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「スーフィズム・聖者信仰研究会」2011年度合宿研究会
(2011年9月10日~11日上智軽井沢セミナーハウス)
[9月10日(土)]
13:00-13:15 開会の挨拶・趣旨説明・自己紹介等
13:15-15:15 研究発表1
塩崎(久志本)裕子(上智大学)「現代マレーシアにおけるスーフィズム的知の学習―『自覚』と『感覚』を求めて」
コメンテーター:東長靖(京都大学)
15:30-16:20 文献発表1
遠藤春香(京都大学)Carl W. Ernst, “What is Sufism?,” in Carl W. Ernst, The Shambhala Guide to Sufism, Boston & London: Shambhala, 1997, 1-31, 229-230.
16:30-18:30 研究発表2
丸山大介(京都大学)「スーダンにおける聖者・スーフィー概念にかんする一考察―『神の名を朗誦する者たちの辞典』に掲載された人々とその人物像を中心に」
コメンテーター:新井和広(慶應義塾大学)
19:30-20:30 研究打ち合わせ
20:30-21:00 中国出張報告
[9月11日(土)]
8:40-9:30 文献発表2
加藤瑞絵(国士舘大学)MORIMOTO Kazuo, “The Prophet’s Family as Source of Saintly Scholars: Al-Samhudi on ‘Ilm and Nasab.”
9:40-11:40 研究発表3
安田慎(京都大学)「シリア・シーア派参詣におけるイスラーム旅行会社―マーケティング・サービス・消費を巡って」
コメンテーター:森本一夫(東京大学)
11:40-12:00 閉会の挨拶、解散
概要:
2011年9月10日 (土)、11日 (日) 、上智軽井沢セミナーハウスを会場としたスーフィズム・聖者信仰研究会合宿は15名の参加者を迎えて挙行され、研究発表3本、文献発表2本、2009年度現地調査報告を通じた活発な議論が行われた。
研究発表において、まず久志本氏による「現代マレーシアにおけるスーフィズム的知の学習―『実感』と『感覚』を求めて」は、イルムと対比的に捉えられるスーフィズム的知が、マレーシアの学校制度の外での、自己啓発としてのモチベーション・セミナーやタリーカにおいて、参加者に「実感」や「感覚」をもたらす事例を明らかにした。質疑応答では、人々が「実感」や「感覚」に対してマアリファの概念を用いていないことを踏まえ、スーフィズム以外の言葉に着目する必要があるのではないか、スーフィズム的知はイルムとの二項対立よりむしろ、国家の公式イスラームとの対応で分析されるのではないかとのコメントがあった。
丸山氏による「スーダンにおける聖者・スーフィー概念にかんする一考察―『神の名を朗唱する者たちの辞典』に掲載された人々とその人物像を中心に」は、政権がタリーカと密接な関係を築いてきたスーダンにおいて出版された『神の名を朗誦する者たちの辞典』における「神の名を朗唱する人びと」の立項が、イスラーム主義を標榜する現政権の支持を意図して行われたことを明らかにした。質疑応答では同書が誰を読者として、どのような目的で書かれたのかといった質問、「神の名を朗誦する人々」はどのような人々を含むかによって狭義の概念にもなり得るとのコメントもあった。
安田氏による「シリア・シーア派参詣におけるイスラーム旅行会社―マーケティング・サービス・消費を巡って」は、イスラーム旅行会社を中心とした経済活動が、「ツアー」という形式でシリアのシーア派参詣文化を形成してきたことを、イラン、湾岸、南アジアにおけるイスラーム旅行会社起案のツアーのパンフレットを題材に明らかにした。質疑応答では、近年増加傾向にある南アジアからの観光客についての送り出し側の状況、シリア現政権交代後のシーア派参詣の展望についての質問があった。
文献発表において、加藤氏発表による森本氏論文“The Prophet’s Family as the Perennial Source of Saintly Scholars: Al-Samhudi on ‘Ilm and Nasab”は、マムルーク朝期ウラマー、サムフーディーの著作『2つの首飾りの宝石』における、知識 (イルム) を通じたウラマー/神の友/預言者一族の概念の関連を示し、知識と預言者一族の系譜を同一の枠組みで論じる可能性を明らかにした。質疑応答において、サムフーディーによるスーフィズムの位置づけに関する質問に対して、森本氏からはイルムとマアリファが神によってもたらされ努力と素養によって受容されるものであっても、彼においてウラマーとスーフィーは渾然一体ではなくその違いはある程度明確であったとの回答があった。
次に遠藤氏発表によるスーフィズムの概説書、Carl W. Ernst, The Shambhala Guide to Sufismの第1章“What is Sufism?”は、「スーフィズム」概念について、オリエンタリストの外部としての言説が非イスラーム的であると捉えてきたこと、これよりも以前からムスリム内部ではイスラームに内在するものと位置づけられてきた経緯を説明する。ここから「スーフィズム」が、これらの認識の対立を解消しない包括的な概念として、現在に至るまで用いられ続けている問題点が確認された。
2009年度現地調査報告は、中国(循化、西寧、蘭州、臨夏)のムスリムにおけるスーフィズム・聖者信仰の実態についてであり、真大寺や聖者廟 (gongbei) における参詣や儀礼の実例、ペルシャ語圏やウルドゥー語圏との文化的な行き来の一端を示す興味深いものであった。
2011年9月10日 (土)、11日 (日) 、上智軽井沢セミナーハウスを会場としたスーフィズム・聖者信仰研究会合宿は15名の参加者を迎えて挙行され、研究発表3本、文献発表2本、2009年度現地調査報告を通じた活発な議論が行われた。
研究発表において、まず久志本氏による「現代マレーシアにおけるスーフィズム的知の学習―『実感』と『感覚』を求めて」は、イルムと対比的に捉えられるスーフィズム的知が、マレーシアの学校制度の外での、自己啓発としてのモチベーション・セミナーやタリーカにおいて、参加者に「実感」や「感覚」をもたらす事例を明らかにした。質疑応答では、人々が「実感」や「感覚」に対してマアリファの概念を用いていないことを踏まえ、スーフィズム以外の言葉に着目する必要があるのではないか、スーフィズム的知はイルムとの二項対立よりむしろ、国家の公式イスラームとの対応で分析されるのではないかとのコメントがあった。
丸山氏による「スーダンにおける聖者・スーフィー概念にかんする一考察―『神の名を朗唱する者たちの辞典』に掲載された人々とその人物像を中心に」は、政権がタリーカと密接な関係を築いてきたスーダンにおいて出版された『神の名を朗誦する者たちの辞典』における「神の名を朗唱する人びと」の立項が、イスラーム主義を標榜する現政権の支持を意図して行われたことを明らかにした。質疑応答では同書が誰を読者として、どのような目的で書かれたのかといった質問、「神の名を朗誦する人々」はどのような人々を含むかによって狭義の概念にもなり得るとのコメントもあった。
安田氏による「シリア・シーア派参詣におけるイスラーム旅行会社―マーケティング・サービス・消費を巡って」は、イスラーム旅行会社を中心とした経済活動が、「ツアー」という形式でシリアのシーア派参詣文化を形成してきたことを、イラン、湾岸、南アジアにおけるイスラーム旅行会社起案のツアーのパンフレットを題材に明らかにした。質疑応答では、近年増加傾向にある南アジアからの観光客についての送り出し側の状況、シリア現政権交代後のシーア派参詣の展望についての質問があった。
文献発表において、加藤氏発表による森本氏論文“The Prophet’s Family as the Perennial Source of Saintly Scholars: Al-Samhudi on ‘Ilm and Nasab”は、マムルーク朝期ウラマー、サムフーディーの著作『2つの首飾りの宝石』における、知識 (イルム) を通じたウラマー/神の友/預言者一族の概念の関連を示し、知識と預言者一族の系譜を同一の枠組みで論じる可能性を明らかにした。質疑応答において、サムフーディーによるスーフィズムの位置づけに関する質問に対して、森本氏からはイルムとマアリファが神によってもたらされ努力と素養によって受容されるものであっても、彼においてウラマーとスーフィーは渾然一体ではなくその違いはある程度明確であったとの回答があった。
次に遠藤氏発表によるスーフィズムの概説書、Carl W. Ernst, The Shambhala Guide to Sufismの第1章“What is Sufism?”は、「スーフィズム」概念について、オリエンタリストの外部としての言説が非イスラーム的であると捉えてきたこと、これよりも以前からムスリム内部ではイスラームに内在するものと位置づけられてきた経緯を説明する。ここから「スーフィズム」が、これらの認識の対立を解消しない包括的な概念として、現在に至るまで用いられ続けている問題点が確認された。
2009年度現地調査報告は、中国(循化、西寧、蘭州、臨夏)のムスリムにおけるスーフィズム・聖者信仰の実態についてであり、真大寺や聖者廟 (gongbei) における参詣や儀礼の実例、ペルシャ語圏やウルドゥー語圏との文化的な行き来の一端を示す興味深いものであった。
(栃堀木綿子・京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科一貫制博士課程)