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公開シンポジウム「日本と中東・日本と石油―エネルギーにまつわる温故知新―」
(2014年2月23日 於京都大学)
【日時】:2014年2月23日(日)13:30-17:30
【場所】:京都大学川端キャンパス稲盛財団記念館3階大会議室
(アクセスは案内文下のアクセス・交通機関をご参照ください)
プログラム:
13:30-14:00
保坂修司(日本エネルギー経済研究所研究理事)
「日本と石油と中東をめぐる40年と60年と400年」
14:00-14:30
坂梨祥(日本エネルギー経済研究所研究主幹)
「イランから見た日章丸事件」
14:30-15:00
小野沢透(京都大学大学院文学研究科准教授)
「アラビア石油と国際石油秩序の変質」
15:10-15:40
小堀聡(名古屋大学大学院経済学研究科准教授)
「日本の高度成長とエネルギー問題」
15:40-16:10
堀拔功二(日本エネルギー経済研究所研究員)
「日本のエネルギー資源外交と中東」
16:20-17:20
パネルディスカッション・質疑応答
17:20-17:30
小杉泰(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授)
総括・クロージングリマークス
保坂修司(日本エネルギー経済研究所研究理事)
「日本と石油と中東をめぐる40年と60年と400年」
保坂修司氏(日本エネルギー研究所研究理事)からは「日本と石油と中東を巡る40年と60年と400年」、「イランから見た日章丸事件」の2つのテーマで報告が行われた。第一の報告では、まず日本が現在に至るまで一次エネルギー(石油、天然ガス)の多くを中東(湾岸)地域に依存している点が指摘された。むしろ、今日では2011年以降の原子力発電所の相次ぐ停止に伴い日本の電力構成が石油や天然ガスへの依存度を高めているため、中東(湾岸)地域への依存度は高まっているとさえ言える。こうした背景のもと、第一次石油危機が発生して以降40年の節目を迎えた今日において、石油危機における対中東アプローチを再検討することの重要性が論じられた。
坂梨祥(日本エネルギー経済研究所研究主幹)
「イランから見た日章丸事件」
第二の報告は、報告予定であった坂梨祥氏(日本エネルギー経済研究所研究主幹)の欠席を受け、その代役として保坂氏が行ったものである。日章丸事件は1953年に日本の私企業である出光興産が石油国有化問題によって英国から経済封鎖を受けていたイランから石油の輸入を行った事件を指す。本事件は日本において人道的な行為として称賛されることが多いが、そのような評価は本質的ではないと保坂氏は述べる。その上で、当時のイランの置かれた文脈から考えると、経済合理性や各国の外交・エネルギー政策を本事件の本質的な要素として考えるのが妥当であると論じられた。
小野沢透(京都大学大学院文学研究科准教授)
「アラビア石油と国際石油秩序の変質」
小野沢透氏(京都大学大学院文学研究科准教授)からは「アラビア石油と国際石油秩序の変質」のテーマで報告が行われた。本報告は、1957年~58年にアラビア石油株式会社がサウジアラビア及びクウェイトとの間に結んだ利権協定を嚆矢として、石油生産を担う消費国と産油国との関係に関する新たな視点を提示するものとして行われた。先行研究では、1950年代~60年代における消費国と産油国の関係は利益折半協定が主流であり、アラビア石油株式会社の事例が示す同協定からの逸脱は例外的なものとして考えられていた。しかし、この事例は国際石油秩序に生じていた消費国と産油国の関係の変化を示唆するものであると論じられる。利益折半協定は石油を産油国と消費国の共通の利益とする認識に支えられたものであったが、石油危機が象徴するように、石油は徐々に売り手たる産油国と買い手たる消費国の利益対立の場へと変化していった。アラビア石油株式会社の事例はそのような国際石油秩序の変質を示唆するものであり、このことは、石油危機の構造が1950年代~60年代にかけて既に形作られてきていたことを示すものとして捉えられる、と論じられた。
報告者:渡邊 駿(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科)
小堀聡(名古屋大学大学院経済学研究科准教授)「日本の高度成長とエネルギー問題」
小堀氏の発表では、第二次世界大戦後にエネルギー問題を抱えた日本が、この問題をどのように解決し、その後の高度成長を実現したのかという点に着目している。氏は、その問題解決の要因として、日本における原油の低価格の実現、またエネルギー効率の改善という2点を挙げている。前者について、まず日本における原油の輸入価格が西洋諸国と比べて最も低いことが示された。そして、氏はその理由を、日本の造船技術を応用した石油タンカーの大型化にあるとしている。しかし、一方でタンカーの大型化によるエネルギー問題解決の条件として、石油が海外から自由に輸入できるということが挙げられる。氏は、石油危機がこの条件を崩壊させたとして、その影響力を示唆した。後者について、氏は1900年代前半から、日本の官民双方が熱管理の技術面、政策面で欧米諸国に上回る取り組みを行ってきた点を挙げている。結論として、氏は東日本大震災を経験した現代日本の抱える課題として以下の点を挙げている。まず、今日の省エネルギーへの取り組みについて、これが現在に至るまでの日本の産業による遺産を基に形成されていることから技術の低下が懸念されること、次に製造業中心の現在の産業構造を捉え直す必要があることである。
報告者:上原健太郎(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科)
堀拔功二(日本エネルギー経済研究所研究員)「日本のエネルギー資源外交と中東-カフジ権益の喪失からポスト・フクシマへ-」
堀拔氏は、「オイルショック」や「フクシマ・ショック」を題材に、日本の資源外交を主なトピックとして扱い、特にアラブ諸国との関係を中心に報告を行った。日本は、福島原発などの停止に伴い、カタルからの天然ガスの輸入が増加している状況にあるが、他方で資源をめぐる議論は、代替エネルギーなどの方向へもシフトしている。さらに、いわゆる「アラブの春」やイランのホルムズ海峡をめぐる動きなどによって、日本への資源輸出国において政治的混乱の可能性が常に存在することが、改めて認識された。そこで、堀拔氏の発表では、「いかにエネルギー資源を安定的に確保するか」という点を中心に考察が行なわれた。なかでも、日本と湾岸産油国との関係構築に主要な関心が寄せられ、「顔が見える外交」の達成に向けて、首脳レベルでの外交がより活発に行なわれることが必要であると指摘された。さらに、東アジア諸国のなかでも日本に独自の外交として、天皇と湾岸諸国君主との間の「外交」関係構築も示唆され、エネルギー資源外交という目的に終始しない関係性の構築が必要であることが述べられた。
報告者:山本健介(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科)
各発表後のパネル・ディスカッションでは、小堀氏の発表に対しては、石油価格と大型タンカーとの関係、小野氏に対しては、日本の外務省による日の丸油田開発への取り組みに関する姿勢、また掘抜氏に対しては、日の丸油田の消滅と資源ナショナリズムとの関係について、各発表者から質問が投げかけられ、活発な討論が行われた。その後のフロアからの質問の中では、とくに資源政策における日本の首脳外交の抱える課題について議論が行われた。各発表者の共通認識として、日本が中東からの石油の輸入を自明視していたことがその問題点であるとされ、その具体例として、保坂氏から現地の大使館における情報不足という点が挙げられた。総括として、京都大学の小杉氏は、本シンポジウムの開催時期が、日本のイスラーム研究から80年、そして石油危機から40年を迎えるという節目に当たる上で、各発表が大きな意義をもつものであると評価した。また、氏は今後の日本と中東との関係は、風通しの良いものになっていく時代であることを述べた。
報告者:上原健太郎(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科)