写真:広河隆一. 参考資料:広河隆一監督作品 記録映画「パレスチナ1948・NAKBA」 |
We intend to hold a series of the symposia under the general title of “Nakba after Sixty Years: Memories and Histories in Palestine and East Asia”, but we focus on specific topics in each city where the individual symposium is organized: in Tokyo, we concentrate on Palestinian narratives on memories and histories of the Nakba in 1948; in Hiroshima, we try to share tragic experiences and memories between the Palestinian refugees and survivors of Atomic bomb victims in Hiroshima, 1945, and then in Kyoto, we tempt to search for common histories of the Palestinians and Koreans as victims under new international order in the Middle Eastern and East Asian contexts after World War II. We have already organized a workshop in Kyoto University on the occasion of the UN partition plan of Palestine in November 29, 1997 as the first step of our research project of Palestine. We also have a plan to organize the second round of the symposia on Palestine in 2009.
Organizing Committee
ITAGAKI Yuzo, KIMURA Shuzo, KOSUGI Yasushi, NAGASAWA Eiji, NARAMOTO Eisuke, SATO Tsugitaka, UNO Masaki, USUKI Akira Executive Committee [Tokyo] USUKI Akira, SUGASE Akiko, TAKAIWA Nobutada, TSURUMI Taro, NAGASAWA Eiji, NAGASAWA Misako, NISHIKIDA Aiko, MORI Mariko, TAMURA Yukie [Hiroshima] UNO Masaki, Members of the Middle East Network [Kyoto] KOSUGI Yasushi, OKA Mari, NIGO Toshiharu, YAKUSHIGE Yoshihiro, HORINUKI Koji, TOBINA Hiromi Secretariat [Chair] USUKI Akira [Secretary General and Chief Secretary of Tokyo] NAGASAWA Eiji [Vice-Secretary General and Chief Secretary of Hiroshima] UNO Masaki [Vice-Secretary General and Chief Secretary of Kyoto] NIGO Toshiharu [Secretary of Tokyo] SUGASE Akiko [Secretary of Kyoto] TOBINA Hiromi Invited Speakers Sari HANAFI (American University of Beirut), Nur MASALHA (University of Surrey), Ali QLEIBO (al-Qudus University), Rosemary SAYIGH (Anthropologist and Oral Historian Living in Lebanon), NAONO Akiko (Kyushu University), UKAI Satoshi (Hitotsubashi University), MUN Gyong-su (Ritsumeikan University), YAMASHITA Yeong-ae (Ritsumeikan University) (錦田愛子) 1948年5月、中東の一角にイスラエルが建国された。ヨーロッパで迫害されてきたユダヤ人が、安全な住み場所を求めて国を作ったその場所には、パレスチナ人が住んでいた。彼らは故郷を追われて世界中に離散し、難民生活を送ることとなった。それから今年で60年が経つ。 「ナクバ」とは、パレスチナ人を襲ったこの離散による悲劇を表す言葉(アラビア語での呼称)である。突然襲いかかってきた暴力により、生活が中断され、故郷に帰れなくなった悲しみ。混乱の中で家族は引き裂かれ、共同体は崩壊させられた。生まれ育った家の多くは破壊され、400以上もの村々が廃墟となって放置されたままである。当時80万~100万人とされる人々が、ヨルダン川西岸地区やガザ地区、周辺アラブ諸国などへ逃げたが、彼らの大半はその後、帰還を許されることもなく現在に至っている(下記の地図、グラフ参照)。 その後の人口増加により、難民の数は国連(UNRWA:国連パレスチナ難民救済事業機関)に登録されているだけで約460万人に達した。これはパレスチナ人全体の半数近くを占める割合である。現在、世界で保護の対象となっている難民の数を国ごとに比較すると、最大がアフガニスタンの305万人、イラクの230万人と続く1。この数字を見ても、「ナクバ」がいかに多くの人々の生活に影響を与えたかが分かる。また1948年にイスラエルが建国された地域内にとどまり、逃げなかった人々も、イスラエル国内では差別され、二級市民の扱いを受けている。現在はパレスチナ自治区となったヨルダン川西岸地区・ガザ地区出身の人々は、難民とともにイスラエルの占領政策によって長年苦しめられてきた。 「ナクバ」はイスラエル/パレスチナ紛争の出発点である。イスラエル人にとっての独立・解放は、パレスチナ人にとって苦難の始まりとなった。難民生活は二世代目、三世代目を迎え、故郷の地を知らない子どもたちがパレスチナ人という呼称を受け継いでいる。離散にあたってはパレスチナ人居住地の各地で虐殺が行われ、財産が没収された。これら全てが補償されない限り、問題は終わらない。だがそのためには、記憶を語り継ぐ必要がある。実際に故郷を知り、「ナクバ」を体験した人々の多くは既に高齢に達している。 強者によって常に綴られる歴史の中で、埋没しがちな弱者の足跡を記すことの意義は、パレスチナだけに指摘されるものではない。被害者に委ねられた語り継ぐ権利と義務という側面は、ヒロシマにおける被爆の体験と共通するものだろう。遠く離れた中東の地で起きたパレスチナ人にとっての悲劇は、わたしたちにとっても重要な参照となり得る性格をもつものといえる。 ------------------------------------ 1.ただしイラクの場合、この他に238万人と推定される国内避難民がいる。数字はいずれもUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)ホームページより。http://www.unhcr.or.jp/ref_unhcr/statistics/index.html
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