第2回例会
"The Glory of Islamic Spain and Ibn Arabi"
発表者:Pablo Beneito
(セビリヤ大学助教授/京都大学客員助教授)



日時:1999年9月18日

会場:京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
連環地域論講座 講義室


イスラーム世界研究懇話会の第2回例会では、京都大学客員助教授のパブロ・ベネイト氏が発表した。
 イベリア半島は、8世紀から15世紀までイスラーム勢力の支配下にあり、アラビア語ではアンダルスと呼ばれた。今日のスペイン語のアンダルシアは、このアラビア語に基づく。(ただし「アンダルス」はさらに「バンダル」まで遡るので、アラビア語の「アンダルス」が「アンダルシア」の究極的な語源というわけではない)。

 アンダルシアでは芸術や科学が発展したが、しばしばそれはイスラーム、キリスト教、そしてユダヤ教の3宗教が調和のうちに発展させたという静的なイメージでとらえられてきた。イスラーム神秘主義の大家であるイブン・アラビーの思想も、このような環境のもとで、結実するにいたったとされる。しかし、まさにこの神話化された「アンダルシア」に対して、スペイン人自身としてのアイデンティティの問題もからめて、ベネイト氏は問題提起を行った。

 そもそも当時のスペインは、他のヨーロッパ人からは「アフリカの一部」とみなされていたのであり、この状況はイスラーム支配下においても変わることがなかった。「ヨーロッパとイスラーム文明の十字路」的な見方を、当時のアンダルシアに安易に押し付けることは危険である。

 アンダルシアにアラブ人が侵入すると、そこにはシリアの文化が持ちこまれた。新たな支配者は強力な軍隊を擁したが、これによってベルベル人が流入、南部におけるアイデンティティは、イスラーム的かつベルベル的なものによって構成されることになった。このベルベル人の王朝であるムラービト朝(1056〜1147年)の支配者は、今日のスペインの教科書には野蛮人として登場する。しかし、アンダルシアに「黄金時代」があったとすれば、まさにベルベル人の支配下において、それは成立したのだった。以上のようにベネイト氏は強調し、近年の歴史学の成果が新たなアンダルシア像を描きつつあることに注意を喚起した。

 続いて、専門であるイブン・アラビー(1165〜1240年)の思想の一端に触れた。難解な宇宙論的神智学である「存在一性論」を、1つの語彙からさまざまな意味がいかに生成するかを通じて、わかりやすく説明した。しかしその後のイスラーム世界の知的世界に大きな足跡を記すことになる思想が、アンダルシアでは受容されなかったことも付け加えた。

 自らの研究に対する情熱をほとばしらせながら、独自のイブン・アラビー論を展開するパブロ・ベネイト氏の姿が、印象に残る研究会だった。

子島 進