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「スーフィズム・聖者信仰研究会」2013年度合宿研究会
(2013年7月23日~24日山喜旅館)
2013 年7 月23 日(火)
13:00-13:15 開会の挨拶・趣旨説明・自己紹介等
13:15-15:15 研究発表1
所(栃堀)木綿子(東京外国語大学)「アブドゥルカーディル・ジャザーイリーによるキリスト教・西欧理解」
15:30-16:20 文献発表1
山本直輝(京都大学) “Introduction,” Nile Green, Sufism: A Global History, Chichester: Wiley-Blackwell, 2012, 1-14
16:30-18:30 研究発表2
久志本裕子(上智大学)「マレーシア・インドネシアにおける「新しいマウリド」の展開とスーフィズム」
2013 年7 月24 日(水)
8:40-9:30 文献発表2
高尾賢一郎(同志社大学)“Chapter 1: Origins, Foundations and Rivalries (850-1100),” Nile Green, Sufism: A Global History, Chichester: Wiley-Blackwell, 2012, 15-70.
9:40-11:40 研究発表3
澤井真(東北大学)「クシャイリーの神秘論における生と死」
11:40-12:00 閉会の挨拶、解散
高尾氏はNile GreenのOrigins, Foundations and Rivalries (850-1100), Sufism: A Global History, 2012, Wiley-Blackwell, pp. 15-70の概要を纏め発表した。
スーフィズムの起源としてはキリスト教にそれを見出す研究などが見受けられ、スーフィズムの歴史観はしばしば進歩史観的であり、禁欲主義から神秘主義へと発展したと考えられていたが、この数十年の研究ではそれらは直接的なものではなく、競合関係であったと捉える研究もでてきている。
九世紀イラクのバグダードの初期スーフィー達は、預言者の教えをいかにして維持していくかという課題として活動を始めた。ハッラーズは道徳の特性を体系化し、神に至る道を進むという趣旨からその方法をタリーカと呼んだ。九世紀後半から諸預言者とワリーとの関係が議論されるようになる。ハッラージュは恍惚的な神への愛を唱えた。10世紀にはスーフィーは多くの弟子を集めるようになっていたが社会的・政治的影響力は持っていなかった。
一方ホラーサーンではカッラーミーヤを潮流とする別のスーフィズム伝統が形成される。彼らのマドラサやハーンカーといった制度は後世への影響も大きかった。一方、他欲主義を批判するマラーマティーヤの潮流もみられた。
さらにホラーサーンではサッラージュ、カラバーズィー、クシャイリーなどがスーフィズムの理論書を著した。聖者列伝も書かれ、スーフィーの知識を預言者ムハンマドに遡り権威づけることが試みられた。そしてアブー・ハーミド・ガザーリーはスーフィズムを総合的な宗教学として確立する。またリバートはスーフィー達の執筆の場として機能したほか、旅人たちが利用する宿坊としての役割も持ち、スーフィー達と他の社会集団とのネットワークの構築にも貢献した。
澤井氏はクシャイリーの神秘論における生と死について発表した。氏は、クシャイリーの『美麗なる神名注釈』、『精巧なるものの徴し』を用い、クシャイリーがアッラーの名である「生を与える者」、「死を与える者」についての解釈を通して彼の生観、死観を明らかにした。まずアッラーの属性である生と死の授与について、人間はアッラーのそれらの属性を持ちえないことを指摘し、アッラーと人間の差異を示す。
クシャイリーのクルアーン解釈で示される生と死の頻度はクルアーンに言及される生と死よりも多い。これは、通常人間の魂には限られた生と死しかないのに対し、スーフィー達のような内面の探究者にとっては生と死に限りがないことを示している。クシャイリーにおいて、スーフィーは低次の魂(ナフス)が存続するバカー、アッラーとの一体性を味わうファナーの境地を通すことで通常の人間よりも多くの「生」と「死」を体験し、さらに神との合一は消滅であり存続、すなわち死でもあり生でもあるという無時間的な超越的次元を有することになる。
スーフィズムの起源としてはキリスト教にそれを見出す研究などが見受けられ、スーフィズムの歴史観はしばしば進歩史観的であり、禁欲主義から神秘主義へと発展したと考えられていたが、この数十年の研究ではそれらは直接的なものではなく、競合関係であったと捉える研究もでてきている。
九世紀イラクのバグダードの初期スーフィー達は、預言者の教えをいかにして維持していくかという課題として活動を始めた。ハッラーズは道徳の特性を体系化し、神に至る道を進むという趣旨からその方法をタリーカと呼んだ。九世紀後半から諸預言者とワリーとの関係が議論されるようになる。ハッラージュは恍惚的な神への愛を唱えた。10世紀にはスーフィーは多くの弟子を集めるようになっていたが社会的・政治的影響力は持っていなかった。
一方ホラーサーンではカッラーミーヤを潮流とする別のスーフィズム伝統が形成される。彼らのマドラサやハーンカーといった制度は後世への影響も大きかった。一方、他欲主義を批判するマラーマティーヤの潮流もみられた。
さらにホラーサーンではサッラージュ、カラバーズィー、クシャイリーなどがスーフィズムの理論書を著した。聖者列伝も書かれ、スーフィーの知識を預言者ムハンマドに遡り権威づけることが試みられた。そしてアブー・ハーミド・ガザーリーはスーフィズムを総合的な宗教学として確立する。またリバートはスーフィー達の執筆の場として機能したほか、旅人たちが利用する宿坊としての役割も持ち、スーフィー達と他の社会集団とのネットワークの構築にも貢献した。
澤井氏はクシャイリーの神秘論における生と死について発表した。氏は、クシャイリーの『美麗なる神名注釈』、『精巧なるものの徴し』を用い、クシャイリーがアッラーの名である「生を与える者」、「死を与える者」についての解釈を通して彼の生観、死観を明らかにした。まずアッラーの属性である生と死の授与について、人間はアッラーのそれらの属性を持ちえないことを指摘し、アッラーと人間の差異を示す。
クシャイリーのクルアーン解釈で示される生と死の頻度はクルアーンに言及される生と死よりも多い。これは、通常人間の魂には限られた生と死しかないのに対し、スーフィー達のような内面の探究者にとっては生と死に限りがないことを示している。クシャイリーにおいて、スーフィーは低次の魂(ナフス)が存続するバカー、アッラーとの一体性を味わうファナーの境地を通すことで通常の人間よりも多くの「生」と「死」を体験し、さらに神との合一は消滅であり存続、すなわち死でもあり生でもあるという無時間的な超越的次元を有することになる。
(山本直樹・京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)