲覧者それぞれに発表者はそのつどいちから説明をはじめなければならず、時間的・労力的なコストがかかったこと。もうひとつは、事前の連絡が効率よく伝達しきらずに、ポスターセッションの意図や仕組みが日本側でもマレーシア側でも十分に把握されていなかったことである。会場には相応の人数が駆けつけていたとはいえ、効果的な宣伝と理解があればさらに活気に溢れたセッションになったであろう。
 若干の問題点を孕みながらも、しかし報告者はポスターという媒体を通じて若手研究者による研究の国際的発信を促進するという、本会議で初めて試みられた企画の意義を改めて強調しておきたい。なによりも若手研究者たちは、ゆったりとした時間的余裕のなか第一線の研究者たちと面と向かって一対一の議論を行うという通常の研究発表では味わうことのできない経験を得ることができ、また国内のみならず国外の多くの若手研究者たちと知遇を得てその研究内容を知ることもでき、自らの研究生活を進める上で大きな励みになったことは間違いない。ポスターセッションは、通常の研究発表とは異なる和やかな知的雰囲気ととめどのない学的論議を確かに生み出していた。
 このような貴重な場を提供するポスターセッションが今回のみで打ち切られることなく、来年度以降のイスラーム地域研究国際大会でも継続されていくことを強く切望する。

報告者:平野淳一(京都大学)






KIAS、CAPAS、CSEAS、G-COE共催国際シンポジウム
(2008年9月16日~9月17日 於京大会館)

タイトル:"International Symposium Islam for Social Justice and Sustainability: New Perspectives on Islamism and Pluralism in Indonesia"

プログラム:
2008年9月16日(火)
9:30-10:00 Registration
10:00-10:10
Opening Speech by Dr. Mizuno Kosuke (CSEAS)
Welcome Speech by Prof. H.H. Michael Hsiao (CAPAS)
Welcome Speech by the Representative of Indonesian Consulate General-Osaka
10:10-12:10 Key Note Speech "Islam for Social Justice and Sustainability"
Chair: Dr. Mizuno Kosuke (CSEAS)
10:20-11:00 Speaker: K. H. Masdar Farid Masudi(Head of Executive Board of Nahdlatul Ulama)
11:00-11:15 Commentator: Prof. H.H.Michael Hsiao (CAPAS)
11:15-11:30 Commentator: Prof. Kosugi Yasushi (ASAFAS)
11:30-11:40 Answers to Comments
11:40-12:10 Open to Floor
12:10-13:30 Lunch
13:30-15:15 Session 1:Mapping Indonesian Islam
Chair: Dr. Mei-Hsien Lee (National Chi Nan University)
13:30-13:55
Speaker 1: Dr. Miichi Ken (Iwate Prefecture University)"Mapping Radicals: Islamism, Violence and State in Contemporary Indonesia"
13:55-14:20
Speaker 2: Mr. Ahmad Suaedy (Wahid Institute)"Collective Violence, Religious Freedom and Democratization in Indonesia"
14:20-14:45
Speaker 3: Dr. Sapto Waluyo (Prosperous and Justice Party)(PKS)"New Type of Islamic Power in Indonesia"
14:45-15:00
Commentator: Dr. Guiam Rufa Cagoco (Foreign Research Fellow at CSEAS)
15:00-15:10 Answers to Comments
15:10-15:30 Open to Floor
15:30-15:45 Coffee Break
15:45-18:25 Session 2: Islam in Historical Perspective - from Banten Area
Chair: Dr. Mei-Hsien Lee (National Chi Nan University)
15:45-16:10
Speaker 1: Dr. Ota Atsushi (CAPAS)"Islam in Banten, c.1520-1800: Reevaluation of Its “Strong” Islamic Tradition"
16:10-16:35
Speaker 2: Dr. Fujita Eri (Hiroshima University)"Why Could Colonial Banten Send So Many Hajis?: Reexamination of the "Imporverished" Society"
16:35-17:00
Speaker 3: Drs. Abdul Hamid (Tirtayasa University)"Kiyai and Politics in Banten under and after New Order"
17:00-17:25
Speaker 4: Drs. Okamoto Masaaki (CSEAS)"New 'Moderate' Politics of Islamism in Post-Suharto Java"
17:25-17:45
Commentator: Dr. Kohno Takeshi (GRIPS)
17:45-18:05 Answers to Comments
18:05-18:30 Open to Floor
19:00-21:00 Welcome Party: venue---Kyoto Royal Hotel& Spa 2F Queen Hall

2008年9月17日(水)
10:00-11:35 Session 3: Gender and Pluralism in Indonesian Islam
Chair: Dr. Tsung-Te Tsai (Tainan National University of the Arts)
10:00-10:25
Speaker 1: Dr. Mei-Hsien Lee (National Chi Nan University)"Gender Equality in Indonesia: Officially-Defined Discourses vs. Local Cultural Discourses"
10:25-10:50
Speaker 2: Prof. Kobayashi Yasuko (Nanzan University)"Ulama's Changing Perspective on the Social Norms for Women
10:50-11:00
Commentator: Dr. Hayami Yoko (CSEAS)
11:00-11:10 Answers to Comments
11:10-11:30 Open to Floor
11:35-13:30 Lunch
13:30-15:15 Session 4: Diversities in Indonesian Islam
Chair: Dr. Ota Atsushi (CAPAS)
13:30-13:55
Speaker 1: Dr. Chang-Kuan Lin(National Chengchi University)"The Modernization of Pesantren: Transformation of Islamic Education in the 20th Century’s Indonesia"
13:55-14:20
Speaker 2: Mr. Syuan-Yuan Chiou (PhD candidate at Utrecht University and affiliated with Academia Sinica)"Embedding Historical Legacies of Chinese Muslims in the Early Islamization of Java"
14:20-14:45
Speaker 3: Dr. Sugahara Yumi (Tenri University)"Islamization in the Nineteenth Century Jawa: an Analysis of Ahmad Rifa'i's Texts"
14:45-15:00
Commentator: Dr. Koizumi Junko (CSEAS)
15:00-15:10 Answers to Comments
15:10-15:30 Open to Floor
15:30-15:45 Coffee Break
15:45-16:45 Session 5: Islam and Health in Comparative Perspective
Chair: Drs.Masaaki Okamoto (CSEAS)
15:45-16:10
Speaker 1: Dr. Tsung-Te Tsai (Tainan National University of Arts)"Islamic Health Care System and Religious Chant in Java Indonesia"
16:10-16:35
Speaker 2: Mr. Nakashima Takahiro (AHI)"The Role of Public Health Workders in Health and Development in Autonomous Region in Muslim Mindanao- How Relevant and Effective is the Participatory Approach?"
16:35-16:45
Commentator: Dr. Matsubayashi Kozo (CSEAS)
16:45-16:55 Answers to Comments
16:55-17:15 Open to Floor
17:15-17:45 Closing Session: Future Collaboration
Chair: Dr. Junko Koizumi (CSEAS)
Speaker 1: Prof. H. H. Michael Hsiao(CAPAS)
Speaker 2: Dr. Mizuno Kosuke (CSEAS)

 セッション1では、Mapping Indonesian Islamと題され3名による発表が行われた。発表者は最初の見市建氏(岩手県立大学)をのぞき、2名が実際にインドネシアのイスラーム政党や、組織に所属している。本セッションは主に政治学的観点から、現在のインドネシア社会に存在するイスラームと、これに内在するダイナミクスにスポットのあてられた発表となった。

 セッション2では、インドネシア国内のバンテン地方におけるイスラームについて歴史学、および政治学的観点からの発表が行われた。

 セッション4ではインドネシア・イスラームの多様性が提示された貴重な発表となった。本セッションでは、インドネシアのイスラーム教育に重要な役割を果たすプサントレンや、マイノリティーである華人ムスリムにかんする社会学的考察、そして、歴史学の観点から19世紀のジャワにおけるイスラーム化の過程が明らかにされた。

 セッション5ではIslam and Health in Comparative Perspectiveと題され、2名に発表して頂いた。イスラームと医療という観点から貴重な発表となった。


Key Note Speech:

K. H. Masdar Farid Masudi(Head of Executive Board of Nahdlatul Ulama)
"Islam and the State: The Social Justice Perception"

 本シンポジウムのキーノートスピーチは、インドネシアで最大のイスラーム組織であるNU(Nahdlatul Ulama)からK.H. Masdar F Mas'udi氏をお招きしてIslam and the State: The Social Justice Perceptionと題してお話をいただいた。本発表はイスラームと国家の関係を社会的公正の観点から考察することが目的とされた。

 Mas'udi氏は公正とは人間によって所有されるだけではなく、神により創造された概念であると、ムハンマドの言葉を用いて定義した。さらに、公正は国家において法的公正と社会的公正の2つに大分されると付け加えた。

 次にクルアーンの定義する公正について言及したうえで、イスラームと国家との関係を次のように考察した。つまり、イスラームと国家との関係を制度的関係性と同等に捉えることは、大きな誤解であるということである。

 最後に氏は、インドネシアのムスリムの義務は、神から与えられた公正で慈悲的な精神を神聖なる神からの超越した義務として世俗的国家において浸透させるために努力することである、とした。  氏の発表をうけてMichale Hsiao(CAPAS)、小杉泰(ASAFAS、KIAS)両氏からコメントが述べられた。

 Hsiao氏からは1).イスラームと国家の関係だけではなく、宗教と国家との関係、2).よりよい国家形成への道しるべとしての宗教、以上2つの観点からの質疑がなされた。

 次に小杉泰氏からは、1).インドネシア社会とウンマの関係性、2).70年代後半のイスラーム復興運動前後の国家における宗教の位置づけの変容に関するコメントがなされた。

 最後に両氏からは、第一に、国家形成とは最終的な結果であり、国家の形成自体が目的ではないということ。第二に、道具としての国家という観点から、我々は国家=道具に利用される存在ではなく、積極的に国家=道具を利用していく必要性があるということ、以上の2点が述べられた。

報告者:木下博子(京都大学)

Session1:

Miichi Ken (Iwate Prefecture University)
"Mapping Radicals: Islamism, Violence and State in Contemporary Indonesia"


 本発表の目的は、インドネシアにおけるイスラーム運動の担い手である諸団体の多様な様相を整理することにある。そのために、これら諸団体を”Islamic radical”として一枚岩的に捉える従来の視点を否定し、現代のインドネシアにおいて多様なイスラーム運動が展開されていることを前提とすると述べたうえでそれらの整理を行っている。

 本発表の内容は、第1に多様なイスラーム運動を以下の2つの要素を軸としたマッピングである。すなわち、第1の軸とは、イスラーム運動の対象が国内に限定されたものであるか、国際社会に向けられたものであるかという、活動領域(国内―国際)の軸である。そして、第2の軸とは、イスラーム運動の手段として武力を行使するものであるか(過激―穏健)という軸である。そして、現在のインドネシアではこの2つの軸をめぐって多様な性質のイスラーム運動組織があることを提示している。発表の後半部では、国際的に活動を展開し、かつ手段として武力闘争を選択している組織、ジャマーア・イスラミヤ(Jamaah Islamiyah)に焦点をあて、近年のイスラーム運動の特徴、すなわち、イスラーム運動のグローバル化の傾向を指摘している。

報告者:平松亜衣子(京都大学)

Ahmad Suaedy (Wahid Institute)
"Collective Violence, Religious Freedom and Democratization in Indonesia"

 本発表はインドネシアのワヒド・インスティトゥートのAhmad Suaedy氏により、インドネシアにおける集団的暴力、宗教的自由および民主化に関する報告が行われた。  まずSuaedy氏によって、建国五原則であるパンチャシラについて言及があった。パンチャシラとは以下の通りである。1).唯一絶対神への信仰、2).公正にして文明的な人道主義、3).インドネシアの統一、4).合議制と代議制による英知に導かれた民主主義、5).インドネシア国民への社会正義、である。

 パンチャシラはスハルト体制下においても強調された。しかし、Suaedy氏の指摘するところによると、インドネシアにおける民主化と地方分権化の過程でパンチャシラを揺るがすあらゆる要素が出現している、というのである。端的な例としては、異なる宗教間、および人種間における集団的暴力である。同時にSuaedy氏は、パンチャシラの保証する宗教的自由もアフマディーヤなど、ある特定のグループの出現により揺るがされている、と指摘した。

 次にSuaedy氏は、上記の諸問題にたいするMUI(インドネシア・ウラマー評議会、Majlis Ulama Indonesia)のファトワーと、当該組織の社会的役割の重要性を論じた。

 最後に、結論として以下の点が指摘された。第一に、インドネシアの民主化への動きはスハルト政権下の軍事力による垂直的な挑戦に比べて、水平的な挑戦を続けているということ。第二に、民主的な政治機関の設立後の政治的挑戦を休止せず、思想的変容と同時に行われなければいけないという点である。

報告者:木下博子(京都大学)

Sapto Waluyo (Prosperous and Justice Party)(PKS)
"New Type of Islamic Power in Indonesia"

 本発表は、現在インドネシアで支持基盤を拡大し続けている政党であるPKS(福祉正義党、Partai Keadilan Sejahtera)のSapto Waluyo氏によって、現代のインドネシア社会におけるPKSとその活動についての報告が行われた。

 冒頭では、Waluyo氏からPKSの成立の詳細が説明された。PKSは1970年代後半から大学のキャンパス内における学生を中心としたダーワ活動であるダッワ・カンプス(Dakwah Kampus)から誕生した新興の政党である。1999年の一般総選挙での得票率はわずか1,4%であったものの、2004年には得票率を7,3%までに伸ばし、2009年の選挙では国内で3番目に大規模の政党になると予測されている。

 次にPKSにたいする国内外の評価にかんしての言及がなされた。国内におけるPKSの評価はダッワ・カンプスでの活動に加えて、教育、奉仕活動に代表されるように地域社会の発展に重点をおいた活動を行っている点が指摘された。他方、国外からの反応は、今までインドネシアには存在しなかったカリフ制の導入をマニフェストに掲げていることや、イスラーム主義に基づいた斬新な改革を掲げていることから、しばしば急進的であるとみなされている、という点が述べられた。しかし、Hamid氏はこうした国外からの当該政党にたいする見解は、しばしば偏見や誤解に満ちていると主張した。

 最後にHamid氏は今後の展望として、PKSはインドネシア社会の抱える諸問題にたいする解決能力を発揮し、社会統合に貢献する政党を目指す、と締めくくった。

 本発表は、現在のインドネシアの社会で台頭を続ける政党の人物による報告として、政党の生の声を聞く重要な機会となった。

報告者:木下博子(京都大学)

Session2:

Ota Atsushi (CAPAS)
"Islam in Banten, c.1520-1800: Reevaluation of Its “Strong” Islamic Tradition"

 本発表は、CAPAS太田淳氏によって歴史学の観点から、ジャワ語とオランダ語の第一次資料と、近年発表されたジャワ語の資料を用いて報告が行われた。

 バンテンは現在のインドネシアのジャワ島西部を指し、1525年頃王国が建国された。1552年、Maulana Hasannudinによってイスラームが広められたことにより、ヒンドゥー教徒の改宗が進んだ。ヒンドゥー教徒たちがスルタンの権威を認めたことはハサヌッディーンの後光cahyaを見たという伝説に示される。そこにイスラームとヒンドゥー教のシンクレティズムのシンボルを見ることができると太田氏は指摘する。

 スルタンとは、東南アジア島嶼部のイスラーム化の過程で、在地の君主が王権の正当性を強化するために用いた称号である。世襲の正当性も認められるようになった。本発表においてスルタン制創設、首都建設、抵抗運動での主導権からのイスラームの影響力と、イスラームと現地の慣習adatとの融合双方が指摘された。

報告者:栃堀木綿子(京都大学)

Fujita Eri (Hiroshima University)
"Why Could Colonial Banten Send So Many Hajis?: Reexamination of the "Imporverished" Society"

 1813年、スルタン制が廃止されバンテンは直轄植民地となった。バンテン先住民は稲作を主な生業とする農民であり、小規模土地所有者が多い傾向にあった。だが20世紀はじめから、マッカ巡礼者(ハッジ)の数が増え、イスラームの指導的役割にある人物だけでなく一般の人々も大勢参加したことが特徴的である。これらの貧しいと思われていた人々はどのようにしてハッジに行けるだけの経済力を得たのか、どのような理由が考えられるのかが本論の問題であった。従来、バンテンでは脆弱な土壌により二次的作物の栽培が困難、灌漑の遅れ、不作、降水に頼った稲作paddy gogoの割合はジャワの他の地域と比べて高い傾向にあった。

 だが20世紀に灌漑が整備されると、稲の生産量は増大し流通の整備による他地域への米の供給、沿岸や乾燥地帯での世界市場向けのココナッツ栽培増加、他地域への出稼ぎによる収入から人々の経済力が増大した。社会的背景としてバンテンには貧富の格差が比較的少なく小作農民でも個人の自由が認められた社会構造があった。このため個人のマッカ巡礼を行う熱意が資金調達を加速し、バンテンの社会全体の経済活動を発展させたという事実に発表者は注目する。ハッジから帰還した人々が商業のノウハウを故郷に伝え、資金融資、農業人員の確保が可能になったというバンテンと巡礼地マッカとの、地域間の相互作用も指摘された。植民地当時の地域統計についての史料を読み解くことから、当時のイスラーム社会の事実を説明する興味深い内容であった。

報告者:栃堀木綿子(京都大学)

Abdul Hamid (Tirtayasa University)
"Kiyai and Politics in Banten under and after New Order"

 本発表はティルタヤサ大学のAbdul Hamid氏による、バンテン地方における新秩序体制下、およびその後のキヤイと政治との関わりを論じた報告であった。

 まず、Hamid氏からバンテン地方の社会的リーダーシップの担い手であるキヤイの定義のほか、同じく先導者であるジャワラ(Jawara)について紹介があった。ジャワラとは伝統的格闘技(Pencak Silat)と魔術の操り手であり、通常ジャワラの印として黒い衣服を身につけている人びとのことである。

 次に、新秩序体制下におけるキヤイとゴルカル党との関係が論じられた。ゴルカル党は、キヤイからの支持を獲得するために、キヤイの所有するプサントレンや、キヤイ自身に対しての物質的な援助を盛んに行った。また、ジャワラはPPPSBBI(インドネシア・バンテン芸術文化、および格闘技連合、Persatuan Pendekar Persilatan Seni Budaya Banten Indonesia)に組み込まれ、代表にはジャワラとして著名なだけではなく、裕福な企業家でもある人物が選出された。その後彼は自身の社会的地位を利用し、政府からあらゆるビジネスを受注し、権力を蓄えていった点が指摘された。

 以上より、Hamid氏は、新秩序体制下におけるキヤイは政党の票田として政党の支配下に組み込まれると同時に、地域社会の指導者としての地位を低下させていった、と考察した。一方で、ジャワラは新秩序体制下での躍進により、社会的地位を向上させただけではなく、政治・経済的権力を獲得した、と付け加えた。

 本発表は地域の指導者であったキヤイが、新秩序体制下、およびその後のバンテン社会において政治的・経済的脆弱さによって政党へと取りこまれ、以前の社会的地位を喪失する過程が詳細に論じられた報告であった。

報告者:木下博子(京都大学)

Okamoto Masaaki (CSEAS)
"New 'Moderate' Politics of Islamism in Post-Suharto Java"

 本発表は、スハルト政権崩壊後のイスラーム運動のダイナミクスの事例として、インドネシアにおけるイスラーム政党、PKS (福祉正義党、Prtai Keadilan Sejahtera)のバンタン地域における活動に着目、分析したものである。同組織は、インドネシアの国政のみならず地方行政において近年著しい台頭を見せたイスラーム政党である。インドネシアでは、32年にわたるスハルト大統領下での権威主義政権の崩壊後に民主化と脱中央集権化が進められ、その過程でイスラーム運動は活性化したといえる。

 本発表は、イスラーム政党のなかでもPKSがなぜこれほどまでに勢力を拡大させたのかという点に着目している。そして、彼らのイスラーム解釈やイスラーム運動のイデオロギーをリアルで政治的な側面から分析する。結論として、PKSはリアルな政治的要請に対応することによって地方政治におけるプレゼンスを獲得し、その結果として彼らのイデオロギーや活動も徐々に穏健なものになっていったと岡本氏は考察している。

報告者:平松亜衣子(京都大学)

Session4:

Chang-Kuan Lin (National Chengchi University)
"The Modernization of Pesantren: Transformation of Islamic Education in the 20th Century’s Indonesia"

 本発表では台湾國立政治大學のLin氏によって、20世紀インドネシアのプサントレンにおける教育システムの変容と題した報告が行われた。まず、Lin氏はジャワを代表とするインドネシアのイスラーム教育は、エジプトのアズハル大学をはじめとする中東諸国の主要な高等教育機関の教育方針の大きな影響を受けているとし、インドネシアにおけるプサントレンの成立と発展を紹介した。

 ジャワでは17世紀半ば頃から非公式的にクルアーン学習などが行われていたが、プサントレンとして成立したのは、18世紀の半ばであるとされている。プサントレン成立当初はヒンドゥー的要素との混淆がみられたが、改宗者の増加により徐々にヒンドゥー的要素が消滅していった。そして主にシャーフィィー法学派が教えられ、ガザ―リーなどの古典も幅広く学習されるようになったことが指摘された。

 次に、20世紀以降のインドネシアにおけるプサントレンの体制変容についての考察が行われた。学年制の導入、およびイスラーム以外の科目(数学、理科など)もカリキュラムに取り入れたプサントレンの総称である、プサントレン・ハラフィー(Pesantren Khalafi)とイスラーム学習を重視し学年制を導入しないプサントレンであるプサントレン・サラフィー(Pesantren Salafi)が紹介された。

 最後にLin氏は、国内の高等教育機関であるUIN(国立イスラーム大学、Universitas Islam Negeri)やIAIN(国立イスラーム宗教大学、Institute Agama Islam Negeri)の教育制度改革は、まさしくムハンマド・アブドゥーの示したサラフィズムの体現であると結論づけた。また、これによって幅広い知識を兼ね備え、なおかつ西洋をはじめとしたイスラーム以外のあらゆる現象に対する柔軟な思考が可能なムスリムの輩出に成功していることも指摘された。

報告者:木下博子(京都大学)

Sugahara Yumi (Tenri University)
"Islamization in the Nineteenth Century Jawa: an Analysis of Ahmad Rifa'i's Texts"

 本発表では、天理大学の菅原由美氏によって19世紀ジャワにおけるイスラーム化に関する報告が行われた。本報告では、イスラーム知識人アフマド・リファーイー(1786-1875?)の著作と、著作に観察される諸特徴に注目することによって、19世紀ジャワの住民にどのようにイスラームが受容されたか、という点が明らかにされた。

 はじめに菅原氏は、19世紀ジャワは巡礼経験者、およびプサントレン(寄宿制イスラーム学校)の増加によってイスラーム化への大きな一歩を踏み出したが、これら一連のイスラーム化の過程は反植民地運動の文脈でのみ語られてきたに過ぎず、十分な考察が行われていなかったと指摘した。

 次に、アフマド・リファーイーの著作にみうけられる特徴が4点紹介された。第一にリファーイーは、アラビア語アルファベット表記のジャワ語(Pagon)で著作活動を行った点である。第二に、彼はイスラームに関する必要最低限の知識を詩作形式で執筆し、それらを繰り返し強調した点である。第三に、彼の著作はイスラームの知識を住民に分かりやすく説くだけではなく、日常生活のガイドラインとしての役割をもっていた点。第四に、著作には章ごとの区切りはなかったものの、それぞれの項目が順序だてられ筋道のとおった説明のされ方をしている点である。また、リファーイーは教育の重要性を説き、イスラームの知識に「無知」な村民に対する積極的に教育機会を提供したことも指摘された。

 最後に菅原氏は、これまで反植民地運動のなかで語られてきたイスラーム化について、アフマド・リファーイーの活動に着目することによって、全てのイスラーム知識人たちが反植民地運動を先導したわけではなく、教育をつうじて村落社会を変革しようと試みたと述べた。

報告者:木下博子(京都大学)

Session5:

Tsung-Te Tsai (Tainan National University of Arts)
"Islamic Health Care System and Religious Chant in Java Indonesia"

 本発表では台南芸術大学のTsai氏よって、ジャワにおける民間療法の実践について、イスラームのコンテクスト内における
1).健康管理、治療行為、読誦されるクルアーン章句との関係性
2).治療行為、およびその方法
3).治療時に読誦されるクルアーンの機能
以上の3点を医療人類学的観点から考察した報告が行われた。

 Tsai氏は、冒頭でインドネシアにおける民間療法の発展は、主にタリーカによって担われてきたことを指摘し、自身がフィールド調査を行った中央、および東ジャワのカーディリー・ナクシュバンディー教団の事例を紹介した。当タリーカは特定症状とその原因となる罪との因果関係を詳細に規定しており、症状や治療を行うイマームによってズィクルの方法や章句が異なる。東ジャワの事例では、ヤースィン章が患者の年齢に応じた回数読誦され、なおかつ108(アッラーの美名である99に加え、ワリ・ソンゴ分の9を加えた数)箇所から収集された水を用いた治療方法が紹介された。

 最後にTsai氏は、中央、および東ジャワにおける民間医療行為の実態を以下のように結論づけた。まずカーディリー・ナクシュバンディー教団が規定している症状が現れるメカニズムにはヒンドゥー的要素が併合されているということである。次に、治療に際して身体面と心理面、双方のバランスが強調されること。そしてクルアーン読誦には、治療行為とイスラームを結びつける機能的役割があり、民間医療に依拠するインドネシア人ムスリムは、クルアーンは章句ごとに特定の治療効果があると信じているという点である。

 発表後、会場を交えた質疑応答では、事例に関する活発な議論が展開された。本発表はインドネシアにおける民間医療とイスラームとの関わりを考察した貴重な発表であった。

報告者:木下博子(京都大学)

Closing Session:

H. H. Michael Hsiao(CAPAS)
Mizuno Kosuke (CSEAS)
"Future Collaboration"

 クロージングセッションではCSEAS(東南アジア研究所)の水野所長と、台湾Academia SinicaのMichael Hsiao氏によって本シンポジウムの総括が行われた。

 水野所長からは、本シンポジウムで発表されたペーパーの出版にむけて努力するという提案があり、会場を湧かせた。他方、Hsiao氏からも今回で第2回目となるシンポジウムの成功を祝う言葉が寄せられ、会場からは大きな拍手が巻き起こり、歓喜のなかシンポジウムは終了した。

 本シンポジウムは台湾と日本のインドネシア・イスラーム研究のさらなる発展を予感させる貴重な2日間となった。


KIAS、京都大学G-COEプログラム「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」、「現代アジア・アフリカにおけるトランスナショナルな社会政治運動」(基盤研究A: 研究代表者酒井啓子)共催国際ワークショップ
(2008年8月2日~3日 於京都大学)

タイトル:Islam and the Middle East: Dynamics of Social and Political Transformation

 本ワークショップは、2日間にわたり、5つのセッションで実施された。以下、セッションごとの報告の概要と議論を簡単に振り返りたい。
 第1セッションは、東南アジアとタリーカ(スーフィー教団)にかんする報告がそれぞれ2本ずつあった。はじめにエジプトのカイロでイスラーム学を学んだインドネシア人留学生に関する報告が行われ、つぎにインドネシアにおけるイスラーム解放党の活動を社会運動理論を用いて分析する報告が行われた。タリーカの報告では、スーダンの事例とザンジバルの事例が報告された。いずれも事例研究として興味深い報告となったが、理論研究とのすり合わせが課題であることが指摘された。
 第2セッションは、トルコの代表的知識人の世俗主義思想にかんする報告、シリアのシーア派聖地への巡礼についての語りの変容の分析、革命後イランにおけるイスラーム法学者と社会の関係にかんする報告が行われた。
 第3セッションは、湾岸の政治についての2本の報告と、イスラーム経済の報告で構成された。湾岸政治の1本目は、クウェイトにおける民主化と女性参加にかんする報告で、イスラーム主義と民主主義の議会政治における親和性と緊張関係が明らかにされた。次に、人口が希薄なアラビア半島における社会経済的発展を地理的な要因とのかかわりから論じた報告がなされた。イスラーム経済の報告では、パキスタンの事例が紹介された。
 第4セッションでは、政権と反体制派の政治闘争にかんする報告が2本、イラクの国内避難民の現状についての報告が1本行われた。はじめの2本の報告は、中東政治研究の最新のトレンドである権威主義研究を参照しつつ、イラクの事例は政権と反体制派の相互の関係をパターン化する試み、エジプトの事例は歴史社会学的手法を用いた長期的な反体制派の戦略の変遷を明らかにする試みであった。国内避難民の報告では、2003年イラク戦争後の避難民発生とその変化の背景にまで踏み込んだ分析がなされた。
 第5セッションでは、資料を丹念に用いた2つの思想研究が報告された。はじめの報告は、アラブ民族主義とイスラーム主義に評価が二分されるカワーキビーを取り上げ、2つの評価を脱構築的に分析した研究で、次の報告は、イスラーム復興の主要な思想家アブドゥの宗教と科学の関係にかんする考察が、西洋の思想家の考察と類似していることが明らかにされた。
 最後に、ヒンネブッシュ教授によるキーノート・スピーチでは、中東政治と国際関係の分析枠組にかんして、従来の単一の理論ではなく、時代と政治社会状況に応じて、複数の理論を複合的に組み合わせて論じることが有効であることが、非常に明確に論じられた。
 多様なテーマに触れる機会としての有効性に加え、異なるディシプリンを持つ報告者が中東政治研究の最先端で活躍する研究者からの示唆に富むコメントを受けることができ、非常に有意義なワークショップとなった。

報告者:山尾大(京都大学)







(2008年7月7日~8日 於ダラム大学)



タイトル:International Workshop in Islamic Economics, Banking and Finance

 2008年7月7日から8日の2日間の日程で、イギリス・ダラム大学の行政・国際学部(School of Government and International Affairs, SGIA)において、「イスラーム経済学・金融研究国際ワークショップ」(International Workshop in Islamic Economics, Banking and Finance)が、京都大学イスラーム地域研究センター(KIAS)、京都大学グローバルCOEプログラム「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」ならびにダラム大学ダラム・イスラーム金融プログラム(Durham Islamic Finance Programme)の共催で開催された。本ワークショップは、昨年7月に、京都大学で開催された国際ワークショップ「イスラーム経済学国際シンポジウム:グローバルな文脈における理論的・実践的視点」(International Symposium on Islamic Economics: Theoretical and Practical Perspectives in a Global Context)の後続企画として実施された。本学からは、小杉泰教授(KIASセンター長)、長岡慎介氏(京都大学大学院)らが参加した。

 本ワークショップの参加者は、ダラム大学でイスラーム経済およびイスラーム金融を学ぶ博士課程の学生や同大学でイスラーム経済の博士号を取得後、世界中の大学で研究を続けている卒業生を中心に構成された。また、これまでイスラーム経済研究の第一線に立ってきたダラム大学のロドニー・ウィルソン教授やマークフィールド高等教育研究所のセイフッディーン・タージュッディーン博士による報告も行われ、若手と大御所が積極的な議論を繰り広げる光景は印象的であった。本学からは長岡氏が"Economic Wisdom (Hikma) of Partnership Contracts in Islamic Economics: Reconsidering the Risk-Sharing Schema"の題目で発表を行った。

 報告は、総勢21名によって行われ、そのうち理論系は11本、実証系は10本報告された。全体的に地道ながらも確実な研究が多く、それぞれの分野における方法論を使った萌芽的だが手堅い研究が多かったといえる。また、フィールドワークで実施した質問票を駆使した実証研究も散見され、実務系の国際会議では注目されないようなワクフや遺産相続に関連した研究も行われた。イスラーム金融に関する国際会議は、サウディアラビアのジェッダやハーバード大学でも開催されているが、その中では最も学術的であったという感想が参加者から聞かれた。

 このような学術交流の機会は、若手研究者に対して非常に高い教育効果をもたらすものである。来年以降も京都大学とダラム大学の間で、イスラーム金融に関する国際ワークショップが計画されており、知的交流の拡大と研究成果の蓄積が期待される。



報告者:堀拔功二(京都大学)






KIAS・京都大学G-COE 「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」・日本学術振興会科学研究費(A)「現代アジア・アフリカ地域におけるトランスナショナルな政治社会運動の比較研究」(東京外国語大学)共催国際ワークショップ
(2008年2月1~2日 於京都大学)



タイトル:Islamic System, Modernity and Institutional Transformation

February 1 (Fri.)
 15:00-15:10 Opening
 15:10-16:40 Session 1(Chair: TONAGA Yasushi, Kyoto University)
   ・Speaker 1: Idiris DANISMAZ (Kyoto University)
   Title: Ethical and Practical Perspective in Isma`il Haqqi Bursawi's (d.1725) Sufi Exegesis Ruh al-Bayan.
   ・Speaker 2: MARUYAMA Daisuke (Kyoto University)
   Title: What is Wali?: In the Tradition of Islamic Theology.
   ・Speaker 3: KINOSHITA Hiroko (Kyoto University)
   Title: Transformation of the Islamic Network between Middle East and the Malay-Indonesian World: A Historical Observation.

 16:55-18:25 Session 2(Chair: TONAGA Yasushi)
   ・Speaker 1: Waheeb AL-ERYANI (Tokyo University of Foreign Studies)
   Title: State Legitimacy and Secession Calls in the South of Yemen.
   ・Speaker 2: YASUDA Shin (Kyoto University)
   Title: The Pilgrimage to the Shi'ite Mausoleums in Contemporary Syria.
   ・Speaker 3: HIRAMATSU Aiko (Kyoto University)
   Title: Islam and Democratization in Kuwait.

February 2(Sat.)
 11:00-12:30 Keynote Speech
   Mohammad El-Sayed SELIM,
   "Models of Dialogue among Civilizations, the Pre-requisites of an Effective Model."

 13:30-15:00 Session 3 (Chair: KOSUGI Yasushi, Kyoto University)
   ・Speaker 1: YAMAO Dai (Kyoto University)
   Title: Cooperation and Rivalry among the Iraqi Islamic Parties: An Analysis of Ideological and Political Orientations in the 1980s.
   ・Speaker 2: HORINUKI Koji (Kyoto University)
   Title: Islam, Arabness and State Formation: A Debate on the Demographic Imbalance in the UAE.
   ・Speaker 3: Housam DARWISHEH (Tokyo University of Foreign Studies)
   Title: Political Activism under Mubarak's Authoritarian Electoral Engineering in the 1980s.

 15:15-16:45 Session 4(Chair: KOSUGI Yasushi)
   ・Speaker 1: TOBINA Hitomi (Kyoto University)
   Title: To Maitain Jerusalemite 'rights': Palestinian Lives under the Threat of House Demolition.
   ・Speaker 2: KURODA Kenji (Kyoto University)
   Title: The Institution of Marji' al-Taqlid after the Islamic Revolution in Iran.
   ・Speaker 3: HIRANO Junichi (Kyoto University)
   Title: Beyond the Sunni-Shiite Dichotomy: Rethinking al-Afghani and His Pan-Islamism.

 16:45-17:45 Session 5 (Chair: KOSUGI Yasushi)
   ・Speaker 1: Esen URMANOV (Tokyo University of Foreign Studies)
   Title: Islamic Radicalism in Central Asia.
   ・Speaker 2: Walaa HASSAN & Intissar Al-FARTTOOSI(Tokyo University of Foreign Studies)
   Title: Forced Displacement Crisis in the Middle East: Case of Iraq.

 17:45-17:50 Closing



 京都大学G-COE 「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」および日本学術振興会科学研究費(A)「現代アジア・アフリカ地域におけるトランスナショナルな政治社会運動の比較研究」(東京外国語大学)の協力を得て、京都大学拠点海外共同研究者であるMohammed El-Sayed Selim氏の基調講演を中心に配し、さまざまな国から日本に集まった若手研究者が自由に参加し発表できる新しい形の国際ワークショップを企画した。この国際ワークショップは、京都大学拠点研究グループに属するユニット1からユニット1まですべてのユニットが協力して行う共同作業でもあり、京都大学拠点の活動全体を未来に託す意味も込められている。京都大学拠点のテーマである「イスラーム世界の国際組織」をさらに敷衍化し、イスラームのシステムと現代がどのように関わっているのか、また現代のように政治的社会的制度が激しく変容するなかでイスラームのシステムがどのように対応しているのかという問いかけのもとでイスラーム世界の国際組織を考えていかなければならないという問題意識がこのワークショップの背後にあった。 



報告者:仁子 寿晴(京都大学/人間文化研究機構)






SIASグループ3・KIASユニット4共催 国際ワークショップ
(2007年10月12日~10月13日 於京都大学)



タイトル:Rethinking Tariqa: What Makes Something Tariqa?

Opening Session Chair:Akahori Masayuki (Sophia University, Tokyo: Leader of Group 3, SIAS)
"Welcome Speech"
Sato Tsugitaka (Waseda University, Tokyo: General Director of IAS & Director of WIAS)
"Opening Speech"
Tonaga Yasushi (Kyoto University, Kyoto: Leader of Unit 4, KIAS)

1st Session Chair:Akahori Masayuki
発表題目:"When a Sufi Shaykh Thinks Out his Own Tariqa: Two Treatises by Ahmad Kasani Dahbidi (1461-1542) on the Khwajagan adab"
発表者:Alexandre Papas (CNRS, Paris)
発表題目:" 'Tariqas' without Silsilas: The Case of Zanzibar"
発表者:Fujii Chiaki (Kyoto University, Kyoto)
発表題目:"Institutionalized Sufism and Non-Institutionalized Sufism: A Reconsideration of the Groups of Sufi Saints of the Non-Tariqa Type as Viewed through the Historical Documents of Medieval Maghreb"
発表者:Kisaichi Masatoshi (Sophia University, Tokyo: Director of SIAS)

2nd Session Chair:Tonaga Yasushi
発表題目:"To Whom You Belong?: Pir-Murid Relationship and Silsilah in Medieval India"
発表者:Ninomiya Ayako (Kyoto University, Kyoto)
発表題目:"Anthropology of Tariqa Rituals: The Initiatic Belt (shadd, kamar) in the Reception Ceremony"
発表者:Thierry Zarcone (CNRS, Paris)

Closing Session Chair:Tonaga Yasushi
General Discussion
Concluding Remarks
Hamada Masami (Kyoto University, Kyoto: Advisory Member of KIAS)


Opening Session:
 Opening Sessionは、「イスラーム地域研究」研究代表者・佐藤次高氏(早稲田大学)の挨拶に始まり、次にオーガナイザーの一人である東長靖氏(京都大学)から本ワークショップが開催されるまでの歩みと本ワークショップの趣旨が述べられた。歩みを簡単に説明すると以下のようになる。当ワークショップを主催するSIAS研究グループ3「スーフィズムと民衆イスラーム」及びKIAS研究ユニット4「広域タリーカ」(京都大学)は、1997年に発足した創成的基礎研究「イスラーム地域研究」プロジェクト(~2002年)の一環として5年間続いた「聖者信仰・スーフィズム・タリーカをめぐる研究会」を継承している。そしてその研究会は名の通り聖者信仰・スーフィズム・タリーカを学際的かつ多様な地域にわたって研究してきたが、現在は預言者一族への崇拝の問題も加えて研究を進めていると。

 他方、「タリーカ再考」と題された本ワークショップの問題意識が概略次のように述べられた。

「タリーカ」という語からわれわれはかっちりとした組織を思い浮かべるが、それはイスラーム世界のどこでも、また長いタリーカの歴史のなかでいつでもあてはまるものなのか、その認識とは逆に、集団・組織というよりもむしろ修行の流儀と把握する方がよいのか。この問いに答えるために、さしあたりタリーカの概念を把握するのに不可欠な要素を抽出し、それをもとにさまざまな場所、さまざまな時代に存在したタリーカを比較することが本ワークショップの基本的な方針である。


1st Session:
Alexandre Papas (CNRS, Paris)
"When a Sufi Shaykh Thinks Out his Own Tariqa: Two Treatises by Ahmad Kasani Dahbidi (1461-1542) on the Khwajagan adab"

 「タリーカ」は組織なのか、スーフィーが精神的にたどる道か、という二者択一の問いはナンセンスだとPAPAS氏は主張する。研究者は分析的に解釈しがちだが、むしろその2つの要素は連続しているのではないかと考えられる。さらに、組織と精神的にたどる道という2つの要素が分かちがたく結びついていることが、「タリーカ」一般に不可欠な要素なのではないかと提起した。本発表は、そのテストケースとして写本のかたちで遺されている、中央アジアのホージャガーン・タリーカのシャイフ・アフマド・カーサーニー(d. 1542)による一組の論考、『修行者のふるまい方』(Risala-yi adab al-salikin)と『誠実な者のふるまい方』(Risala-yi adab al-siddiqin)を綿密に読み解くことで、彼がタリーカをどのように考えているかを探ろうとした。なおこれら二論考の題名にはともにadab という語が使用されているが、adab は道徳、ふるまい方を意味し、スーフィズムでは確立された主題である。

 『修行者のふるまい方』が語るタリーカは、精神的な修行道と、師を中心に形成される精神的な共同体の二面性を帯びている。カーサーニーが重視するのは、suhbatと呼ばれる精神的な対話および精神的な集いである。このsuhbatには修行者がある程度の段階に達しないと参加できない。修行の道筋のなかではかなり遠い目標である。なぜなら外界のものにまったく惑わされなくなってはじめて師と精神的な対話ができるからである。またカーサーニーがsuhbatを重視した理由として発表者はホージャガーン・タリーカの構成人数が増えたため、師匠と弟子の一対一の対話(rabita)ではなく、一対多の対話であるsuhbatに対話形態が移行したと推測している。その正否はどうであれ、このようにしてsuhbatは個人的修行道とスーフィー教団としての集団性が交差する位置にあらわれることになる。だたし発表者の評定では、suhbatにみえる集団は教団と呼べるほどの組織ではなく本質的には師やその後継者の周りに集まった弟子たちの共同体である。

 『誠実な者のふるまい方』は『修行者のふるまい方』で語られた段階に続くより高い段階にいる者を対象にしている。この意味で、修行者と誠実な者の間にはランクの違いがみられる。そしてここで対象になっている誠実な者とはすでに悟ったスーフィー(師になる準備ができたスーフィー)である可能性が高い。『誠実な者のふるまい方』では『修行者のふるまい方』と違ってsuhbatに関する言及が見られないのは、すでにsuhbatに参加する必要がないからだと考えられる。つまり、『誠実な者のふるまい方』ではすでに師匠に匹敵する段階に達した者がsuhbatを行う際にいかにふるまうか(adab)が語られているのである。『修行者のふるまい方』が修行の過程を逐一説明していたのに対して、『誠実な者のふるまい方』では講話スタイルで書かれている点もそのような解釈の補強となるであろう。
 では二論考の著者は結局タリーカをどのように考えていたのだろうか。精神的な完成に至る道、師匠になる段階の制度化、そして組織と師匠との関係は少なくとも二論考でははっきりと区別されていない。むしろそれらは二論考を通じて渾然一体となっているのである。

 なお質疑応答では、二つの文献の性格の相違や両者の成立の背景などが論点となった。


Fujii Chiaki (Kyoto University, Kyoto)
" 'Tariqas' without Silsilas: The Case of Zanzibar"

 藤井氏の発表は、先行研究を踏まえつつ、自身のフィールド調査の結果と併せて、ザンジバルのタリーカの歴史的な状況と現在のあり方を比較・検討し、ザンジバルにおいてタリーカをタリーカたらしめている要素が何かを明らかにすることを試みるものであった。今回の発表は、2005年4月16日から5月16日及び2006年9月18日から12月18日の2回に分けて行われた、カーディリーヤ、シャーズィリーヤ、マウリディ・ヤ・ホム、キラーマ、キグミ、キジティ、ホチ、ハムズィーヤという8つのタリーカの調査がもとになっている。本論では、各タリーカの起源を縦糸に、タリーカの要素と想定されるスィルスィラ(道統譜)、名祖、修行法であるズィクルの有無を横糸にして分析が行われた。

 上記8つのタリーカのうち先行研究ですでに報告されているのは、カーディリーヤ、シャーズィリーヤ、マウリディ・ヤ・ホム(リファーイーヤ)、カーディリーヤから分派したキラーマの4つである。このうちマウリディ・ヤ・ホムとも呼ばれていたリファーイーヤは発表者が調査した時期には、すでにリファーイーヤという名が忘れ去られており、マウリディ・ヤ・ホムという名しか残っていなかった。また先行研究ではカーディリーヤから分派したとされていたキラーマが、発表者自身の調査ではシャーズィリーヤから分派したことになっていた。したがって先行研究の調査から発表者の調査までの間に少なくとも2つのタリーカの名が変化しており、そのうちのひとつのタリーカでは起源となるべきリファーイーヤという名すら忘れ去られていたのである(リファーイーヤはアデンからアフリカ東海岸に伝わったタリーカで、ここでマウリディ・ヤ・ホムと言われているものは子タリーカにあたる)。マウリディ・ヤ・ホムとキラーマという名はタリーカの創始者(名祖)の名にちなんだものではなく、修行法であるズィクルの名であること、逆にカーディリーヤ、シャーズィリーヤ、リファーイーヤが創始者の名にちなんでいることを考えあわせば、ザンジバルのタリーカの名称は、全体として名祖にちなんだ名からズィクルにちなんだ名へと変化していることが予想される。なおキグミ、キジティ、ホチ、ハムズィーヤもズィクルの名が冠せられたタリーカである。

 他方、スィルスィラに目を向けると、先行研究と照らし合わせて、預言者ムハンマドにさかのぼるスィルスィラが保持されていたのはカーディリーヤとシャーズィリーヤだけである。マウリディ・ヤ・ホムは発表者の聞き取りによると1964年のザンジバル革命後スィルスィラは失われてしまったという。またキグミ、キジティ、ホチ、ハムズィーヤのスィルスィラは預言者にまでさかのぼっていない。スィルスィラが不完全であるか、あるいは失われているケースが多いなかで、ズィクルに関しては8つのタリーカで行っていないところはなかった。以上の考察から導き出せる結論は、名祖、スィルスィラ、ズィクルという3つの候補のうちで、ザンジバルのタリーカの必要条件はズィクルだけということになる。

 われわれがまずタリーカのアイデンティティーと考えるのは名祖やスィルスィラである。ザンジバルのタリーカではこれらが副次的な要素でしかないばかりでなく、失われ、忘れ去られていくケースがあることはわれわれの常識をくつがえすものであった。なぜそのような事態が起こるのかという問いに対して、発表者は1964年のザンジバル革命から8年間続いた混乱期にそれらの要素が失われた可能性が高いと控え目に推測するにとどめた。本当にそうした外在的要因だけによるのかどうかの検証はこれからの研究課題であろう。

 質疑応答では、ザンジバルのタリーカの実態をめぐる歴史的・社会的側面の問題、現地社会においてマウリド、ズィクルなどが持つ意味、1964年革命がタリーカにもたらした影響、スィルスィラの有無とザンジバルの政治的状況の関係などが議論された。その際に発表者が繰り返し強調したのは、ザンジバルのタリーカにおけるズィクルの重要性であり、ズィクル・グループという従来のタリーカイメージとは異なるタリーカのあり方であった。またスィルスィラをもたず、名祖ももたないタリーカは、ザンジバル、ひいてはアフリカだけにみられる現象であろうか。われわれがタリーカだと思っているものをタリーカ研究の俎上に載せているだけで、本当はいろいろなところにズィクル・グループに類するものがあるのではないか。そのような思いを強く持った。



Kisaichi Masatoshi (Sophia University, Tokyo: Director of SIAS)
"Institutionalized Sufism and Non-Institutionalized Sufism: A Reconsideration of the Groups of Sufi Saints of the Non-Tariqa Type as Viewed through the Historical Documents of Medieval Maghreb"

 私市氏は、発表の冒頭で、われわれは前近代におけるタリーカというものを過大評価してきたのではないか、つまりタリーカという言葉でイラク南部に始まった組織化・制度化され、さらには国際化に向かうスーフィー集団を指し、それをどの地域のスーフィー集団にもあてはまるモデルとしていないか、という疑問を提示した。発表者はまず、12-13世紀にイスラーム世界に起こった最も革新的な動きは、スーフィズムの制度化(institutionalization)であり、それはイラク南部で始まった、カーディリーヤ、リファーイーヤ、スフラワルディーヤという3つの「国際的なスーフィー教団」の形成であったと指摘した。対して、この時代にモロッコやマグリブでは、ターイファ・サンハージーヤ、ターイファ・マージリーヤのようにターイファと呼ばれる現地に根付いた(国際的ではない)組織が形成されていた。こうしたマグリブの事例をみれば、ハーンカーからタリーカを経由してターイファ段階に至るというトリミンガムによる発展三段階説が普遍的に妥当するのかどうかが疑われなければならない。発表者はマグレブの有名なスーフィー、アブー・マドヤン(d.594/1198)とその弟子たちの動向を追うことでマグレブにおけるタリーカやターイファの所在を検証した。

 アルジェリア東部のビジャーヤに居を構えていたアブー・マドヤンのまわりには多くの人が集まり、彼の行っていたサマーの集いやズィクルの集会は「いわゆるタリーカ」が行っていたものとほとんど変わらない。しかし彼はタリーカやターイファを形成したわけではない。またアブー・マドヤンの弟子たちが活躍した12世紀から13世紀にリファーイー教団のメンバーがモロッコにいたが、彼もまたタリーカやターイファを作ったわけでもない。

 イブン・クンフズ(d. 810/1407-8)が報告するところによると14世紀西モロッコに6つのターイファがあったという。そのうちのひとつ、ドゥッカラにあるターイファの状況がイブン・クンフズによって詳しく述べられている。その記述によると、ターイファの集会には病人を含む大勢の人が集まり、ズィクルを行ったり、治療を行ったりしていた。この様子は「いわゆるタリーカ」の姿に似ているが、西モロッコのターイファは国際的ではなく、地方に限定されたものであった。

 次の例はアブー・マドヤンの弟子にあたるアブー・ムハンマド・サーリフ・アル=マージリーが創設したターイファ・マージリーヤである。アブー・ムハンマド・サーリフはアブー・マドヤンの教えに忠実にしたがいながらも、ターイファ独自のユニフォームを導入した。これも「いわゆるタリーカ」の習慣と似ているが、このターイファも拡大せずに地方にとどまっていた。

 最後の例はタミーミー(d. 603-4/1208-9)の手による聖者伝からの情報である。この聖者伝には115人のスーフィー・聖者が記載されているが、ターイファや(組織としての)タリーカという語は登場しない。タリーカという語がつかわれるときにはスーフィズムの方法という意味においてである。しかしそこで描かれる集会の模様は「いわゆるタリーカ」と同じである。

 以上のマグレブの事例により、われわれが考えるタリーカという概念はマグレブのスーフィー集団には当てはまらないことが示された。それに伴い、イラク南部で発生した、「いわゆるタリーカ」をモデルにしたトリミンガムの発展段階説は少なくともマグレブのスーフィー集団には当てはまらないことも明らかになった。

 質疑応答では、発表者が用いたorganizationやinstitutionalizationといった語はどのような意味で使われているのか、タリーカ・タイプ(「いわゆるタリーカ」のこと)と非タリーカ・タイプのスーフィーはどのように異なるのかといった点が議論になった。ではいわゆるタリーカの意味でタリーカという語が(少なくとも普遍的に)使用できないのであれば、どの意味で使うのが適当なのであろうか。発表者は、その問いに対して、前近代のタリーカは、修行の手段、方法、神と一体になるための道という意味とともにassociationという意味で使った方がorganizationよりも実態に即していると回答した。本発表はタリーカの意味合いに直接切り込む大胆な発表であり、フロアーからの反響は大きかった。

報告者:茂木明石(上智大学)




2nd Session:
Ninomiya Ayako(Kyoto University)
"To Whom You Belong?: Pir-Murid Relationship and Silsila in Medieval India."

 発表者は、中世インドにおけるチシュティー教団関係者の手による『聖者伝』などの史資料の分析から、スィルスィラおよびその基礎となるピール-ムリード関係の特質を明らかにすることによって、本国際ワークショップの共通テーマ(Rethinking Tariqa: What Makes Something Tariqa ?)に取り組んだ。全5章からなる本発表の具体的構成は以下の通りである。

1. 'Order' and silsila
2. Development of silsila names in Medieval India
3. Understanding of silsila structure seen in Siyar al-awliya
4. Gaps between 'Order' and silsila
5. Meaning and importance of silsila for Medieval Indian people

 第1章は問題提起に当てられ、先行研究の特徴として、スィルスィラが「教団(order)」の同義語としてしばしば用いられてきたこと、中世インドにおける「教団」形成の重要な要因のひとつとしてスィルスィラが捉えられてきたことが挙げられるという指摘がなされた。これを踏まえて、本発表はスィルスィラとピール-ムリード関係の重要性、およびスィルスィラの構造をめぐるスーフィーおよび教団員の理解をめぐって展開するものである。

 第2章では、ピールとムリードの直接的かつ個人的な関係を基盤とし、スィルスィラという師弟関係の累積によって表現される当事者たちの関係が、14世紀半ば以降、集合的な表現へと根本的な変容を遂げていることが、ムルターン・スフラワルディーヤの手になる文書史料の事例などを通じて明らかにされた。

 第3章では、ニザームッディーン・アウリヤーの弟子ミール・ホルドによる聖者伝『スィヤール・アウリヤー』の章構成が分析に付され、預言者ムハンマドを頂点とし下降線を辿る「樹形図」としてスィルスィラを認識する「研究者的視点」に対して、自己を起点とし、師匠を媒介して預言者へと向かう遡及的な流れとしてこれを認識する「教団員的視点」の重要性を強調した。

 第4章では、スィルスィラを「教団」の同義語として把握することの問題点が指摘された。その根拠は、第一に、スィルスィラが教団に加入した成員によって共有されている側面がある一方で、ムリードや教団に近しい人々はしばしばこのスィルスィラには含まれないことがある点、第二にスィルスィラやその同義語として捉えられてきたkhwandan / khwanwadahなる用語が中世インドにおいて多様な意味合いを有しており、特定個人が保持するスィルスィラの範囲をめぐっても一定の見解が存在しないことなどが挙げられた。

 最後に、第5章では、教団に加入する一般の人々の視点から見た場合のピールとの関係の有する意味と重要性に議論が向けられる。発表者は、ニザームッディーン・アウリヤーが語った預言者たちをめぐる逸話などを手掛かりとして、「スーフィー・ピール」に期待されているのは、弟子たちの罪を自らの罪として引き受け、最後の審判の日にとりなしを行うことであるという点を重視する。この点から、従来の聖者信仰研究においてしばしば重視されてきた現世利益に対して、現世のみならず来世における安寧、罪の許しもまた聖者との関係を有する一般民衆にとって重要であることを強調する。

 以上のように、中世インドを対象とした二宮氏の発表は、先行研究が抱えている問題点を克服しようとする意識に強く裏打ちされた、多岐に渡る内容を含みこんだものとなっている。

コメント:
コメンテーター:Takahashi Kei(Sophia University)
 エジプトにおけるタリーカについての研究を進めている高橋氏は、オスマン朝下エジプトにおけるタリーカの事例を参照しつつ、二宮氏の発表について大きく2つの疑問を提示した。第一点目は、タリーカをorderと同義に捉えることが可能か、第二点目は、ピール-ムリード関係の重要性を強調する二宮氏に対して、組織論的観点から見るならばピールとムリードのみならず、直接的にはタリーカに帰属してはいなくともタリーカに近しい一般民の存在が重要なのではないかという点をめぐるものである。また高橋氏は、第二点目の問いに関連して、オスマン朝下のエジプトにおける知識人スーフィーの手になる文書の中に、スーフィー的教義への理解が不十分なままズィクルにふける一般民のタリーカ参加を批判した記述が見出されることに言及して、知識人の活動に焦点が当てられがちな史資料も扱いによっては一般民の活動実態、一般民と知識人の相互関係、一般民とタリーカの関係などの諸相を解明する上での、有益な情報源となる可能性を指摘した。

討論:
 スィルスィラとピール-ムリード関係を比較・対照させた二宮氏に対し、討論では、概念規定をめぐる問題点、両概念の関係をめぐる疑問、高橋氏のコメントを受け一般民をも視野におさめた視点によるスィルスィラおよびピール-ムリード関係の再検討、などといった諸点をはじめ、数多くの質問が出され、活発な議論が行われた。

 たとえば、スィルスィラをタリーカの重要な構成要素として二宮氏が捉えているのに対して、果たしてスィルスィラはタリーカにとって必要不可欠であるのかという疑問が提示された。

 このほか、スィルスィラを「リネージ」として把握した発表者に対して疑問が提示されてもいる。その根拠は、スィルスィラは世代間の連鎖によって構成されるものであるのに対して、リネージの概念的特徴は、必ずしも世代間の連続的な関係の集積によって成り立っている必要はなく、祖先と子孫の直接的な関係によっても成立可能である、という点にある。

 さらに、スィルスィラとピール・ムリード関係を巡っては、周辺的な立場にある弟子の視点に立つならば、ピールとの関係があれば、それが教団への帰属、アイデンティティーの問題を解決する指標となり得るのであって、ピールの精神的祖を世代ごとに辿るスィルスィラは必ずしも必要ないのではないかという見解、翻ってスィルスィラは預言者とピールの関係づけやその正当化、タリーカの集合的アイデンティティー構築などにとって不可欠な要素と言えるのではないか、などの意見をはじめとした多様なコメント/質問が提示された。

 ワークショップ共通テーマとの関連では、何がタリーカを構成するのかという点を検討するにあたって、現代のタリーカに残っている要素を検討することによって、タリーカを構成するもっとも重要な要素が明らかになる可能性があるのではないかという指摘もなされている。

 スィルスィラ、ピール-ムリード関係を主題とした二宮氏の発表は、このように様々な質疑応答を得ただけでなく、総合討論においても引き続き、活発な議論を生み出す土台となった。


Thierry Zarcone (CNRS, Paris)
Anthropology of Tariqa Rituals: The Initiatic Belt (shadd, kamar) in the Reception Ceremony

 ザルコン氏によれば、スーフィズムにおける儀礼をめぐる研究は、アフド(Ahd)、タルキーン・ズィクル(talqin dhikr)、ヒルカ(hirka)という3つの儀礼への着目、およびアラブ圏でのスーフィズムへの関心の集中という特徴が一般に見られる。これに対し、トルコ語/ペルシャ語圏におけるスーフィーの儀礼はこれまで度外視されてきたものの、同言語圏における儀礼は剃髪およびベルトの着用とも結びついて複雑な歴史的展開を遂げてきた。

 以上のような理解の下、ザルコン氏は、トルコ/ペルシャ語圏におけるハクサリー教団(Khaksariyya)、ベクタシー教団(Bektasiye)、メヴレヴィー教団(Mevleviye)、およびオスマン朝における職人ギルドの事例をもとに、シャッド(ベルトの着用)が果たす役割の検討を行った。また発表の後半では、これらトルコ語/ペルシャ語系のタリーカの特殊性やギルド、フトゥーワのタリーカへの影響に対する理解を深める一助として、カーディリー教団、リファーイー教団など「アラブ系」のタリーカの事例も提示された。発表は、文書史料に記された「帯」の作成/着用方法や、豊富かつ貴重な多数の写真提示も含めた詳細なものであり、大変興味深いものであった。

 発表は以下の4章から構成されている。

 1. The initiatic belt in the Futuvva and in the guilds of craftsmen
 2. The belt of the Sufis
 3. Anatolian syncretism: the initiatic belt in the Rifa'iye and in the Kadiriye
 4. Conclusion

 第1章では、フトゥーワと職人ギルドにおけるシャッドが取り扱われ、その使用の歴史的変遷の概要が明らかにされた。

 ザルコン氏によれば、シャッドの普及は、直接的には10世紀から11世紀におけるフトゥーワ運動に由来するが、その起源は、ゾロアスター教における神聖なベルトの着用、あるいはムスリム達が10世紀以前に実践していたズボンやストラップなどの儀礼的着用にまで遡りうるという。

 シャッドをめぐる慣行は、その後14世紀から15世紀にかけてアナトリア地方で広がったアヒー運動を通してトルコ系スーフィーの家系にも広がり、17世紀中葉にはシャッドの儀礼内容に関する最古の記述がなされ、19世紀にはシャッドに関するさらに多くの記述がなされるに至っている。

 以上のようにフトゥーワ運動において儀礼として広く用いられるようになったシャッドは、トルコ語/ペルシャ語圏において、職人ギルドのみならずタリーカとも結びついているほか、イスラーム化したシャーマニズムとも結びつくなど、多様な展開を見せている。

 第2章では、スーフィズムにおけるシャッドが取り上げられた。ザルコン氏は、中央アジアにおけるカランダリー教団の教本を元に、シャッドが具体的にどのようにして実践されていたのかを、ベルトの作成方法、その巻き方、ベルトに付け加えられる結び目の数に見出される宗教的意味や関連する逸話などを交えつつ明らかにした。
 第3章では、リファーイー教団、カーディリー教団などの「アラブ系」教団におけるシャッド儀礼の歴史的起源やその特質の解明を目的として、カーディリー教団については皮なめし職人ギルドとの関連、リファーイー教団についてはフトゥーワ運動との関連を史資料の分析から検討し、スーフィー教団とは直接関係のない職人ギルドやフトゥーワからシャッド儀礼が導入された可能性があることが明らかにされた。

 結論では、第一に、ハクサーリー教団(Khaksariyya)、ベクタシー教団(Bektasiye)、メヴレヴィー教団(Mevleviye)などトルコ語/ペルシャ語系の教団がフトゥーワ運動などの影響下にシャッドをはじめとする儀礼の導入を図ったことが一般的に広く知られていることを踏まえたうえで、第4章における議論の独自性が再び確認・強調された。第二に、発表の総括として、ザルコーン氏は「何があるものをタリーカにするのか」を理解する上で儀礼分析は有効であるが、少なくとも二つの点で注意が必要であることが指摘された。それは、(1)シャッドをはじめとするスーフィーの儀礼が、スーフィー的な人々のみならず、非スーフィー的な人々によって実践されていること、およびスーフィズムの出現以前からシャーマニズムなどにおいて同種の儀礼が実践されてきたことに視野を拡大して儀礼研究を展開する必要があること、(2)タリーカへの入会儀礼にはシャッドのみならず多様な儀礼があるという点にも注意を払う必要があること、である。

コメント:
コメンテーター:Morimoto Kazuo (Tokyo University)
 10世紀から20世紀にわたるアナトリア/トルコ、中央アジアなど広範な地域・時代を対象とした本発表について、森本氏は、とくに、霊的・神秘的な運動、フトゥーワ運動、アヒー運動などとの関係においてタリーカの境界を検討することが重要な研究課題であることが明らかにされたこと、これらの集団が神秘的な趣好を共有するという連続性を有しつつも、同時に異なる集団として差異化されていることを詳細な事例から明示した点を独創的な貢献として高く評価した。

 質問は、ギルドが果たした重要な役割についてどのように考えるかという点、タリーカが形成された後もギルドはシャッドの普及に重要な意義を担ったが、こうした場合にどのような基準がギルドとタリーカを区別しうるものとして設定され得るのか、という2点についてなされた。

討論:
 森本氏によるコメント/質問を受け、まずザルコン氏から、ギルドの商業的活動に留まらず極めてスーフィーに近い活動を行っていた事例があることが最新の研究から明らかにされつつあるものの、テッケなどに関する古文書資料そのものが少ないため、今後更なる古文書の調査・研究および現地調査が必要とされるという回答がなされた。これとあわせて同氏は、「何があるものをタリーカにするのか」という本ワークショップの主題について考察を深めてゆく上で最も重要な点として、ズィクルなどに偏重してきた研究姿勢を修正し、シャッドをはじめとする多様な儀礼に関する研究を進展させること、同時に儀礼の存在のみがタリーカを成立させる不可欠な要素とは限らない点に注意を払う必要性、儀礼がタリーカ間で伝達される際に生じる変化に対する理解を深めること、などを指摘した。

 さらに討論では、加入儀礼に注目しつつタリーカとギルドの強い関連性を明らかにしたザルコン氏の発表に対して、かりに加入時ではなく、修行が進んだ段階における儀礼の比較検討を実施したのならば、タリーカとフトゥーワの関連性を巡って今回とは異なる側面が明らかになる可能性もあるのではないかというコメントも提示された。

Closing Session:
Tonaga Yasushi (Kyoto University)
 まず、本ワークショップの問題意識を明確に示した東長氏によるオープニング・セクションでの研究方針に基づいて全発表者の発表をまとめることによって、第一、第二セッションの議論を明確化し、総合討論における議論が生産的なものとなるよう道筋がつけられた。具体的には、東長氏は、(1)タリーカなる概念を取り扱って行く上での問題群、および(2)タリーカを構成する要素という二側面から各発表の特質をリストアップすることによって、それらの共通点/相違点を明らかにした。とくに前者(1)については、タリーカを実体概念/分析概念のいずれとして各発表者が理解しているのか、スーフィズムとの関連の有無、組織としてタリーカを把握可能かどうかなどといった諸点から各研究者の議論の内容が確認された。これに対し後者(2)については、暫定的に「リネージ」、儀礼/実践という用語のもとで個々の発表の事項内容が一覧として提示された。
 さらに、東長氏によるまとめの妥当性について各発表者に確認が取られる過程で、スィルスィラをタリーカの重要な構成要素と見なしうるのかどうかという点をめぐる是非、タリーカを構成する要素をリネージおよび儀礼/実践という二側面のみでは把握しきれないであろうこと、新たな要素を盛り込み必要性があること、儀礼/実践を区別すべきであろうこと、などといった諸点について議論が深められた。最後に、今回の発表では教義が取り上げられることはなかったものの、成員の結合に対して教義も重要な役割を果たしうるものとして看過できないのではないかというコメントが東長氏より付せられた。

General Discussion:
 総合討論は、(1)藤井氏の発表におけるタリーカ理解、(2)教団名をめぐる理解、(3)スィルスィラを重視する研究姿勢の妥当性、(4)一般民の視点から見た場合の教団理解など、大きく四つの主題を巡って展開された。

 第一に、ザンジバルにおけるスーフィー教団を(a)タリーカ一般と(b)儀礼集団として特殊化したズィクリ・グループの二類型に分類した藤井氏の発表に対する質問は、ズィクリ・グループは、彼ら自身の認識からするならばタリーカとして見なされているのではないか、という質問がなされた。さらに、この質問と対応して、ズィクリ・グループに関する藤井氏による説明の中に、タリーカにおける修行実践の中核をなすファナーなどの概念について明確な言及がなされていなかったことを受けて、指導的立場にある者が、ファナーや精霊による憑依について一体どのような見解を有しているのかという点について質問が出され、藤井氏が提起した分類枠組みの妥当性に対して、発表で展開された組織論的側面のみならず、構成員の認識、タリーカとしての活動実践を支える理論的側面からの検討が必要であることが示唆された。

 第二に、初日の議論を受けて、マラーマティーヤなど教団創始者の名を冠していない教団名が複数存在することを考慮に入れるならば、創始者名継承はタリーカ形成において真に重要な要素と見なしうるかという疑問が提出された。これに触発され、創始者名の理念的な重要性とタリーカ名が必ずしも創始者名を冠していないという実態の齟齬が再確認された上で、マラーマティーヤの事例などからシャイフの権威の欠如がタリーカ名にも影響を及ぼしている可能性への言及、教団名が教団が奨励している活動を反映したものがあるという指摘に始まって活発な議論が展開された。

 第三に、スィルスィラについてであるが、本ワークショップにおけるスィルスィラをめぐる議論は、スィルスィラをタリーカ研究の中核に据えることが出来ないということを示唆しているかもしれないという意見が提出された。これに対し、アイデンティティーの核としてスィルスィラが活用されている側面を軽視してはならないという意見、研究者を初めとする部外者に対して、対外的には自らの正当性を主張するためにスィルスィラが必要とされる一方で、教団関係者間ではスィルスィラはさほど必要とされないのではないかという意見、彼ら自身の言葉や認識を手掛かりとした上で、スィルスィラの重要性に関する理解を深めた方が良いという意見などが提出された。

 第四に、二宮氏の発表と質疑応答で明らかになった「下から」の、一般民の視点に基づくタリーカ像の再検討や、ワークショップ初日の藤井氏および私市氏による発表において顕著となった分類の妥当性について今後さらに議論を深化させてゆく必要性が確認された。

Concluding Remarks:
Hamada Masami (Kyoto University)
 浜田氏は、本ワークショップの総括として、まずスーフィー、タリーカの政治的側面に関心を寄せ続けてきた自身の研究関心について振り返り、こうした姿勢を修正する必要性があると考えていることに触れた。氏の発言は、スーフィーの視点に立って、彼らの主張を理解することの重要性を再認識したものであり、本ワークショップにおける主題について今後考察を深めてゆく上でも、組織論的側面に関心が集まった今回とはまた異なる観点から成果を挙げてゆく上での指針となる提言であった。

 また本ワークショップにおいて東長氏より提唱された実体的概念および分析的概念を区別すべきという姿勢については、今後とも両者を厳密に区別していく必要性が強調されたほか、仏教を初めとする他宗教における「教団」の活動との比較研究を展開していくことも提唱された。

所見:
 本研究会は、「イスラーム地域研究」において発足したスーフィズム・聖者信仰・タリーカをめぐる研究会が継続・発展したものである。

 すでに11年の研究蓄積を誇り、かつ国内のみならず積極的に海外における国際的な学術会議の場でもパネル・ディスカッションを組むなど、国内外の研究者との学際的な交流を継続してきた本研究会が、本年、日本国内において国際的なワークショップを組んだことの意義はきわめて大きいと筆者は考える。

 イスラーム地域研究ならびにNIHUプログラムの下で継続されている本研究会の良さのひとつは、国際的にみても最先端の研究成果を発信し続けているだけでなく、海外研究者との持続的な関係構築を目的として実施されている招聘、次世代の研究者の育成を目的とした若手研究者の積極的活用にもとづく発表、討論の場の設置、などといった点に対して一貫して注意深い配慮がなされていることである。
 また、中東のみならず、中央アジア、南アジア、東南アジア、西アフリカ、東アジアなど広範な地域へ目配りを通じてこれまで蓄積されてきた各地域で展開する教団の歴史・活動などに関する実証的報告を踏まえ、本ワークショップに特徴的に示されたように理論的関心に基づいた研究発表が提示されてもいる。

 今回のワークショップは、そうした理論への関心と、タリーカをめぐる諸現象の包括的理解へと至るための視座の提供、各研究者が重要と認識する事項の確認を理論の深化の前提として行うという点でも重要な意味がある。また、今回のワークショップでは、「何があるものをタリーカにするのか」という主題に対して組織論的観点からアプローチした研究と議論が多く提出されたように思われる。とくに集団形成の契機が一体何にあるのかという点について多くの関心が寄せられ、参加者の有する問題関心の方向性がある程度明確になったこと、また今回の議論で対象にならなかったものの今後研究において取り上げられるべき課題が明らかになったという点が重要な成果であったと考えられる。

 これ以外の点では、本ワークショップは、発表者の事前の準備、共通テーマへの貢献に対する意識の共有、コメンテーターによる発表草稿の事前読み込みとコメントの準備などをはじめとして、詳細な点に至るまで注意深く準備が進められていた。その結果、議論としても、またワークショップとしても大変充実した内容となったことも、ここに付記しておきたい。

 最後になるが、本研究会は多数の参加者によって構成されたものであるので、次回の議論を深化させる上でも、また継続した議論を可能にする上でも、今回課題となった点をまとめあげた報告書作成が重要な意義を担ってくると思う。以上のような問題意識もあり、多少長めではあるが、なるべく詳しく本国際ワークショップ2日目の概要を報告するよう努めた。

報告者:斎藤 剛(日本学術振興会・特別研究員〔PD〕)






ユニット5  イスラーム経済・国際シンポジウム
(2007年7月23日 於京都大学)



タイトル:Islamic Economics: Theoretical and Practical Perspectives in a Global Context

開会の辞:Kosugi Yasushi
セッション1(座長:Mehmet Asutay)
報告1:Islamic Revival and the Rise of Islamic Banking
報告者:Kosugi Yasushi(Kyoto University)
報告2:Community Development Financial Institutions: Lessons in Social Banking for the Islamic Financial Industry
報告者:Salma Sairally(Kyoto University)
セッション2(座長:Seif El-Din Ibrahim Tag El-Din)
報告3:Islamic Economics as an Alternative for the Current Capitalist World Economic System
報告者:Mehmet Asutay(School of Government and International Affairs, Durham University)
報告4:Divergence or Convergence? An Overview of Theoretical Discussions in Islamic Finance
報告者:Nagaoka Shinsuke(Kyoto University)
セッション3(座長: Salma Sairally)
報告5:Islamic Capital Markets: Its Relevance and Potential
報告者:Seif El-Din Ibrahim Tag El-Din(Markfield Institute of Higher Education)
報告6:Islamic Microfinance: A Missing Component in Islamic Banking
報告者:Abdul Rahim Abdul Rahman(IIUM Institute of Islamic Banking & Finance)
報告7:Islamic Banking in Pakistan: Developments and Transformation
報告者:Mehboob ul-Hassan(Nagoya City University)
全体討論(座長: Salma Sairally)
閉会の辞:Abdul Rahim Abdul Rahman



 本シンポジウムは、イスラーム経済研究および現代イスラーム金融研究の分野において世界的に活躍している研究者を招いて開かれた我が国初のイスラーム経済を主題とした研究シンポジウムであることをはじめに記しておきたい。タイトルからもわかるように、本シンポジウムは、世界的に拡大しつつある現代イスラーム金融の実態を把握するだけではなく、そのような実践を支える理論的・思想的背景を踏まえながら、理論・思想と実践の間の動態的なインタラクションとして現代イスラーム金融を捉え、そこからイスラーム経済の特質を探究することを目的として開催された。

 KIASユニット5ユニット責任者の小杉泰氏による報告1では、本シンポジウムの趣旨が説明された後で、イスラーム復興運動の潮流における現代イスラーム金融の位置づけを行いながら、そのような現代イスラーム金融の理論と実践を動態的に捉え、イスラーム経済の特質を探究していくための方法として「教経統合論」が提起された。続いて、サルマ・サイラリー氏による報告2では、近年注目が集まっている現代イスラーム金融における社会的投資の実態とその役割に関する考察が行われた。そこでは、現代イスラーム金融の新たな発展の方向性としての社会的投資の重要性が説かれ、そのような発展と現代イスラーム金融がそもそも掲げてきた理念とがきわめて親和的であると指摘された。

 メフメット・アスタイ氏による報告3では、現代イスラーム金融の理論的・思想的バックボーンとなっている学問領域であるイスラーム経済学におけるイスラーム経済の理念が概観された。そして、現代イスラーム金融の実態とイスラーム経済の理念とのギャップを埋めるために、サイラリー氏が報告2で取り上げた社会的投資のような新たな局面に現代イスラーム金融の実践が舵を切る必要があるとともに、理論面においても単なる法解釈に拘泥した理論の提示ではなく目的論的な視点からの理論構築が必要であることが論じられた。続いて、長岡慎介氏による報告4では、アスタイ氏が述べた現代イスラーム金融の実態と理念とのギャップの事例として、ムラーバハ契約とイスラーム証券をめぐる理論的論争を取り上げ、それらの論争が単に理論と実践の対立を生んだだけでなく、地域間の実践の多様性をも生み出したことが指摘された。しかし、そのような対立や地域的多様性は現代イスラーム金融の理念を切り裂くような本質的な対立なのではなく、共有された同一の理念の認識のされ方の違いに由来することが明らかにされた。

 


 セイフッディーン・ターグッディーン氏による報告5では、近年、拡大が進んでいるイスラーム資本市場の具体的なしくみが概観され、そのような資本市場を可能とする理論的枠組みが考察された。さらにイスラーム資本市場の特質として、投資先の選定がより重要な意味を持つこと、アセット・ベース型の金融により特化した金融商品が取り扱われていることが挙げられた。続くアブドゥッラヒーム・アブドゥッラフマーン氏の報告6では、貧困削減や社会的エンパワーメントの有力な手段として注目を集めているマイクロ・ファイナンスに対する現代イスラーム金融からの応用可能性について考察が行われ、現代イスラーム金融が依拠する金融手法のプロセスの中には、マイクロ・ファイナンスの目的に資する多くの要素が内在していることが指摘された、それとともに、マイクロ・ファイナンスへの進出が現代イスラーム金融の発展と理念の実現にとっても重要な局面を切り開く可能性があると論じられた。最後のメフブーブ・ウル=ハッサン氏による報告7では、パキスタンにおける現代イスラーム金融の歴史的潮流が取り上げられた。パキスタンでは、1980年代に経済システムの包括的イスラーム化が試みられたが、失敗に終わった。メフブーブ氏はその要因をイスラーム化に対する具体的政策プログラムの欠如にあることを指摘するとともに、2000年以後のパキスタンにおける現代イスラーム金融の新たな展開とその展望についてデータを用いながら検討を加えた。

 各報告および最後の全体討論の場においては、報告者どうしあるいはフロアからの積極的な意見交換が行われた。その内容は、現代イスラーム金融で用いられる金融商品の具体的な取引方法から、世界経済における現代イスラーム金融の位置づけ、現代イスラーム金融における理論と実態のギャップ克服への具体的方策、イスラーム経済の理念の実行可能性、多くの研究で多義的に用いられているIslamic Economicsという用語の定義の問題など、きわめて多様なトピックに渡り、現代イスラーム金融研究、そしてイスラーム経済研究の奥行きの深さと関心の高さが垣間見られた。

 

報告者:長岡慎介(京都大学)